終章・その二
「縁側の草履がないよっ! 足跡もあるっ!」
百華が地面を指差します。
「外に逃げやがったかぁ!」
「座ったところが温かい……まだ近くにいるねっ!」
八尋狩りの魔の手は、確実に獲物を追い詰めていました……が。
「そんな甘くないよ八尋は~。ほら~、足跡が途中で消えてる~」
風子がブラフに気づいた模様。
「熊かあいつは……」
あちこちに仕掛けられた八尋の誘導に、歩たち八尋捜査陣は手を焼いています。
一方その頃、八尋は社殿の裏にある土蔵に隠れていました。
このあたりなら周囲の土が硬く乾いているので、足跡が残りません。
見渡しが利いて、いざとなったら社殿の床下に逃げ込める、それなりに有利な位置取りです。
「ふうっ、とりあえずは凌いだかな?」
しかし厄介な状況には違いありません。
魔性に魅入られて目玉グルグル状態なら、距離を置いて一定時間逃げきれば八尋の勝ちですが、耐性を持つ歩と風子が、魔性と関係なく追い回しているので、いつまでどこまで逃げればいいのやら。
「そんなに時間ないね」
なにせ森の中なので、蚊や蚋が飛び回っています。
もし刺されたら、お肌の弱いネグリジェ姿の八尋では、ひとたまりもありません。
「開いてる……」
土蔵の扉が全開になっていました。
漆喰で塗り固めた蔵戸前(開き戸)が全開なのは普段からでしょうが、内側にある格子戸が隙間を開けていました。
「ここに隠れたら……バレるかな?」
「間違いなく見つかるわねぇ」
「わあっ‼」
中から現れたのは由宇先生でした。
「追われてるのねぇ。じゃあ私が匿ってあげるぅ」
「……ぼくがどうして逃げてるか知ってるの?」
騙されやすさで定評のある八尋ですが、よく知らない人のいう事を簡単に信じるほどお馬鹿ではありません。
それに、相手は教師とはいえ女性です。
魔性で目玉がグルグルしたら、腕力のない八尋では抵抗できません。
下手をすれば土蔵でDTを失う破目に。
――それを心底嫌がる八尋も、男として大概ですが。
「魔性なら歩から聞いてるわぁ。どうやら大丈夫のようねぇ」
由宇先生が高校時代に蕃神をやっていたのは、歩から聞いています。
「ホントだ。すぐ傍なのに、ぜんぜんグルグルしてない……」
ただしグルグル抜きで八尋を追いかけ回している人たちがいるので、油断は禁物です。
「……どこに逃げればいい?」
「社務所がいいわよぉ。あそこは離れで鍵もかかってるしぃ」
社務所は神社の事務所を差す言葉ですが、この場合は受付やお守りなどを販売する小屋を差します。
「わたしも行くからぁ」
「一人で行くから鍵ちょうだい!」
暑そうな小屋で朝チュンは御免です。
「ちょっとお話があるのぉ。歩はあんまり異世界のお話をしてくれないからぁ」
それでも魔性の話だけはしているのは、八尋のDTが奪われるのを恐れているからでしょうか?
「また事情聴取?」
昼間は月長の蕃神用食堂兼会議室で、あまも亭では会議室で。
聴取のセオリー通り、何度も何度も同じ話を繰り返させられたので、八尋はいい加減ウンザリしていました。
「私からもぉ、教えられる事があると思うのぉ」
由宇先生の手には、山盛りの古文書が。
「わかった。ところで先生、虫刺されのお薬持ってる?」
お話している間に、三か所も蚊に刺されてしまいました。
「社務所にあるわよぉ。虫除けもあるわぁ」
歩たちの懐中電灯が、近くまで迫っていました。
すごく痒いのですが、お肌の弱い八尋が掻くと、血が出て酷い結果になるでしょう。
「わかった。行くよ先生」
八尋は【先生】を強調していいました。
聖職者の理性に期待しての発言でした。




