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クロエは、アランの提案により、婚姻を結ぶまでの半年間、ルソー家で世話になる事になった。
いちいち格式ばった作法や、女主人としての役割を学ぶ為の期間だそうだ。
なんと面倒な、とクロエは思ったが、金貨百枚あれば、実家もかなり潤う。
我慢するしかないだろうと腹をくくり、アランが次に迎えに来る一週間後に向けて旅立ちの準備をした。
そしてあっという間に一週間が過ぎ、アランは言葉通りに金貨を携え、ランベール家を訪れたのだった。
「クロエ、待ち遠しかった」
アランにいきなり抱きしめられ、呼び捨てにされたクロエは背筋に薄ら寒いものを感じた。
引き剥がすように適度に離れてから、クロエは礼をした。
「至らぬ点が多々あるかと思いますが、ルソー伯爵様、よろしくお願い致します」
アランはクロエのかなり距離を取った物言いに、少し不満そうに。そして、僅かに恍惚の笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、こんなに素晴らしい娘がたったの金貨百枚。素晴らしい買い物だった」
たったの、といったアランに表情を痙攣らせつつも、もっと吹っかければ良かったかしら?とクロエは考えてから溜め息を飲み込んだ。
クロエは心配する家族と少ないランベール家の使用人に見送られて、ルソー伯爵家の大きな馬車に乗り込んだ。
先に乗り込んだクロエの隣に当たり前の顔で座るアランに怖気を感じながらも、クロエは我慢した。
こんなに広い車内で何も隣に座らなくても、と思いはした。
「クロエ、私はまだ君の事を余り知らない。勿論君も私を知らないだろう。ゆっくりお互いを分かり合えたらと思っている」
クロエは、おや?と思った。
相変わらず態度や口調は尊大ではあるが、案外悪い人ではないのかもしれないと思ったのだ。
しかし、すぐにこの考えを訂正する事になる。
★
「クロエ様付きのメイドとなりました、アンリと申します。どうぞよろしくお願い致します」
ルソー伯爵家に着いたクロエは豪華な部屋に案内され、アンリと名乗ったメイドを紹介された。
人の良さそうな赤毛の若いメイドだ。
充てがわれた部屋を見回し、ハッとした。
部屋の調度品が新しく作りは良いものの、自室で使っていたものとそっくりだったからだ。
壁紙も、子爵家の自室のライムグリーンの壁紙と同じ色だ。
呆然と部屋を見渡していると、アンリが茶の支度をしてくれた。
「クロエ様、どうぞ」
促されて席に着き、流されるままに茶をすする。
クロエが一番好きな銘柄の、過去一度しか口にした事はないが、一番好きな等級の茶と同じ味がした。
焼き菓子にしても、クロエの好みど真ん中のしっとりした舌触りの物だった。
「……私好みのものばかり。ありがとう」
クロエが戸惑いながらもアンリに礼を言うとアンリは微笑んだ。
「アラン様のご指示なんですなよ。クロエ様が過ごし易いようにとの事でしたので、アラン様からクロエ様のご趣味を伺いました」
「ストレートに気持ち悪いわね」
思わずクロエが本音を呟く。
「えっ?クロエ様、聞き逃してしまいました。もう一度お願い致します」
「いいえ、なんでもないのよ。それより、このお屋敷には伯爵様しかお住まいではないのかしら?」
「はい、アラン様お一人でお住まいです。ですから、この屋敷の使用人一同、クロエ様が来てくださって本当に嬉しいです」
「まあ、アンリったら。意外と口が上手いのね」
「いいえ、クロエ様。本心です。さて、そろそろ晩餐のドレスに着替えなければいけませんね。クロエ様、私がお選びしてもよろしいでしょうか?」
「余り実家からはドレスは持ってきていないの。さっき渡した荷物の中にいくつかはあるけれど」
「お任せください。アラン様がご準備されたものもございます」
「そう、じゃあお任せするわ」
アンリは一礼して退室した。
然程時間を置かずにアンリは戻った。
そして鮮やかな手付きでクロエにドレスを着せ、髪と化粧を整えていった。
「いかがですか?クロエ様」
アンリが用意したドレスはクロエの手持ちのドレスではなかった。
しかし、クロエの為に誂えたようにサイズがぴったりのネイビーブルーのドレスであった。
しかもクロエの好みど真ん中。
またしても外さないアランの用意の周到さにクロエは気色が悪いと思った。
今すぐ脱ぎ捨てたい気持ちを堪えて、アンリに礼を言う。
そして時間になり、晩餐室へと案内された。
アランは既に席に着いており、クロエを出迎えてくれた。
「君の部屋や装飾品は気に入って貰えただろうか?」
晩餐が始まるとアランがクロエに聞いてきた。
「え?ええ。私好みのものばかりで驚きました」
「そうか。それは良かった」
アランが笑みを深める。
「きちんとお会いするのも今日で二度目ですのに、よく私をご存知なんですね」
ついつい蔑むような視線をアランに向けると、アランは一層嬉しそうにする。
「私は手に入れたものは隅々まで知り尽くさねば済まない質でな」
心底気持ちの悪い金持ちだ、クロエは益々アランが嫌いになった。
この男は所有物に対して抜かりなく総てを把握するような狡猾さがあるとクロエは感じる。
奪い尽くさなければ気が済まない性格なのだろう。
一緒に居てこれ程までに気の休まらない人物にクロエは会った事がない。