第五章・魔海対策庁昂州支局棟【あまも亭】・その二
「ヒラさんって宇宙生物だったんだ……」
そう考えると全長一・五キロは小さい方かもしれません。
しかも八尋たちの世界では、生物としてありえない形態です。
神気と神力が支配する、異世界ならではの生命体でしょう。
「ナレーションは【星の幽霊】って説明してたけど、惑星が龍の卵なんだって考えた方がいいのかも」
八尋は自分の世界の常識を、あっさり放棄します。
「恒星や銀河が卵になるよりはマシだよね」
超新星爆発や大質量ブラックホールから、龍のような神力生命体が誕生した日には、どんな巨大生物になるか、わかったものではありません。
「天文単位(地球から太陽までの距離)級の生物なんて、想像したくもないよ」
TV画面を見ると【GHSスペシャル・脅威の大宇宙 ~八億年はるかなる旅路~】の放送は終了したようですが、夢はまだ終わっていません。
「次の番組も観なきゃダメ?」
しばらく訳のわからない番宣が続いたあと、時報が表示され、新たな番組に放送枠が切り替わりました。
タイトルは【GHSスペシャル・プラネットワーム ~魔海・悪樓せめぎあう異常空間~】。
「やっとぼくにもわかるテーマになった」
わかる、わからないというより、SFや科学知識の乏しい玉網媛にも説明しやすい内容です。
たぶん、きっと……願わくば。
『眠りについてから四千七百二十三年と百五十六日経ちました……』
この世界の一日は、八尋たちの世界と一緒で二十四時間。
ただし、本当に同じかどうかは確認の方法がありません。
一年は三百六十五日ですが、うるう年は三年に一度なので、少なくとも公転周期は異なるようです。
『堆積した土砂や付着物を落として海中を進むと、周囲には生命が満ち溢れていました』
画面上には魚たちが泳ぎ回っています。
右下には、やはり【再現CG】と書いてありました。
「ちょっと早くない⁉」
僅か数千年で、この体たらく。
「いくらなんでも不自然だよ!」
生命の誕生から多細胞生物の発生に至るまで、地球では数十億年の歳月を必要としたはず。
それが五千年も経たないうちに、いきなり魚類。
しかも八尋の知っている、ちょっとトゲトゲしながらも、地毬のそれと同じ、魚種の識別まで可能な回遊魚。
たぶんマイワシと、それを追うサワラやブリでしょう。
『詳しく観察しようと近づくと、魚たちは蜘蛛の子みたいに逃げ散ってしまいますが、動きを止めて海面を浮遊すれば、むしろ魚の方から寄ってくるとわかりました』
捕食魚に見つからない物陰を求めて魚が集まるのは、八尋も釣りの本を読んで知っています。
「まさか、他の龍が生命の種を作っておいたとか? ……いや、それでも億単位で時間かかるよね」
さっきの番組で見た、かつてこの星にいた生物たちは、小さくて原始的かつ多様で、地球の生物とは似ても似つかないものでした。
新たに生態系を作ろうと思ったら、前に住んでいた生命体を基準した方が、環境に適応しやすいはずなので、見覚えのある魚類がいるのはおかしいと、八尋は疑問を覚えます。
それに、この星の魚介類は、痕跡のみだったとはいえ、龍たちが発見した、どの生命体にも似通っていません。
『上空から観察すると、地表は緑に覆われ、動物たちが走り回っていました』
視覚ではなく、球状総合感覚器官による走査から再現されたCGのウサギとネズミが追いかけっこをしていました。
鳥も飛んでいます。
「魚以外は、ぼくたちの世界とおんなじデザインだ。いや魚だってトゲトゲ以外はおおむね一緒だし。でも、それならどうして……?」
魚介類のトゲトゲを誤差と考えても、地球生物と一致しないものが一種だけ存在する事になります。
『そしてある夜、付近の海上に時空の歪みを発見しました』
考え事をしているうちに、話題が切り替わりました。
「魔海かあ。そういえば、いままで出てこなかったね」
眠りにつく以前は存在しなかった現象です。
目覚めてから惑星上に三百二十七度目の出現でしたが、生物の観察を優先していたのもあって、ヒラさんが後回しにしていた調査案件です。
しかし今回は距離が近く、周囲の状況も、いままでとは少し異なる様子。
ヒラさんは生態観察を中断、歪みの調査を始める事にしました。
『ゆっくりと近づいてみましょう』
薄緑色に光る魔海。
この世のものではない異空間。
接近してわかった事ですが、時空の歪みは魔海の周辺から発せられたもので、魔海の中身はまるで見通せません。
内部は歪みどころか陥没・貫通して、時空に穴が開いている可能性もあります。
入ってはいけない、近づいてはいけないと自己保存機能が警告を発しますが、ヒラさんは知的好奇心を優先しました。
なにより興味をそそるのは、光る異空間の近くに浮いている小さな物体。
『……あっ! 船があります! 大きな船です! 空中に浮いてますよ!』
竜宮船でした。
木製の煙突から、モクモクと水蒸気を立ち昇らせています。
ヒラさんは人間たちを刺激しないよう、高空から観察を続けました。
「もう人間がいる……まさかこの映像、八百年前なの?」
いままでの再現映像に比べると、かなり最近の話です。
『舳先に誰かいるようです。長い髪の女性みたいですね』
球状総合感覚器官の立体的な走査からの再現映像なので、画面の構図は自由自在。
船上の美女がアップで映し出されます。
この人物が誰なのか、八尋はすでに知っていました。
「釣王……」
目元が玉網媛に、口元は抄網媛に似ていると思いました。
『異空間から、なにかを引っぱり出そうとしています』
悪樓釣り。
当時はまだ神楽杖が存在しませんが、その原型となる道具を、釣王自ら発明しています。
『あっ、出てきましたよ! 大きな大きな魚です!』
現れたのは、魚長二十メートルほどのマイワシ。
それを釣王の後ろに控えていたネコミミ少年が、祝詞を唱えて捕獲しています。
しかし当時は大型の部類に入る竜宮船でも、所詮は木造の二形船。
悪樓釣りの対象は、マイワシ程度が限界のようでした。
『空中で静止した魚に変化が現れます。どんどん小さくなって、最後には小さな石になりました』
取り込んだ悪樓は宝珠になります。
ヒラさんは球状総合感覚器官から得た情報から、炭素系生物には消化できない物体と認識しました。
太陽光をエネルギー源にした光合成や、他の生物から取り込んだ養分ではなく、神気を動力とする、龍のような神力生命体に近い構造になっています。
これは食べるための捕獲ではなく、なにか別の目的があるのではと、ヒラさんは持ち前の知的好奇心を刺激されました。
『どうやら大物がかかったようです!』
魔海に引きずり込まれまいと、必死に抵抗する木造船。
釣王も難儀している模様。
神気を利用して空中を飛ぶ竜宮船は、神気の真空領域である魔海に進入すると、墜落して下の海面に激突、木っ端微塵になってしまいます。
『これはもう介入するしかありませんね。一気に接近しちゃいましょう!』
時空を捻じ曲げ力づくで抉じ開けて、高空から現場までの超空間ゲートを潜るヒラさん。
安宅船を壊さないように、そっと巻きついて神力で捕獲、魔海に落ちないように守ります。
しかし無理に割り込んだせいか、体表の一部が魔海に接触しました。
『痛い! いえ熱い! どうやら魔海は龍を受けつけないようです!』
魔海に飛び込んだレンがそうだったように、触れた部分がボロボロと崩れ落ちました。
苦悶するヒラさん。
ただし悲鳴を上げたくても口がありません。
『その時、糸を手繰っていた人間が飛び移ってきました』
神力を使った跳躍です。
降り立った部分が火傷するように痛みますが、魔海に比べれば、蚊に刺されたようなものでした。
「神力中和……あれ?」
いままで八尋がヒラさんに触れて、火傷や怪我をさせた事はありません。
そもそも神楽杖で呼び出した時は、平気な顔をして魔海を泳いでいます。
『ちょっと痛いですが、これで船を守る必要がなくなりました。離れて釣りのお手伝いに専念しましょう』
龍は飛行や浮揚だけでなく、竜宮船と違って体を空中に固定する能力もあるので、必ずしも魔海の上で釣りをする必要はありません。
魔海の横、断面の近くに出ました。
釣王が思う存分釣りができるように、しっかりとした足場を与え、大物悪樓の動きに合わせてヒラさんは移動を繰り返します。
『大変です! ヤケになった悪樓が、まっすぐこちらへ向かってきます!』
悪樓が魔海から飛び出しました。
「ヒラシュモクザメだ!」
五百メートルにも及ぶ、巨大な灰色の魚体。
それに対するヒラさんの対応は……。
「うわあっ、グロい……」
頭部に巨大な吻(口)を、胴体に胃袋を、瞬時に生成しました。
モデルは深海で見かけたフウセンウナギ。
大きな吻で、自分と同じくらいのサイズを持つ魚も一呑みにしてしまう、獰猛な魚です。
そしてヒラさんは、自分より太いサメを一瞬で飲み込んでしまいました。
釣王が慌ててエサに使っていた宝珠の魚を回収します。
全身に激痛が走り、神気でできた肉体が崩壊を始めますが、ヒラさんはサメを放すつもりはありません。
しばらく経つと、お腹に入ったサメが小さくなって消滅しました。
宝珠になったのか、それとも消化されてしまったのか……。
ヒラさんの映像(再現CG)が変化を始めます。
しばらく経つと、ヒラさんは真っ白なヒラシュモクザメになっていました。
全長は百五十メートルちょっと。
八尋が何度も見た事のある、生成り形態です。
尾ビレが魔海に触れると、体の神気が抜ける感覚があったものの、火傷や肉体の崩壊は一切ありません。
「サメを取り込んじゃった……」
番組はそこで中断、台風速報が始まりました。
どうやらヒラさんは、この先を作る時間がなかったようです。
でも謎はいくつか解けました。
どうしてヒラシュモクザメの姿をしていたのか。
答えはヒラさんの中で感じた、もう一つの精神にあります。
ほぼ融合しきって一体化していましたが、ヒラさんが飲み込んだヒラシュモクザメの魂に違いありません。
そしてもう一つの謎。
魔海に触れると崩壊する龍が、どうしてサメの姿なら魔海に入っても平気なのか。
悪樓を取り込んだからです。
生成り形態なら神力を中和されてしまいますが、神楽杖を通して出現し、釣力の供給を受ければ、魔海の悪影響を受けずに泳ぎ回れるのでしょう。
「サメを飲み込んじゃうヒラさんもヒラさんだけど、釣王もかなりトンデモな人だったね」
釣りの真っ最中に突如現れた龍に飛び移るなんて、普通の人間に真似できる行為ではありません。
それは常人にあらざる超人、ヒーローの発想です。
「ヒラさんはそこに惚れちゃったのかな? だって宝利みたいだもん」
おそらくヒラさんは、このあと宝珠になって竜宮船に回収され、釣王のお友達になったのでしょう。
GHSスペシャルは、これにてお仕舞い。
八尋は夢から覚めつつあるのを実感します。
「そういえばぼく、どこで寝ちゃったんだっけ……?」