終章・その三
「なるほどねぇ。龍が宇宙生物とかよくわからないけどぉ、ヒラさんが味方なのは幸運だったわねぇ」
オンボロ部室小屋の半分しか面積のない、小さな小さな社務所にて。
由宇先生は先日の誘拐事件のあらましは知っているようなので、八尋は今日の【第六まどろす丸】出現から、レンが分身を月長に寄生させたところまでを話しました。
蚊に刺された跡に薬を何度も塗り重ねながらの長話でしたが、由宇先生は聞き上手で、誤解なく一気に話せたと思います。
歩たちの声や懐中電灯の明かりが見えなくなったので、八尋走査本部は解散になった模様。
安全を確信したのか、由宇先生はLEDランプのスイッチを入れました。
「……しまった、警察に通報されたら大変!」
森で迷子になった、あるいは事故が起こったと思われたら大騒ぎになってしまいます。
「それは大丈夫よぉ。お母さんにメール送っといたからぁ」
文面は『八尋ちゃんを確保。隔離隠蔽します』。
返信は『了解。不穏分子はこちらで処理する』。
物騒なメールが飛び交っていました。
「それよりぃ、四千七百年前より昔は人がいなかったってぇ、本当なのぉ?」
正確には四千七百二十三年と百五十六日前のお話です。
「人間どころか生物が死滅してたみたいだよ」
「それよぉ、そんなお話が聞きたかったのぉ。こっちの文献だとぉ、八百年より昔の記録が残ってなくてぇ」
異世界に釣王が召喚され、帰ってこれなくなった年代です。
「この神社ができたのって、その頃だったっけ?」
「そうよぉ。悪樓釣り目的でぇ、蕃神を召喚するようになったのもぉ、その時代ねぇ」
スローペースで変な喋り方ですが、八尋は風子の口調で慣れています。
「それより昔はどうだったんだろ?」
「ちょっと待ってねぇ」
由宇先生は荷物から水筒を取り出して、蓋を兼ねたカップにお茶を注ぎます。
手渡されました。
「ありがと」
いままでずっと逃げ回っていたので、喉がカラカラです。
「違うのぉ。水面をよぉく見てぇ」
「水面?」
「見つめて集中するのぉ。あっちに行った事のある八尋くんならぁ、祝詞がなくてもできるはずよぉ」
「……………………?」
水面をじっと凝視。
「なにか見えないかしらぁ」
「……あっ!」
一瞬だけ月長が見えた気がしました。
八尋と簗が裸で抱き合う姿だった、よく見ると二人とも漏らしている姿だったはずの船首像が、メイド服の簗だけになっていました。
「さすが抄網さん、いい仕事するなあ」
長年変態さんをやっているだけはあります。
「もう飲んでもいいわよぉ」
いわれた瞬間にお茶を飲み干しました。
「あっちの世界って、見ようと思えば見れるんだね」
「何千年も前からぁ、そうやって異世界を覗いてたみたいねぇ」
「覗くだけ?」
「それはわからないわぁ」
それでも異世界を知る手段はあった訳です。
「正確には目で見るんじゃなくてぇ、魂の一部をあっちに飛ばしているのぉ。五魂七魄って知ってるぅ?」
「ううん、全然」
「大昔の中国思想なんだけどぉ、人の魂魄は陽の気である五つの魂とぉ、陰の気で七つの魄で構成されてるのよぉ」
「……確か日本では陰陽道に反映されてるんだっけ?」
社会科学系に強い八尋は、歴史の授業や本から得た知識を総動員します。
「当時は科学だったからねぇ」
呪術や祭儀を司る平安時代の陰陽寮は、現代の科学技術庁に相当する官僚組織です。
「他の国は異世界を見れかったの?」
「いまも見てるはずよぉ。西洋じゃアストラル投射とかいわれてるわぁ」
「……中国思想どこ行ったの?」
「オカルトってぇ、要は世界の構造を主観的に解釈する方法だからぁ。筋さえ通っていればぁ、流派が違ってもぉ、異世界くらい見れるわよぉ」
「いいかげんだなあ」
「海外がどうなってるのかは知らないけどぉ、こっちは中世までぇ、異世界を見るだけだったみたいねぇ」
「中世までって……中世からは他にもやってたの?」
「たぶんねぇ、ここの古文書を調べればわかると思ってぇ、大学まで行ったんだけどぉ」
磯鶴に帰ってきたのは、解読のためだったようです。
「それで古文の先生になったんだ……」
「まぁ、少しでも早くこの本を調べたくってぇ、飛び級で卒業しちゃったんだけどねぇ」
古文書の山をポンポン叩く由宇先生。
「それは素直に凄いと思う」
八百年前の古語を解読する必要があるからといって、専門知識を得ようと大学に行くパワーと執着は相当なものです。
しかも飛び級。
釣り師は気が短いのです。
「教授に『さっさと帰ってこい』っていわれてるけどぉ、さすがにこれを部外者に見せる訳には行かないわよねぇ」
その大学教授さんなら簡単に読み解けるかもしれませんが、いくらなんでも異世界関連は無理があります。
「その本、スキャンすればいいんじゃない? 大学で研究しながらでも解読できるんじゃないの?」
解読用の資料は、大学の方が揃っているはず。
「だってぇ、八尋くんみたいな子がぁ、新しいネタを持ってきてくれるからぁ」
「ひょっとして、そのために船釣り部を巻き込んだの?」
「情報源はいくらいてもいいからぁ」
「たぶん、あっちの部は支局に回されると思うよ?」
魔海対策局が庁に格上げされ、支局が各地に作られた現在、蕃神は何人いても足りないくらいです。
「それならそれで結構じゃないのぉ。すべての情報がここに集まるならぁ」
年齢制限で蕃神を引退した由宇先生ですが、異世界への興味はいまだ尽きない様子。
「私が磯鶴高校にいるのはぁ、産休中の鍋鳥先生が帰ってくるまでだけどぉ、なんだかんだで居座るつもりよぉ」
鍋鳥先生は古文担当で船釣り部本来の顧問教師です。
「いざとなったらぁ、お婿をもらって神社の後継ぎになるつもりぃ」
【お嫁さん】とはいわなかったので、いまのところ八尋と既成事実を作る気はなさそうです。
八尋はホッとしました。
「先生、あの世界って、大昔になにがあったんだろうね? やっぱり神様とか現れて天地創造したのかな?」
異世界ファンタジー理論なら、どんな御都合主義が起こっても不思議ではありません。
「私はね~、テラフォーミングだと思うよ~」
「姉ちゃん⁉」
いつの間にか、撒いたはずの風子が隣に座っていました。
「鍵は先生がかけたはずなのに!」
「瞬間移動したの~。……っていいたいとこだけど~、そこから入った~」
風子が指差すのは、受付カウンターの下にある小さな出入口。
「あらまぁ、お母さんが鍵をかけ忘れちゃったのねぇ」
「目敏すぎるよ姉ちゃん」
「歩はどうしたのぉ?」
「ももちゃんと一緒に~、ママさんにお説教されてる~」
仲間を見捨てて手際よく単独逃亡に成功した風子はホンニャラしています。
罪の意識はありません。
「ところで姉ちゃん、テラフォーミングがなんだって?」
「お寺をリフォームしてぇ、どうするのぉ?」
由宇先生のベタなツッコミが入りました。
「テラフォーミングだよ~。生物のいない惑星を改造して~、人が住めるようにするの~」
惑星地球化計画とも呼ばれる化学理論です。
「あらまぁ壮大ねぇ」
「姉ちゃんSFの読みすぎ……」
風子はただの婦女子ではありません。
部屋の本棚は薄い本だけでなく、数多くの古典SFやスペースオペラやハードSFの文庫本が並んでいました。
八尋もちょくちょくご相伴に預かっていますが、額に【N♂MAD】とマニアックな落書きをされるなど、変な不利益も被っています。
「先生、耳を貸しちゃダメだよ。SF者が感染るから」
「謎が解けるならぁ、感染しても平気よぉ」
由宇先生は研究のために人間をやめる気のようです。
「人間が住めるように改造ってぇ、他の生物もぉ?」
「環境ごと作るのが基本だよ~」




