第四章・LINDORM・その四
『……さてと、次は簗くんを降ろさないと』
ヒラさんは、まだ魔海上空を周回しています。
すでに魔海から離れている艦艇の安全を確認していると、独角仙の飛行甲板から大型の伝馬船が発艦するのが見えました。
どうやら蕃神たちを乗せて、月長に向かうようです。
『月長と独角仙、どっちに行けば……月長に決まってるよね』
宝利命がいるからです。
八尋はこれから簗を、その次は八尋自身を甲板に降ろさなければなりません。
宝利命なら簗や八尋が落ちてきても、しっかりと受け止めてくれるはず。
たとえ二人同時でも、きっと大丈夫。
「うわあ……服が濡れちゃったよう」
簗はレンの溶解を直視して、恐怖で漏らしてしまい、股間をビショビショにしていました。
『……このまま帰す訳には行かないよね』
皇族として、いえ男子として沽券に関わります。
――放水の準備が完了した。加減は任せる。
ヒラさんは、こんな事もあろうかと大気から水分を分離して蓄えていました。
『さっすがヒラさん!』
八尋の記憶と知識から、海水が乾くとお肌がベタベタすると知り、、ヒラさんは洗浄を考えていたのです。
簗が漏らしたのは想定外ですが、洗ってしまえば同じ事。
運よく魔海は複数の積乱雲に囲まれ、空域の湿度が急激に上昇中。
全長一・五キロのヒラさんの、十七個もある鼻の穴から取り込む大気には、大量の水分が含まれていました。
『簗くん、こいま水をかけるから息を止めて』
「えっ⁉ あっ……うん!」
簗はフンッと可愛らしく呼吸を止めました。
八尋は集めた水分を腕に送り、全方位からシャワーのように噴射します。
「わひゃあっ! くすぐったい!」
可愛い声が漏れました。
八尋は面白がって股間を中心に水をかけます。
十秒ほどシャワーを浴びた簗の神官服は、すっかり綺麗になりました。
その代わり……。
『あっ、しまった!』
上からも噴射したせいか、水の勢いで簗の袴がスルリと脱げて、指の間から滑り落ちて行きます。
『やっちゃったー‼』
帯も解けて、簗は丈の短い肌襦袢と、脱げかけの白衣のみという悩ましいお姿になってしまいました。
「ひゃぁぁ……」
簗は寒そうにブルブル震えます。
『ごめん簗くん! 大丈夫⁉』
「う……うん、平気。でもちょっと冷えちゃった」
夏場とはいえ魔海上空は高度二千メートル近くあり、しかも周囲を低気圧に囲まれているせいか、周囲の気温は急激に下がっています。
『お湯にするべきだったね。いま温風をかけるから……』
水噴射に使っていた即席ノズルを空気に切り替えて、手の中を温めると、半脱ぎ状態だった白衣も飛んで、生乾きのミニスカモジモジネコミミ少年が爆誕しました。
『うっわーラブリー……♡』
クラスメイトたちや釣り研究部員たちや船釣り部員たちが、どうして八尋をなでくり回したがるのか、わかった気がしました。
「うにゅぅぅぅぅん」
裸同然になった簗は、恥ずかしそうに俯いています。
『……なんて夢中になってる場合じゃない!』
八尋はヒラさんのコースを月長に向け直します。
『簗くん、これから月長の飛行甲板に落として、宝利に受け止めてもらう。なにかあったら簗くんの神力で方向転換できる?』
「大丈夫。適当に落としてくれれば自力でも降りられるよ」
ヒラさんのサポートがないと跳躍できない八尋と違って、簗は慣れている様子。
『そっか。さっきの飛び蹴り、凄かったもんね』
百メートル以上あったロウニンアジ悪樓を一撃で退ける、簗のドロップキックや飛び膝蹴り。
あれに比べたら、十メートルや二十メートルの落下など、大した事ではありません。
『じゃあ月長に接近するよ……って、ヒラさん安定しないなあ』
ウナギのような巨体はグネグネとうねるばかりで、なかなかまっすぐ飛んでくれません。
『これじゃ安心して簗くんを落とせないよ』
ヒラシュモクザメ形態になれば安定するのですが、それだと生やしたばかりの腕が消えてしまい、簗を掴んでいられなくなります。
なにより八尋が自我を保つだけで手一杯になってしまうので、この方法は使えません。
『……そうだ安定翼!』
ヒラシュモクザメの頭部をイメージすると、ヒラさんの頭部から左右に巨大な翼が生えました。
『まだ安定しないね。もっと増やそう』
出鱈目に生えているヒレを揃えて並べたり増やしたり。
ちょくちょくフラッター現象が起こって翼端がバタバタ震えますが、そこはヒラさんの超演算能力で空力を計算し、どうにか治めます。
『そっと降ろせればよかったんだけど、やっぱり落とすしかないね』
腕の全長を伸ばして飛行甲板に置く方法も考えましたが、強度保持のために神力で障壁を張ると、今度は障壁そのものが邪魔になってしまいます。
『そもそも翼が長くて、あんまり近づけないし……』
巨大な体を安定させるために出した翼が、今度は月長への接近を阻みます。
『でもコントロールはしやすくなったし、簗くんは自分で着地できるし、とりあえずアプローチしてみよう』
ヒラさんを月長の速度に合わせ、そっと接近する八尋。
驚いた月長の乗組員が、こちらを攻撃したり逃げたりしないか心配でしたが、玉網媛はともかく、宝利命が腹を括ったのか、月長は進路を変えず、ゆっくりと前進を続けています。
そして左舷の飛行甲板に真っ黒な陣羽織を着た巨人が現れ、両手を大きく広げました。
「白和邇よ! 八尋たちをこちらへ落とせ!」
『宝利!』
八尋とヒラさんがやろうとしている事を、宝利命は理解してくれていました。
なにがあっても絶対に助けてくれる、八尋のヒーロー。
その三角筋を見るだけで、勇気がモリモリ湧いてきます。
『簗くん、放すよ!』
顎の下にある球状総合感覚器官が、の後端を捕えた瞬間、八尋は指を広げて簗を投下しました。
「にょわっ!」
クルクルと空中で三回転し、手足をパッと広げて姿勢を安定させる簗。
『あっ!』
さっきのシャワーで緩んでいたのか、簗のキンツリ(黒猫褌)が蝶々《ちょうちょう》のようにヒラヒラと空高く舞い上がりました。
結んだ紐だけで支えられた簗の肌襦袢は空気抵抗で、はだける寸前。
裾はバタバタと広がり下半身は全開。
宝利命からは、堤防で釣れる小さなナマコのように可愛いおち〇ち〇が、八尋とヒラさんにはプリッとプリチーなお尻が丸見えになりました。
「むにゃああああぁぁぁぁ~~~~っ‼」
簗は恥ずかしさのあまり、ドカンと一発神力噴射。
進路を九十度変えて、前檣楼の防空指揮所まで、すっ飛んでしまいました。
『……あれ、しばらくそっとしておいてあげた方がいいのかなあ?』
しばらく体育座りで熱い床に【の】の字を書いていそうです。
『あとで代わりの下着を持って行ってあげよう』
いまは女の子な八尋が絶対やっちゃダメな事です殺傷力高すぎます。
『それはそれとして、今度はぼくの番だね』
ヒラさんは大きな腕を収納し、八尋の肉体を再構成し始めました。
意識が分離されると同時に、ヒラさんが龍から生成り状態のヒラシュモクザメに変貌します。
「八尋ぉ――――っ‼」
そしてお腹側から顔を出した八尋の視界に、宝利命が……。
「させるかぁ!」
その間に伝馬船が割り込みました。
「八尋こっちだぁ!」
操舵室の屋根に乗った歩が八尋の手を掴み、ズルリと引き出します。
「よっしゃあっ‼」
八尋はたちまち歩の大きな胸の中へ。
「わわっ、歩さん締めすぎ!」
「馬鹿野郎! 八尋のくせに無茶しやがって……」
歩の顔を見上げると、両目がぐっしょりと濡れていました。
「どれだけ心配させたと思ってんだぁ! 危ねぇ真似はすんなって、いつもいってるだろうがぁ!」
胸の間でグニャグニャムニムニされました。
「ごめんなさい……それよりヒラさんは?」
見るとヒラさんは月長の直上から急降下。
前檣楼と煙突つきの後檣楼の間にある発着場の、いまは下がっている昇降機の開口部に飛び込みました。
轟音や破片が飛び散ったりはしなかったので、どうやら無事に着艦した模様。
たぶん、きっと、どこも壊してはいないはず。
それでも玉網媛は、いまごろ羅針艦橋で青くなっているのでしょうが。
「よかった……ヒラさんだけなら簡単だったんだね」
なんだか眠くなってきました。
「もうおねむの時間かぁ? いいぜ。どうせ着艦してもやる事ねぇし、ゆっくり寝てろ」
「うん……」
スヤァ。
フカフカの巨乳を堪能する間もなく、八尋は落ちるように眠り……。
「そんな訳ないでしょ⁉ 放して歩さん抱きしめないでモニュモニュしないでー‼」
恥ずかしがって暴れる八尋。
「せっかく捕まえたんだ放すかよぉ!」
『あ~っ、あゆちゃんずるい~っ!』
『うわあ羨ましい……』
伝馬船の目の前まで迫った月長の飛行甲板に、風子と小夜理と藍子の姿が。
その後ろで宝利命は、バツが悪そうに、そっぽを向いていました。
『げぼうえぇげろごぼぐぼぉ』
小夜理はまた酔ったのか、馬穴を手放せずにいます。
「あたしも混ぜてよっ!」
屋根に上がってきた百華もモフモフ大会に参戦します。
着艦を待ちきれない風子が神力で跳躍、伝馬船に乗り移り、モフモフ大会が大モフモフ大会になりました。
あまりの乱痴気騒ぎに、もう手順なんてどうでもよくなったのか、伝馬船は飛行甲板にドカリと乱暴に着艦します。
「……宝利?」
もう目の前まできたのに、八尋のヒーローは後ろを向いていました。
「どうしたの?」
なんだか物々《ものもの》しい雰囲気です。
「なにかあった?」
八尋は大モフモフ大会参加者を屋根の端まで引きずって、飛行甲板の宝利を覗き見ます。
「もしかしてヒラさんが昇降機を壊しちゃったとか……?」
「……服を着ろ」
「あっ!」
八尋は、すっぽんぽんになっていました。
「んもうっ、ヒラさんったら服くらいちゃんと戻してよーっ!」
巫女服と装備一式は、ヒラさんの宝珠と一緒に、昇降機に落ちていたそうです。