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このままではいけない。
クロエは、だらんと垂れ下がってしまった腕の拘束から逃れる。
アランを慎重に敷いた外套の上に寝かせてから、靴を脱がせた。
黒い下衣に加えて、この闇である。
頼りない焚き火の灯りでは、状態は分からなかったが、左足の膝下辺りの布が大きく裂けているのが見て取れた。
そして一瞬躊躇した後に、下衣を留めるベルトに手を掛けて解いた。
ゆっくりとを完全に下衣を脱がせて下穿き一枚にする。
アランは、左足の膝から下に大きな裂傷があった。
クロエは息を呑む。
目を背けたくなる気持ちを抑えた。
頭の中で、キンキンとした耳鳴りの様なものが激しく鳴っている。
呼吸を荒く数度繰り返してから、立ち上がり、辺りを見渡した。
アランが寝ている近くに革袋の水入れがあったのが分かった。
きっとアランが拾った荷物の中にあったのだろう。
口を弛めて中の匂いを嗅ぐと、ワインである事が分かった。
もっと度数の高いアルコールの方がいいのかもしれないが、以前知人からワインは昔は傷口の消毒などの治療に用いられていたと聞いた事を思い出した。
遥か昔の医学の発達していない時の話しではあるのだろうが、地面で、汚く汚れている雪を溶かして傷口を洗うよりは余程マシに思えたのだ。
クロエは思い切ってワインを傷口に注いだ。
満遍なく掛けた。
クロエはドレスを脱いで、中に着ていたシュミーズを脱ぎ、再びドレスだけを素肌に纏った。
泥でドレスはかなり汚れていたし、破れていたが、中に着ていたシュミーズは裾の部分以外は綺麗な状態だった。
それをアランの近くに転がっていた短剣で裾の部分を切り落とし、切り裂いた。
なるべく使えない部分の出ない様に面積を大きく裂いて布の状態にした。端切れの部分を折り畳み、傷口を抑えた。
そして残った布で傷口をきつく縛るようにして膝下全体を巻き上げた。
アランに、もう一度下衣を穿かせてからクロエが羽織っていた羽織りを掛けた。
アランは荒い呼吸を繰り返し、小刻みに震えていた。傷から来る熱の為に寒いのであろう。
もっと焚き火を強めなくては。
だが、外は雪だ。
乾いた木などは無い。
アランはどうやって火を起こしたのだろう。
焚き火の近くを注意深く観察すると、不自然に木の皮の部分が避けてある事に気付いた。
そうか、と気付いてクロエはナイフを手に崖の窪みから出た。
近くを見渡して、クロエにも切れそうな細めの枝に目をつける。
一本切り落として切り口を触る。
矢張り芯の部分には水はまだ達していないのだ。
持てるだけ切り落として窪みに持ち帰る。
短く切ってから木の皮を出来るだけ剥いで焚き火に焚べた。
よく乾燥した薪では無いので火勢は中々強くならなかったが、クロエは辛抱強く火の面倒を見た。
その間に、割いたシュミーズを比較的泥の無い新雪部分で湿らせアランの顳顬や首筋の汗を拭ったりした。
自分に出来る数少ない役割を精一杯果たそうと思った。
クロエは、祈るような気持ちで、アランの回復を願っていた。
アランは助けが来るだろうと言っていたが、クロエは期待出来ないと考えていた。
現に二次災害の結果としてクロエとアランはこの様な結果になっている。
新たな被害者が出る事が容易に想像が付く現状の状態で捜索は出来ないだろう。
いくら、クレマン侯爵の義弟であり、伯爵のアランの捜索と言えども限界がある。
現実は絶望的な状態であった。
———何か出来る事を。
アランに少しでも何かしてあげたい。
少しでもアランの苦痛を取り除いてあげたい。
クロエは、そればかりを考えていた。
雪は深々と降り続いた。
真っ白な雪が、邪悪の象徴の様に辺りを白銀に染め上げる。
アランの命を刈り取りに来た死に神の足音を隠すように、降り続く雪が周囲の音を奪っていくのだ。
時折、積もった雪がドサリと湿った音を立てて落ちる。
パチパチと薪が爆ぜる音がする。
焚き火の色は不思議だ。
真っ赤に目の前を照らすにも関わらず、その背後に控える仄暗い暗闇を深くする役割も担っている。
人の心を時には一筋の明かりで安堵させ、反面、振り返ると余りの暗さに絶望を添える。
だから、人は焚き火を燃やしてしまったら、目の前で爆ぜる光景をじっと見つめ続けるしかないのだ。
背中に控える暗闇に決して目を向けない様に、全ての薪を燃やし尽くすまで。
光と闇が混じり合った抽象的な灯りを頼りにクロエはアランに忍び寄る死に神から隠す様に、懸命に火の番を続けたのだった。
そうして、どれくらいの時が流れただろうか。
曖昧模糊とした時間感覚を頼りに考えても、まだまだ夜が明ける様子が無い事からして、恐らく深夜辺りだろう。
果たして日付けが変わる前なのか、日付けが変わった後なのか。
それとも日付けが変わって大分経った深夜なのか。
クロエには全く見当も付かなかったが、かなり夜も更けてから、アランが意識を取り戻したのだった。




