第二章・難破船・その二
「うわあ本物だあっ!」
抄網媛が設計した新型乳押さえのおかげで、素早く巫女服への着換えを終えた歩が藍子の着つけをしていると、百華の着換えを手伝っている玉網媛が尻尾をナデナデされているのを目にしました。
「姫君さんはいい毛並みしてるねっ!」
尻尾とネコミミが本物なのは理解したようですが、皇族云々《うんぬん》といった説明は頭に入っていない様子です。
「ひゃっ⁉ やめてくださ……ひゃうんっ!」
敏感な尻尾をなでられて、くすぐったいのか、玉網媛の手が重い革帯を取り落としそうなっていました。
「悪ぃマキエ、こっちの着つけ頼むわ」
藍子の着換えを小夜理に任せ、苦戦中の玉網媛に歩み寄ります。
「こっちの着つけは俺がやる」
玉網媛から革帯を受け取り、棚から新人蕃神用の白い袴を取り出す歩。
「助かります……きゃんっ!」
尻尾を逆撫でされてゾワゾワする玉網媛。
「タモさんはそこで、おとなしくなでくり回されてくれ」
「ええっ⁉」
「おおっ免罪符キターっ!」
「そんな殺生なひゃあんっ!」
「ネコミミも触らせてっ♡」
「ああっそこは駄目……きゃっふぅんっ!」
モフモフの耳毛に指を突っ込まれて悶絶する玉網媛。
その間に歩が、慌てず急いで正確に、巫女服と装備一式を装着します。
「ほらできたぁ。百華もそれくらいで勘弁してやってくれ」
「ううっ、名残惜しいよっ」
「はふぅ……」
ようやくゾワゾワ地獄から解放され、一息吐く玉網媛。
「こちらも終わりました」
藍子の着つけが済んで、自分の革鞘に神楽杖を差す小夜理。
「よっしゃ。じゃあタモさん、説明は後回しにして甲板に出ようぜ。速度は落としてあるんだろ?」
月長は現在、蕃神召喚のため風上に向かって微速前進中。
空中で静止すると風の影響を受けやすいので、多少は動いていた方が、空気抵抗で艦体が安定するのです。
主な理由は海水を満たした祭儀室の浴槽。
浴槽内の水は、異世界から魂だけを召喚した蕃神たちの招代(仮の肉体)となるので、艦が揺れてバシャバシャ跳ねると儀式に支障が生じます。
航行不能で浮桟橋に停泊していた玉髄に至っては、脚荷槽に注水して艦底の一部を海底に固定していたくらいです。
「畏まりました。では、こちらの傾斜梯子へ」
脱衣所を出ると、すぐ両脇に傾斜梯子(階段)が。
砲塔基部の外殻に沿うように曲がり、上向きの扉が全開にされ日光が差し込む昇降口に続いていました。
普通の戦闘艦が砲塔基部の付近に昇降口を設けると、甲板で起こった火事が侵入して火薬類に引火する恐れがあります。
つまりこれは、初めて召喚された蕃神たちに、艦外の風景や上構(艦上構造物)を見せるための出入り口。
釣行艦として大規模な改装を受けた証です。
右の傾斜梯子を歩と百華が、左を小夜理と藍子と玉網媛が上ると、月長の前甲板に出ました。
「おおっ……って、ここ三笠じゃん!」
百華も三笠記念館でドッキリと勘違いしていました。
この世界にくる蕃神たちは、誰もが似たような事をいいます。
「三笠はこんなにでっかくねぇだろ」
「月長の排水量は一万六千トンだそうです」
戦艦三笠より約一千トン(重量トン)多い程度です。
しかし月長の甲板は、一回り……いえ、もっと大きく見えました。
「そうかぁ、主砲を外されてるから、本来はもうちっと重いんだ」
「口径は玉髄と同じ三十・五センチですが、三連装でした」
玉髄の主砲は連装二基。
「そういえば天板が大きいですね」
外された主砲塔の防盾(艦砲を守る装甲板の覆い)は、天蓋だけ再利用されています。
戦闘艦で二番目に防御力の高い装甲板(一番は主砲塔の前盾)なので、釣り上げた悪樓を落とすのに最適。
そしてゴボウ抜きにできない大物は、玉網媛が祝詞(正確には歩が教えた大漁節)と神楽舞で浮き上げ、取り込む手筈になっていました。
「この船浮いてる⁉ 空飛んでますよ⁉」
「ほぉ、飛行甲板もあるのかぁ」
大空を飛行する竜宮船に驚く藍子を無視し、新造艦の観察を続ける歩。
「副砲や撤去された中間砲の合間に設置いたしました」
艦上構造物の両側にある広大な飛行甲板。
翡翠のように両舷から大きく突き出してこそいませんが、艦自体が巨きく長いので、面積は月長の方が広いかもしれません。
「伝馬船の離着艦にも使えますが、悪樓釣り専用で、余計な部品は一切ございません」
揚降装置や双繋柱など、艦の運行に使われる装置類がなく、伝馬船の固定に使われる着艦拘束装置も存在しません。
その代わり、船縁は頑丈そうな舷墻が手摺のように張り巡らされ、内側に樹脂製の緩衝材が貼ってありました。
「なるほど木材をやめてリノリュームにしたのかぁ」
リノリュームとは木屑などを樹脂で固めた床材で、過去には船舶や学校の床に用いられていたものです。
「申し訳ございません。そのあたりは、わたくしも詳しくないもので……」
軍事知識に疎い玉網媛ですが、新しい釣行艦が欲しくて海軍年鑑を型録代わりに眺める日々が続いたせいで、諸元くらいはスラスラと口に出せるようになっていました。
しかし所詮はカタログデータの丸暗記。
内部構造や材質の話になると、まったくついて行けません。
「金具を全廃して大型パネルを接着剤で固定したのか」
これなら何十トンもある悪樓を落としても、衝撃で破損した木材や金属部品が飛び散る心配がありません。
せいぜい衝撃でパネルが剥がれる程度でしょう。
長期の使用で接着剤が劣化したり、熱でパネルが歪む可能性はありますが、艦内の資材と人員だけで修理交換できるのが利点。
蕃神たちが転倒しても怪我をしにくい安全仕様です。
「……って、中間砲? そりゃまた中途半端な武装だなぁ」
英国生まれで革命的といわれた戦艦【ドレッドノート】や、それに準じた弩級艦より以前に存在した前弩級艦や準弩級艦特有の、主砲と副砲の中間くらいの威力を持つ艦砲です。
歴代の蕃神たちがネットや図書館の本で覚えた技術や知識を持ち込んでいるので、一気に超弩級戦艦まで進化しそうなものですが、そこは空飛ぶ竜宮船、水上艦艇と同じ進化を辿れない理由がありました。
上下運動も可能な空中戦、しかも竜宮船は横移動もできるので、速射性と命中率の劣る大型艦砲では遠距離での対艦戦ができず、主砲を大型化する意味がないのです。
硬い安宅船や関安宅同士の戦闘は、副砲や補助砲など、当てやすい小型の兵装では損害を与えられず、必然的に交戦距離が縮まります。
想定されるのは近距離どころか近接戦闘。
一瞬とはいえ至近距離で交差しながらバカスカ撃ち合う、帆船時代レベルの殴り合いです。
そして国家間戦争の経験がなく、近代化してからは内戦すら起こっていない弥祖皇国は、女子高生たちの生半可な知識に振り回され、艦船開発分野の迷走期に入っていました。
数限りなく生まれる失敗作と欠陥品。
おかげで柑子首相は、大型かつ新型の釣行艦を翳め捕れました。
JKの生兵法様様ですが、しかしそれは魔海対策局が欠陥艦艇の吹溜りになる事を意味します。
「それで発生した魔海にいる悪樓、何十メートルもある魚を……」
歩の背後で、小夜理が藍子と百華に異世界釣りを講義中。
「……この神楽杖で……おげえ」
やっぱり吐きました。
小夜理は船宿の娘なのに、乗り物酔いが酷いのです。
脱衣所から馬穴を持ってきたのが不幸中の幸いでした。
「それでタモさん、中間砲の口径は?」
無視して歩は玉網媛への質問攻めを続けます。
砲塔の装甲防御力は、搭載されている艦砲と同威力の攻撃を想定して施されるので、これを聞いておかないと、どんなサイズの悪樓まで落とせるか推測できません。
玉網媛が装甲の厚さまで把握しているとは思えないからです。
「二十三・四センチの連装が六基」
「仏法僧型と同規模の主砲塔が六基か。こりゃ元の排水量は二万トンを超えるなぁ。でけぇ訳だぜ」
主兵装の撤去で四千トン以上も軽量化されたのなら、関船(巡洋艦に相当)と同程度の速力があるのも頷けます。
「これならマゴチくれぇは落とせそうだな」
「凹ませないでください。できれば傷つけないでください」
新品で純白の装甲板は、日光の反射で日焼けしそうなほどピカピカです。
「……で、撤去した中間砲塔にナニ仕込んだ?」
歩がニヤリと笑いました。
軍用艦艇の砲塔は、氷山のように、甲板上で出ている部分より埋まっている部分の方が遥かに大きいのです。
翡翠の砲塔基部と同じサイズの空間が、一体なにに使われているのか。
「仕込んだ? おっしゃる意味が、よくわかりませんが……」
六基の中間砲塔が祭儀室に改装されていない事だけはわかりました。
「やっぱタモさんじゃ駄目か。宝利さんは?」
「羅針艦橋で教練を受けております」
「仕方ねぇ、あとで聞くか……まぁ概ね予想はついてんだけどな」




