第四章・LINDORM・その五
速安宅【月長】の後檣楼、その根本には、蕃神専用食堂兼会議室が存在します。
そこで簡単な昼食を取ったあと、八尋は皇族たちによる事情聴取を受けていました。
食堂は畳敷きで、お膳の向かい側には玉網媛が座っています。
宝利命は玉網媛の隣に、歩と風子が八尋の両隣に。
藍子と百華は前檣楼の根本で、正確には厠で小夜理の面倒を見ています。
簗は疲れきっているのか、八尋の膝枕でスヤスヤと寝息を立てていました。
裸同然のフルチン状態で拗ねていた簗が、どうやって防空指揮所を脱出したのか。
なんでも空からキンツリ(黒猫褌)が落ちてきたそうです。
『ヒラさんナイス!』
上昇気流でクルクルと舞い上がるキンツリを見つけて、咥えて回収。
垂直着艦する直前に投下してくれたのでしょう。
ただしサメの鋭い歯で布地はボロボロ、投下しやすくするために水分を含ませていたので、肌触りはべっとり。
それでもどうにかお〇んち〇を隠せたので、もう簗はヒラさんに足を向けて寝られません。
その代わり、八尋の膝を枕にしていました。
「蕃神様になんて事を……でも許されないのに許してしまう、この気持ちは一体……?」
「可愛いからね~」
玉網媛の疑問に風子が即答しますが、ちょっとハズレ。
正解は、簗が美少年だった頃の宝利命に似ているからでした。
「可愛ければ~、大抵の事は許せちゃうんだよ~」
眠れる子猫を前に、鼻の下を盛大に伸ばす風子。
風子だけでなく全員伸びきっています。
「なにはともあれ白和邇の話を聞かせよ。黄銅の龍もだ」
いつの頃からか、宝利命はヒラさんを白和邇と呼んでいました。
そして、八尋が宝利に信頼を寄せているように、宝利も八尋を絶対に守ってくれると信じています。
ちなみに玉網媛は、いつヒラさんが建物や艦を壊さないかと戦々恐々《せんせんきょうきょう》です。
「わかった。ヒラさんだけど……」
宝利命に急かされて、八尋はヒラさんの記憶を覗いた時の話を……。
「…………あれ?」
思い出せません。
覗く過程は思い出せるのですが、内容が頭に残っていないのです。
「やっぱり脳の規格が違うのかな? ものすごく曖昧な感じで、イメージが形にならないよ……」
「や~い、八尋の役立たず~!」
風子の根拠なきブーイング。
「でもヒラさん、ぼくの頭に置き手紙を残してくれたみたい」
「どこにもないよ~?」
風子は八尋の髪をモシャモシャして探します。
「頭の毛じゃなくて、頭の中だってば」
「ウイルスだったりして~?」
「違うよ!」
見当違いな指摘をされて、ムッとする八尋。
「なんか眠ると開くって」
「夢で伝えるのですか? それはまた奇妙なお手紙ですね」
玉網媛は閻魔帳にスラスラと筆を走らせました。
宝利命も帳面に鉛筆でなにかを書いています。
あとで内容を突き合わせて確認し、それから報告書を作成するつもりなのでしょう。
「ではお眠りください。不肖ながら、わたくしの膝枕をどうぞ」
皇族は……というか、玉網媛は気が短いのです。
「眠れないよ! それ絶対眠れないシチュだよ!」
正確にはドキドキして眠れません。
「つーか、俺が隣なんだから俺の膝を使うべきだよなぁ」
胡坐をかいていた歩が正座に直して膝をポンポン叩きます。
「じゃあ~、あゆちゃんは玉網さんの膝を使えばいいよ~。宝利さんがお膳を持ち上げて~、玉網さんがわたしの膝で寝て~、わたしが簗くんの膝で寝るの~」
「なにそのシュールな昼寝サークル⁉」
「じゃあ俺の胸で寝るか」
「歩さん寝かせる気ないでしょ⁉」
「八尋はね~、ほ~さんの大胸筋に包まれて眠りたいんだよ~」
「…………⁉」
「……なぬっ⁉」
魔性で乱心した抄網媛による八尋誘拐事件が解決したあと、小早【霜降雀】の後甲板での、宝利命のプロポーズ。
即決で断ってしまったものの、八尋は……。
せっかく忘れたフリをしていたのに、風子に挑発された八尋は、つい宝利と目を合わせてしまいました。
「あっ、あの……うぅっ……」
「……うむ、その……なんだ……」
互いに顔を真っ赤にして誤魔化し合う二人。
「やっぱり気にしてるね~。こないだプロポ~わたべぇっ⁉」
調子に乗って囃し立てる風子の頭頂部に、歩のチョップが入りました。
「こりゃいますぐ寝るのは無理だなぁ」
「そ……そうだな。事によっては、次の召喚まで待たねばならぬやもしれぬ」
「わたくしも……急ぎの用ではないと思います」
空気を読んで掌を返す玉網媛。
「ご帰還あそばされた暁には、歩様がたに聴取をお願い致しましょう」
「わかった。俺たちが覚えて、個別に書き出すなりすりゃいぃんだな」
歩は玉網媛の依頼を、すんなり承諾しました。
「八尋、起きたらすぐメモしとけ」
夢の内容は長時間覚えていられないものです。
「たぶん普通の夢とは違うと思うけど……一応やっとく」
「八尋は忘れると思うな~。メモも夢の内容も~」
「……ところで隼瑪さんは? 独角仙もいなくなっちゃったし」
風子を無視して、八尋は飛行甲板の後端をロウニンアジ悪樓に食いちぎられた独角仙の心配をしました。
食堂にあるどの舷窓を見ても、あの不格好な矢倉船の姿はありません。
「叔母上と独角仙は災害救助に向かった」
「災害?」
「津波だ。大した規模ではなかったが、漁船が二隻転覆し、近隣の島々が被害に遭うたらしい」
レンの離水と、下半身の落水が高波を発生させたのです。
「避難勧告があと一歩遅れておれば、死傷者が出たやもしれぬ」
「そっか……」
転覆漁船の漁師さんたちも救助されたようです。
「これも歩様のおかげです……」
警報を出せと進言したのは歩でした。
あれがなければ、津波がどれほどの被害を及ぼしたか見当もつきません。
「こっ恥ずかしいからやめてくれよ。俺は当然の事をいったまでだ」
弥祖皇国の地震研究は、歴代蕃神たちの努力と技術移転のおかげで、それなりに進歩していますが、唯一進んでいない分野が津波対策でした。
怖さと被害は言葉で表現できますが、専門的なデータまでは伝えられないのです。
なにせいつ召喚されるともわからない女子高生の一夜漬け記憶だけが頼りで、基礎研究がまともに進みません。
かろうじて大きな島や市街地周辺に防波堤が作られていますが、大規模な津波にどれだけ耐えられるかは一切不明。
軍の災害出動に至っては、組織運用の実績がまったく存在しないのが現状です。
「まぁ、今回の災害で研究にカネが回るようになりゃ、ちょっとは変わってくるのかなぁ」
死傷者ゼロの津波災害で各種のノウハウが得られるなら、安いものでしょう。
「それで独角仙は、州海軍の災害派遣任務に赴いているのです」
話が長くなりそうなので、玉網媛が強引に締めました。
「隼瑪さんまで行く意味あるの?」
「参れば民が喜び希望を与えよう。軍の士気も上がり犯罪率も激減する」
「そんなに⁉ 皇族って、そこまで人気あるの⁉」
「八尋は皇族をなんだと思ってんだ?」
「皇族は皇族でしょ? 女皇様の親戚」
「違うな。例えるなら、そうだな……アメコミヒーローみてぇなもんだ」
歩の口から常軌を逸した回答が飛び出しました。
「ヒーロー⁉ 宝利だけじゃなくて⁉」
宝利命ならマッチョで勇ましく、強きを挫き弱きを助けるヒーローにイメージがピッタリ重なるのですが、小柄でポッチャリでオバチャンな隼瑪がアメコミヒーローといわれても、簡単に納得できるものではありません。
「叔母上は【昂州の弾丸】の異名を持っておられる。現役時代の活躍ぶりは吾輩もよくは存ぜぬが……」
なにせ宝利命が生まれる前の話です。
ただし共に皇座を巡って争った魔海対策庁の最終兵器、巻網媛の異名は【ばけもの】なので、隼瑪が正義の味方枠なのは間違いありません。
「お話を戻しましょう。あのサメ、いえ龍……?」
「どっちなの~?」
「そもそも、なんで悪樓由来の宝珠が龍やってんだぁ? もう一尾の方は魔海に入って崩壊してたぞ?」
ヒラさんは少なくともヒラシュモクザメ形態なら、平気で魔海に進入できます。
「あのサメ~、飛んでる時は魔海に入らなかったよ~?」
「それは八尋様宛ての手紙で判明するかもしれませんね」
「あるといいなあ……」
手紙の内容については、いまさら八尋にどうこうできるものではありません。
「ところで姉上、公式名称を決めねばならぬな」
「ヒラさんの?」
「その名では通称にしか使えぬ」
「もう白和邇でいぃんじゃね? 宝利さんも使ってるんだしさぁ」
「では白和邇で」
最終的な命名権を持つのは長官の巻網媛、いまは次官の宝利命が持っているのですが、玉網媛が強引に決定してしまいました。
いい加減、話を進めたくてイライラしていたのです。
「八尋様、一部始終を覚えていらっしゃる限りお話しください」
「小声でね~。あとたまちゃんは暗黒オーラを控えてね~」
耳元でこれだけ話し込んでいるのに、簗は八尋の膝で、ぐっすりすやすやと眠っていました。
たまに尻尾を振っていました。