12
一方、その頃のクロエは……。
「ぐぬぅ……っ」
寝台の上でのたうち回っていた。
「クロエ様、お鎮まりください」
アンリが少し離れた場所から宥める。
「ア、アンリっ、居たのね」
慌ててクロエは起き上がる。
「ずっと居ましたよ。なんならサンルームから」
「きゃ……」
叫び出しそうな己の口を慌てて両手で封じ、深呼吸を繰り返す。
「見ていたの?」
クッションを抱えた隙間からクロエがおずおずと言う。
「見ていましたね」
なんでもないとばかりにアンリは答える。
「うぐぅ……」
クロエは悶絶する
生き恥である。
「他に誰も居なかったわよね?」
「まあ、あの時は居ませんでしたね。でも屋敷の者はほとんど目撃してますよ、既に」
クロエは驚愕する。
「アラン様はオープンですからね。使用人も、主人のそんな事いちいち気にしませんよ?」
「私は気にするわ!」
「とか言って、この一週間程、クロエ様はアラン様しか見えてなかったじゃないですか。仲睦まじくて大変結構ですよ」
アンリはにこにこと言う。
「そ、そんな事……、あるかもしれないわね」
ふーっ、と一つ息を吐いてクロエはクッションを抱え直した。
「今までのアラン様を考えたら大分健全なお付き合いですよ。それだけクロエ様を大事になさっているということですよ」
アンリは茶の支度をしながらとんでもない事を平気で言う。
「今までそんなに酷かったの?」
がちゃんとメイドらしからぬ荒々しさで茶器を置き、拳を握り震わせる。
「酷かったなんてもんじゃないですよ!屋敷の至る所で畜生の様に盛り回って!メイドの離職率がうちの屋敷は普通じゃないんですよ!せっかく新しく良い子が入ってくれたと思っても、連れ込んだどこぞの貴族の娘さんとあられもない事するもんだから、良い子程耐えられないって辞めてくんです!おかげで残ったメイドは百戦錬磨の猛者か、お手付きを期待する不埒者ばかりですよ!幸いアラン様は屋敷の者には手を出しませんから、不埒者は勝手に辞めて行きます。クロエ様が来られるまで皆言ってましたよ!金が良くなきゃすぐ辞めてるって!」
怒涛の勢いで捲したてるアンリに若干冷静になるクロエ。
「そう、そんなに酷かったのね。屋敷の秩序を乱す真似をしてごめんなさいね。これからは気をつけるわ」
「いいえ、いいえ!クロエ様はいいんですよ!どちらかというと、アラン様には是非頑張って頂きたいと屋敷のみんなで応援してるくらいなんですよ!逃したくないので」
笑顔で恐ろしい事を言うアンリ。
「いいえ、私心を入れ替えるわ!何かあったら実力行使に出る事にするわ」
「実力行使って、ちなみにどんな手段なんです?」
「決まってるじゃない。コレよっ」
握った拳を顔の前に出し、笑みを浮かべるクロエ。
「あのー、アラン様逆に喜んじゃいませんか?」
「……」
「……」
「そうかも知れないわね。でもなんとか反抗してみるわ。アンリに聞いてもらったらすっきりしたわ。良く考えたら結婚したらキスどころじゃ済まないものね。犬に噛まれたと思う事にするわ」
クロエはアンリが淹れてくれた茶を飲み、心を落ち着けるのだった。
★
晩餐が終わり、食後の腹ごなしに茶を飲んでいる時だった。
アランは珍しく食事が終わると直ぐに離席した。
暫くすると、花束を抱えて戻ってきた。
「クロエ、調子に乗ってすまなかった」
アランは花束を差し出し、跪く。
クロエは驚きつつも花束を受け取る。
「それは、何の謝罪かお伺いしても?」
「私は何故クロエが怒っているか分からず、リシャール家の兄妹に相談したのだ。それで先日の口付けが原因であるからしっかり謝り話し合えと助言を受けた。そして私なりに考えたのだ。きっと私の口付けが良くなかったのだと。この歳になってまで私は恥ずかしい」
アランは頬を染めて俯く。
———この人……。馬鹿なのかしら?
クロエが冷たい視線を浴びせると、アランは耳まで赤くする。
喜んでいる。確実に!
背後に佇むアンリの笑う気配に、クロエはアンリを見ると、サッと視線を逸らされた。
もう一度アランを見る。
———なんだか馬鹿馬鹿しくなってきたわ。
クロエは溜め息を吐き、なおも冷たい視線でアランを貫く。
「謝罪の仕方がおかしいわ」
アランは潤んだ瞳でクロエを見上げる。
「拙い口付けで君を煩わせて申し訳なかった……」
少し呼吸を荒げるアラン。
この男、謝罪しながら興奮している!
「違うわ。申し訳ありませんでした、よ?」
「なっ?!私は今まで誰にもそんな言い方っ」
「口答えは良くないわ」
ぐうっと唸るアラン。
しかし、蕩けそうな熱い視線でクロエを見つめながら、
「申し訳、ございませんでした……」
そう言ってこうべを垂れた。
「馬鹿らしいわ。もう無かった事にしてあげる」
そう言って苦笑するクロエに、アランは恍惚の表情を浮かべるのだった。