第五章・魔海対策庁昂州支局棟【あまも亭】・その六
「どうしてこうなった……?」
八尋は歩の膝に座らされていました。
この座席にはエアバッグが背中側についています。
しかも常に展開状態。
前面防御力は皆無で、風子の容赦なき『あ~ん』が、ひっきりなしに繰り出されます。
「ほら簗くんも食べるのっ! 八尋くんは好き嫌いなく食べてるよっ!」
「ふひゃっ! あ、あ~ん……」
簗は藍子の膝に拘束され、百華にご馳走を無理矢理食べさせられていました。
ここは魔海対策庁昂州支局棟【あまも亭】の蕃神専用食堂【蛸壺之間】。
オンボロ旅館を改造中のあまも亭は、整備されたばかりの空調設備が故障中で、現在、月長の整備員さんたちが応急修理中。
そのため蛸壺之間は、猛暑で室温と湿度が上昇しきっていました。
夕食を取り仕切っていた簗が、ご飯をよそっている最中に、あまりの暑さに青春を爆発させた陸女組の二人に捕縛され、それを見て対抗意識を燃やした歩に八尋が捕まって、たちまち阿鼻叫喚の地獄絵図。
廊下には巫女さんや仲居さんが控えていますが、皇族以外の一般市民は蕃神との会話が禁じられているので、そうそう手出しはできません。
「みんなおかしくなってる……」
窓は全開になっているものの、先ほどから涼しい海風がぱったり途絶えて熱風ばかりが吹き込み、室内はひたすら猛暑猛暑。
おかげでJKどもの暴走は留まるところを知りません。
頼みの綱だった小夜理は、一日中吐き続けて疲れたのか、真っ先にダウンして座布団を枕に眠っています、
玉網媛と宝利命は、なのりそ庵に送る書類を作成中で、いまは執務室。
この惨状を、一体誰が止められるというのか。
「八尋~、わたしのお刺身が食べられないっていうの~?」
風子が難癖をつけてきました。
酔っ払いのオッサンみたいです。
「正気に返ってよって暑い暑い暑い!」
背中のエアバッグが密着率を爆上げして不快指数が急上昇。
「八尋テメェ俺のオッパイが嫌だと抜かすか⁉」
ヒラさんの宝珠を持っているおかげで、目玉のグルグルこそ出ていませんが、それでも歩にセクハラされる運命なのか。
「それでもオトコか~!」
風子はパワハラ上司と化しています。
「前々から変だと思ってたんだよなぁ。男子は女子にもみくちゃにされたら、普通は喜ぶもんだろぉ? なんで八尋は逃げるばっかりなんだぁ?」
「八尋はお子様だからね~」
子供は女性に抱きしめられると、エロより恥ずかしさが優先して、つい『や~ん』と逃げ出してしまうものです。
「いや違うな。あれを見ろ」
歩が指差す先には、藍子と百華にセクハラ三昧される簗の姿がありました。
子供らしく恥ずかしがって逃げようとしていますが、八尋とは少し様子が異なります。
「あ~っ! テント隠してる~!」
体を丸めて必死に股間を押さえていました。
「あれが正しい男の姿だ」
「いやぼく、いまついてないから!」
女の子になった八尋は物理的にテントを張れません。
「ついてる時だって一緒じゃねぇか」
「我慢してるんだよ! 変な期待されてるから抵抗してるんだよ!」
「普通は我慢しようったって、できるもんじゃねぇんだよ。まさか性の目覚めがまだなのかぁ⁉ ならば生乳の海に沈めぇ!」
たちまちひっくり返されて、はだけた浴衣からはみ出た巨乳に埋められてしまいました。
「ぶぁずげでぇ~~~~っ‼」
しかし、そこに僅かな隙が生まれます。
「うわっちしまった!」
八尋は姿勢をさらに低くして後退し、四つん這いで乳埋め地獄から辛くも脱出。
フナムシのようにお膳の下をカサカサ移動、反対側からお尻を出しました。
「そうだ簗くん!」
同じく生き埋めにされた簗の足を掴んで引っこ抜きます。
「あっ!」
「やーん、逃げちゃダメーっ!」
「ありがと八尋さん!」
ズルズルと引きずり出すと、簗は前のめり状態で立ち上がります。
「簗くん逃げよう! ここはもうダメだ……あっ⁉」
寝惚けた小夜理が八尋の帯を掴んでいました。
「待て~」
「逃がさねぇぞぉ……」
ゾンビのようにフラフラしながら追い縋る風子と歩。
「ええい、仕方ない!」
八尋は咄嗟の判断で帯を解き、手で裾を押さえながら走ります。
「こっち!」
前屈みな簗に手を引かれて出口に急ぐと、扉から中を覗いていた仲居さんたちが道を開けました。
「はいっ!」
「ありがと!」
仲居さんから受け取った予備の帯を八尋に渡す簗。
手を離した簗は、前垂れ(エプロン)をスカートのように持ち上げました。
「男の子だもんね……」
股間のテントは絶対に隠さねばらなないのです。
と、その時……。
ゴォンッ!
あまも亭いっぱいに轟音が。
天井の通風孔から冷気が流れ始めます。
同時に屋外から、整備員さんたちの歓声が聞こえました。
「冷房が!」
「やったあ!」
これでゾンビウイルスが駆逐され、みんな正気を取り戻すはず。
でも冷房ワクチンが効果を表すまでの間、隠れる場所を探さなくてはいけません。
「そうだ、外に行こう。レンさんとの約束もあるし」
「それなら渡り廊下に草履があるよ!」
草履は三足ありました。
八尋が素早くかつ適当に帯を巻きながら履いていると、その間に簗は残った一足を仲居さんに手渡しています。
追跡手段と脱出の痕跡を同時に消す、一石二鳥の判断です。
「やるなあ」
庭園を駆け抜け、あまも亭の敷地を出ると、すでにとっぷりと夜が更けて周囲は真っ暗闇。
「ちょっと待って」
簗が仲居さんからもらったらしい軍用の小型懐中電灯を取り出して、把手をニギニギすると、弱々しくも心強い光が灯ります。
「この道は舗装されてないし危ないから、足元に気をつけて」
「うん、わかった」
校庭からオンボロ部室小屋へと続く獣道を思い出します。
「ここイノシシとか出そう……」
「熊もいるけど、ぼくが守るから」
簗はちょっと恥ずかしそうな表情でいいました。
「さっきのドロップキック、凄かったもんね」
百メートル以上のロウニンアジ悪樓を蹴り飛ばす簗が、たかだか二メートルそこそこの熊やイノシシに負ける訳が……。
「ダメだよ、ぼくの近くにいると神力が使えないよ」
「ここのヌシは、この前、小生が殴っといたから、怖がって近寄らないと思う」
斜め上な返答がきました。
「この子は金太郎か」
あまも亭の周辺一帯は、簗の制圧下にある模様。
雰囲気は八尋そっくりなのに、意外と野生児です。
これも隼瑪の教育によるものなのか。
「うわっと!」
考え事をしていたら躓きました。
「八尋さん!」
簗に抱き留められます。
「坂道だから注意して」
「う……うん、ありがと」
ちょっと宝利命を思い出しました。
「簗くんはきっと、いいヒーローになれるね」
「えっ?」
「皇族ってヒーローなんでしょ? 宝利みたいな」
二人は手を繋いで山道を歩きます。
「……ぼく、皇族じゃないよ」
「違うの?」
隼瑪は先々代女皇の孫娘で、簗は曾孫に当たります。
「うん、正確には準皇族。小生みたいな傍流は、手柄を立てないと皇族になれないんだ」
「立てればなれるの皇族って⁉」
歩が『皇族はアメコミヒーロー』といっていたのを思い出しました。
「母上に『皇族になりたい』っていったら『じゃあ悪樓を退治するにゃ』って」
つまるところは人気商売。
アメコミヒーローやプロのスポーツ選手と一緒で、活躍して人気を博すると一軍に昇格できる的なシステムのようです。
「それで釣行艦に乗ったんだ……」
昼間に悪樓をぶっ飛ばし蕃神たちを守ったので、あれが新聞に載れば、すぐにでも皇族になれるのではと、八尋は思いました。
「あっ、月長が見えたよ!」
海岸に灯りが見えました。
もう一隻、小早が停泊しているようです。
おそらく魔海対策庁が連絡艇に使っている【蜂雀】でしょう。
「八尋さん、上!」
「えっ? うわあっ!」
空飛ぶ何者かが、目の前にドスンと着地します。
「宝利!」
マッチョでした。
「二人とも苦労をかけたな。蛸壺之間は姉上が制圧した。もう帰ってよいぞ」
木々で隠れて見えませんが、あまも亭から玉網媛の暗黒オーラが漂ってくるのを感じます。
いまごろお説教の真っ最中に違いありません。
「ごめん宝利、ぼくたちレンさんに会おうと思ってるんだ」
「むっ、先ほどの約束か? ならば吾輩も同行しよう」
「えっ? でも……」
簗を見ると、ちょっとだけ残念そうな顔をしています。
「蜂雀がきておるからな」
宝利は簗の強さを疑ったりはしませんが、いまは別の心配をしている模様。
「ひょっとして抄網さん?」
蜂雀はいまでこそ連絡艇として使われていますが、本来は抄網媛の専用艦です。
「八尋と簗を会わせるのは、碌な予感がせぬ」
猫にマタタビどころか、トンビに油揚げなんて可能性もあります。
「抄網姉様がきてるの⁉」
変態さんの話題に簗が飛びつきました。
「知ってるの?」
「昔はよく遊んでもらいました。噂もいろいろ聞いてます!」
「……どんな噂?」
街で女の子をナンパして連れ込み宿で朝チュンとか、八尋を拐かして悪戯しようとしたとか……。
「醒州軍の車両をいっぱい開発したそうですね! 小生も昂州陸軍が購入した戦車に乗せてもらいました! 乗り心地は最悪でしたが、あれはいいものです!」
目がキラキラ輝いてます。
「ああうん簗くんも男の子なんだね」
戦車や軍用艦艇は男子の大好物と相場が決まっています。
現実の変態さんを見て、子供の夢が木っ端微塵に破壊さなければいいのですが……。
「……って、ホントにいるよ抄網さん」
波止場で月長の舳先を見上げてニヤニヤしていました。
「うわーん見ないでーっ!」
恥ずかしさのあまり、簗が駆け出します。
「おおっ簗くんじゃん! ひっさしぶりー!」
大柄な抄網媛は、簗をヒョイと抱き上げました。
「わあっ抄網姉様! いやあっち見ないで!」
全裸の簗を模した船首像を見ながら、本物の簗を抱きしめて頬ずりする極楽浄土。
「あ、あれはセーフかな?」
かろうじて変態バレだけは避けられそうです。
「……って、ちょっとあれ前と変わってない⁉」
船首像は前回と異なる姿に変貌していました。
股間のリアルなお〇んち〇は、妙な飾りに隠されています。
それはいいのですが、モデルが二人に増えていました。
「あれぼくじゃん!」
真鍮の簗と八尋が抱き合っている姿になっていました。
「あのポーズ……まさか!」
レンの口から目玉状の球状総合感覚器官が現れた時の……。
二人が震えながらオシッコを漏らした時の、あられもない姿です。
「「見ないで――――っ‼」」
簗と八尋の声がハモりました。




