第四章・LINDORM・その一
「うにゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」
「簗くん⁉」
巨大生物の背ビレらしき突起物に、簗がしがみついているのを最初に発見したのは、八尋でした。
「大変! あんなところから落ちたら、いくら簗くんでも死んじゃう!」
先ほどは、魔海を抜けて本物の海面に落ちる刹那、簗は神力で障壁を張って落水の衝撃に耐えています。
魔海と海面の隙間は、僅か数メートル。
神力で減速する余裕はなく、再び落水して無事でいられる保証は、どこにもありません。
今度は先ほどよりも高度があります。
『八尋! ヒラシュモクザメを向かわせろ! 簗を拾い上げるんだ!』
羅針艦橋に向かった隼瑪の代わりに、管制塔から指示を出す歩。
「そっか、ヒラさんお願い!」
しかしヒラシュモクザメは巨大生物に背を向け、八尋たちのいる独角仙に向かってきました。
「ヒラさん、なにを……あっ」
共感で八尋にサメの意思が伝わります。
『なにやってんだ! 早くサメを……どうした八尋?』
「……ヒラさん、乗れって」
『なにぃ⁉』
ヒラシュモクザメは独角仙の上空を通り抜け、反転して艦底スレスレに迫ります。
『おいなにやってんだ八尋やめろ動くななにもするなぁっ‼』
八尋は歩を無視し、思いきって舷墻を乗り越え、飛行甲板から飛び降りました。
「ヒラさーん!」
斜めに飛行するヒラシュモクザメの背ビレ近くに降り立つ八尋。
上昇に備えて体勢を戻すサメから振り落とされそうになりますが、そこは両手両足に神力を込めて吸着、耐え忍びます。
『戻ってザザッ尋! アレがザッ手じゃ、いくらなザザザザーッ‼』
通信がノイズと共に途切れました。
「そっか、あれが強力な神気か神力を放出してるんだ……」
蕃神や皇族が装備している小型通信機は、神気を波長に変えて音声を送受信する仕掛けです。
しかし巨大生物がサイズ相応の、神気波妨害を起こすほど強大な神気を発生させているとなれば……。
八尋はヒラシュモクザメが視覚でもロレンチーニ瓶でもなく、なにか得体のしれない感覚器官で巨大生物を捕捉し、走査しているのを感じます。
「神気の……いや神気が固体化して体になってるの?」
まるで台風のように巨大な、超高圧神気の塊。
肉体そのものが神気で構成され、しかも肉眼で見えるほど凝縮されているとヒラシュモクザメの未知なる感覚が読み取り、感情を通じて教えてくれました。
八尋はまだ神気をいうものを、まだよく理解できていませんが、どうやらサメはなにかしらの知識を持っている様子。
そして、その正体も……。
「……あっ!」
ヒラシュモクザメの硬いはずの楯鱗に、手足がズブズブとめり込んで行きました。
全身が埋まった瞬間、八尋の意識が拡散します。
『これが……シンクロ⁉』
どちらかというと融合です。
意識がヒラシュモクザメに吸収され一体化する寸前で、かろうじて拡散が止まっている奇跡的な状態。
『うん、わかった。自我って自分じゃよくわからないけど頑張ってみるね』
サメの感覚すべてを受け止めて、自分が何者なのかも忘れそうになりますが、どうやらヒラシュモクザメは、八尋を完全に吸収する気はないようです。
――共感の域を超えても自我は保て。
そういわれて、八尋はなけなしの気合で耐えました。
魚長百五十メートルだったヒラシュモクザメの意識が拡大します。
変化を終えたヒラさんは、もうヒラシュモクザメではありません。
『大きい……でも、その分ヒラさんが薄くなった気がする』
八尋の意識を飲み込もうとする外圧が弱まり、自我の維持が楽になりました。
『もしかして……あれ、ヒラさんの仲間なの?』
全身に並んだ七百七十七の球状総合感覚器官が、ヒラさん自身を把握し、いまの八尋はそれを共感ではなく、自分の感覚として捉えています。
八尋とヒラさんは、全長千五百メートルの巨大生物になっていました。
そしてその体内には、もう一人、いえ一尾……。
――釣王、白き和邇を駆りて龍と相見えたり。
抄網媛が話してくれた神話が脳裏を翳めます。
そして、その思考はすぐにヒラさんの記憶と照合され、八尋の意識に真相が伝えられました。
『いろいろ間違ってたね抄網さん……』
内容の省略や伝言ゲームによる変化は、伝説や昔話にはよくある事。
『いや、政治宣伝でわざと変えたのかな? 龍の正体を隠したかったとか』
玉網媛もよく使う、少なくとも魔海対策庁が魔海対策局だった頃からの常套手段です。
それが遥か昔から続いていたとしても、なんの不思議もありません。
「「「ヴォワオオォォオオオオォォォォオオオッ‼」」」
ヒラさんが三つの大きな口を開けて咆哮しました。
向かうは簗が掴まっている黄銅色の龍。
ただし下半身が魔海に落ちて上半身しかありません。
残った上半身も、体組織があちこち剥落し、骨格が剥き出しになっています。
『うん、助けよう。簗くんも、あの龍も』
ヒラさんは八尋と共に大空を駆け抜けました。
とてつもなく巨大な体をくねらせて、暴れる黄銅龍に接近します。
『これどうしよう……そうだ!』
八尋が思い出したのは、ネット動画で見たアナゴ釣り。
その動画では、釣れたアナゴが糸に絡みついて、お団子になっていました。
『たぶんあちこち怪我して痛いし負担かかると思うけど、確実な手段がいいよね』
黄銅色の龍は強烈な痛みで藻掻きながらも、背ビレに引っかかった簗を落とすまいと配慮しているように見えました。
『……優しい! あの子優しいよ!』
「「「ヴォアアアアァァァァヴヴヴッ!」」」
ヒラさんが咆哮と共に神気を放って黄銅龍に呼びかけます。
『返事がない! 簗くんに集中して、ぼくたちを気にかける余裕がないんだ!』
八尋はちょっとだけ悩みました。
『いきなり抱きついたらビックリして簗くんを落としちゃうかもしれないけど……』
すぐに決意を固めました。
ヒラさんはとっくに覚悟を決めています。
『うん、行くよ。驚く暇を与えなければ……ヒラさん?』
ヒラさんの胴体から細長く巨大な腕が七十七本も生えました。
サイズはそれぞれ五メートルから二十メートルほど。
指は五本揃っていますプニプニ感があります。
『それぼくの腕――――⁉』
なにをやろうとしているのかは理解していても、いきなりは心臓に悪いです。
『これで簗くんを抓み上げるの⁉ 巻きつきながら⁉』
これはなかなかの高難易度。
『あ……うん、そうだね。そこはヒラさんに任せるよ』
ヒラさんは不器用な八尋に精密作業をやらせるほど馬鹿ではありませんでした。
『いっけ――――‼』
ヒラさんはグルグルと渦を巻くように接近を試みます。
そして前から七番目の比較的小さな腕で簗を確保し、龍に絡みつきました。
『やったあ!』
「わわわっ! 今度はなに⁉」
ビックリして神力を放つ簗。
『簗くん暴れないでー!』
ほんの一瞬とはいえ、簗の神力は宝利命を超え、巻網媛にすら匹敵する出力を誇ります。
『ちょっと簗くんやめて痛いーっ!』
簗はヒラさんの指を引き千切り、空中に放り出されました。
八尋に伝わる痛みは一瞬で、すぐに自己修復が始まるのを感じます。
「うわっひゃ――――っ⁉」
『ごめんヒラさんお願い!』
今度は三十二番目の大きな手で簗を掴みます。
『簗くんの神力は一瞬。たぶんチャージに数秒……』
八尋は素早く対応策を練りました。
『なるほど、だからヒラさんは、ぼくと融合したんだね』
生きた人間を安全に捕獲するには、同じ人間の腕と感覚と経験が必要だと考えたのでしょう。
鳥のような手だか足だかわからない肢を持つ黄銅龍とは異なり、ヒラさんは神気の流れを捕えるヒレと、神気アンテナの機能を持つ鬚や突起物があるだけで、手足を持たず、その使い方も知りません。
ヒラさんは人間の腕を見ただけでコピーできる能力があると、融合しているいまの八尋にはわかりますが、それだけで使い熟せる訳がありません。
そこは融合しなくても共感で遠隔操作させればよいのではと思いましたが、共感では八尋がヒラさんのロレンチーニ瓶を直接使えないのと同様に、ヒラさんも自分が持っていない器官を使えないのではと思い至りました。
――その調子で自我を保て。
なんか褒められました。
『そっか……ぼく、まだヒラさんと完全に一つになっていないんだ』
いまの状態ですら、お互いに思考を百パーセント読み取れる訳ではなく、その間には種の壁が天高く聳え立ちはだかっていました。
しかしヒラさんは、それでいいといっています。
『これって、あとで元に戻してくれるって事だよね』
不完全な融合状態は、いまのところ巧く行っていますが、長時間続けると八尋が八尋でなくなってしまう可能性があります。
……じゃあ、さっさと終わらせよう。
八尋は大きな手に納まった小さな子供に話しかけます。
『簗くん、簗くん……ぼくだよ、八尋だよ!』
妨害神気の出ている空間でも、簗と接触しているいまなら小型通信機に直接で神気波を送り込めるはず。
「八尋さん⁉」
簗の動きが止まりました。
『いま、ぼくはヒラさんと一緒にいるんだ。これ、簗くんにはなんに見える?』
「わかんないよ! 真っ暗でなんにも見えないよ!」
握った掌の中にいるので当然です。
『それもそっかー』
ちょっと話しかけて考え事をさせれば、暴れるのをやめて落ち着くはず。
八尋の作戦は的中しました。
『たぶん龍だよ。きっと白いと思う』
「白龍……龍神様?」
『うん。融合したから、いまはぼく自身でもある。だからじっとしていて』
「そっか……って大変! 小生、八尋さんの指を粉砕しちゃったよ⁉」
まさかの小生っ子でした。
『大丈夫、いま修復中。だから簗くんはおとなしくしててね』
「うん……」
『さて、次はこの龍をなんとかしないと……』
黄銅龍はまだ激痛でじたばたと暴れています。
白龍になったヒラさんと八尋と黄銅龍は、空中で釣られたアナゴのようにゴチャゴチャのお団子になってしまいました。
『これ、どうやって解せばいいの……?』