206 食料品店での奇妙な運命《ストレンジ・フェイト》
食料品店に到着すると、中からコーヒーの香りが漂っていた。
前世の俺だったら心地よく感じたかもしれないが、どうやらナターシャちゃんな俺は嗅覚も初期化されているようで、あまりにも濃厚な香りにちょっと気分が悪くなる。
シュトルムは、少しげんなりした様子のナターシャを見て、心配の声を掛けた。
「ジークリンデ、大丈夫か?」
「いや大丈夫だよ。ちょっとコーヒーの香りがきつかっただけ」
しかし我慢できず、鼻を摘まむナターシャ。
当然ながらシュトルムは止めに掛かる。
「む、無理をするなジークリンデ。そうだ、風で香りを遠くに飛ばしてやろう!」
シュトルムはパタパタ、と手で仰ぐ。
ナターシャはそれを聞いてピン、と閃いた。
そうか、風か。
風を――空気の層を纏えば、キツい匂いを弾けるんじゃないか?
成功するかは分からないが試してみよう。
「“風の層が我が身を包み、逆巻く渦が我が道作る――”」
「おぉっ!?」
詠唱が始まり、ゴウ、とナターシャの周囲に風が渦巻く。
とても驚いたシュトルムだが――――始まりの詠唱があまりにも心に響いたので、マギカスライムを抱き締めて、ワクワクしている。
「あー……」
それを見て、少々困るナターシャ。
期待させておいて悪いのだが、今回使うのは短縮版。
中二病患者のロマンの一つである、完全詠唱版を聞くのは、また今度の機会にして欲しい。
流石の彼女もそれくらいは理解しているだろう、とナターシャは考え終えて、同時に詠唱も終えた。
「“――さぁ風の渦繭よ。我の身体を包み込め。渦繭気流”」
「おぉ?」
ナターシャの周囲に風の繭が出来て、シュトルムはちょっと首を傾げる。
すぅー、と大きく深呼吸したナターシャは、コーヒーの香りをちゃんとシャットアウト出来ていると理解して、一安心した。
「オッケー、これで中に入れる」
「なぁジークリンデ。聞きたい事があるのだが」
「どうしたの?」
話し掛けられたので、隣に居る水色髪で赤エクステな美少女を見ると、少々非難をするような視線でこう言った。
「その詠唱――――完全詠唱じゃないな? 何故端折ったのだ?」
はっきりとは言わなかったが、“全部聞きたかった”という強い欲求が感じ取れた。
軽くため息をついたナターシャは、完全詠唱じゃない理由を説明した。
それを聞いたシュトルムは、逆に興奮したようだった。
ナターシャから視線を背けて、彼女らしくカッコよく振る舞いながら、聞いた説明を反復する。
「フッ、フフフッ、そ、そうかっ! 余りにも強力過ぎる魔法が故に、短縮詠唱を使わざるを得ない程とは――――フフ、フフフッ」
「しゅ、シュトルム?」
しかし恰好は付けながらも、ニヤつく口元が隠しきれていない。
うずうずとした彼女は、チラ、とこちらを見ると――ナターシャが纏っている風の繭を見てしまい、ついに我慢できなくなったようで、バッ、とナターシャの両肩を掴んだ。
「なぁジークリンデ! いや我が主ぃ!」
「えぇっ!? あっ、スラミー!?」
その結果、彼女に抱えられていたスラミーは宙を舞う。
スラミーはそのままくるくると空を飛んで、ナターシャの腕の中へと運よく収まった。
じ、地面に落ちなくて良かった。
シュトルムも、スラミーの事で少々狼狽えたようだったが、それでもこっちの方が大事なのだ、とナターシャに尋ねた。
「そ、それは一体どれだけ強力な風魔法なんだ!? 詠唱を教えてくれぇっ!」
「まぁ良いけど……」
ナターシャは、空を飛べたのが嬉しかったのか、キラキラした光の粒を空中に生み出すスラミーを見てから――まずはこう言った。
「とりあえず、スラミーを放り投げちゃダメだよ?」
「うぅ、気を付けます……」
シュトルムも反省したようだ。
まぁ、スラミーを彼女に預けたのは俺なので、物凄く注意しづらいんだけども。
「じゃ、今から詠唱を言うけど、覚えられる?」
「当然だ! カッコいい事なら何でも学んで吸収するぞ!?」
「そ、そうなんだ。えっと、詠唱はね――――――――
シュトルムに本来の詠唱――――超速・筒渦気流の完全詠唱を教えた。
彼女はとても満足してくれた。『フッ、まさかここに来て新たなる段階が開くとは。最強の風使いへの道は遠――――』とか言ってた。とてもキツイ。つい涎が零れる。
ナターシャは涎を拭きとった後、シュトルムに告げる。
「よし、じゃあお店に入るよ」
「あぁっ!」
新たなる力を手に入れたシュトルムと、頭にスラミーを乗っけた(抱えていると地味に疲れるのだ)ナターシャは、ドアを開けて食料品店に入った。
二人は店主のカリーナに挨拶して、店内を物色した。
ナターシャはいくつかのお土産を見繕って、保存の効きそうな食料品を仕入れた。
特に玉ねぎとか、野菜なのに日持ちするから便利だよね。
そしてカリーナさんにお金を支払って、商品をアイテムボックスに入れていると、また見た事のある顔と出会う。
「失礼しまーす、コーヒーの良い香りがしたんで、気になって寄らせて貰ったっすー……」
入店してきたのは、黒髪にスタッツ国の黒い軍服。目の下の万年隈。
どことなく感じる、だらしない気配。
彼は確か……
しかし、ナターシャが答えに至るより先にカリーナが動いた。
コーヒーという単語を聞いた彼女は、同士を見つけた! とでも言うように、素早く近付いてコーヒー談義をし始めた。
ナターシャは遠くから聞き耳を立てる事で、彼の事を思い出した。
彼の名前はフィリカルド・オスカー。魔導士学園の先生だ。
初めて出会った時は、軍管轄下の森の中で爆睡してたんだっけ。
睡眠胞子をばら撒くマルシェルームを踏んづけて。
ナターシャが離れた場所から見ていると、オスカーも気付く。
まぁ、彼は基本的に引っ込み思案なようで、軽く会釈をされただけだけども。
だがその目は、明らかに助けを求めていた。
彼が大人な分、カリーナのコーヒー圧がヤバいのだ。
「はぁ……」
仕方なくナターシャは、二人の傍に近寄って、カリーナを止めた。
「カリーナさん落ち着いて下さい。お客さんが戸惑ってます」
「えっ? あっ、ごめんなさいつい熱くなっちゃって! 悪い癖がでちゃったっ!」
カリーナも、ナターシャに言われて反省する。そして、
「――――で、さっきも言ったけど、貴方にオススメのコーヒーはセカシアーテ・モンテネグロっていうからねっ! 眠気をぶっ飛ばすような苦味と、目覚めに優しく導いてくれる程よい甘さが特徴だからねーっ!」
オスカー向けのオススメコーヒーを伝えながら、棚の整理へと戻っていった。
とても上機嫌に、ふんふん、と鼻歌を歌っている。
やっぱり変わってるなぁ、と改めて思う。
ナターシャに助けられたオスカーは、軽く謝罪した。
「すみません、御迷惑をお掛けしたっす」
「いえいえ」
雑に返答するナターシャ。
とりあえず、ふと気になった事を聞く。
「そう言えばなんですけど」
「なんすか?」
「軍管轄下の森での調査って終わりましたか?」
「ん? なんで君がその事を――あっ」
オスカーはナターシャの顔をしっかり確認して、ようやく思い出した。
「あー、あの時に会った女の子だったっすか、お久しぶりっす」
「お久しぶりです。それで、どうなりました?」
「えっと、あはは、実はっすね――――」
彼は少し困ったように、こう話してくれた。
「一応、新種マルシェルームの発生源らしき場所は分かったんすけど、マルシェ・ガーディアンがあんまりにも多くて先に進めないんすよ」
「へぇー」
「それに教頭には『場所が分かったなら早く片付けろー、今日中に片付けろー』って急かされてて、でも僕じゃ力不足でどうにも出来ないし、ホントに困ってるんすよねー……」
「へぇー」
雑な相槌をするナターシャ。
仕事の愚痴は天使ちゃんで聞き飽きた。
ただまぁ、条件はなしにして、彼を手伝おうとは決めた。
何故なら新種のマルシェルーム――シイタケ種(勝手に命名)を食べたいからだ。なのでこう言った。
「じゃあ、私が手伝ってあげましょうか? こう見えて戦うのは好きなんで」
「えぇっ!? そ、それはとても有難い申し出っすけど、でも君はまだ幼いっすから、そういう危ない事はちょっと……へへ」
正当な理由を付けて拒否はしつつも、嬉しそうな笑みが漏れているオスカー。
俺が美少女だからってのもあるかもしれないが、仲間になろうか? と言われて普通に嬉しいからだと思う。もう一押しかな?
「それに今ならもう一人、強い女の子が付いてきますよ?」
「フッ――我を求むるのはお前か?」
後ろでカッコつけるシュトルム。
オスカーは紹介を受けて、首を傾げる。
「そ、そうなんすか? でも、本当に強いのか分からないのでちょっと不安っすね……」
「そっかー」
「我が力を測れぬとは――愚か者めっ」
カッコつけながらオスカーを威圧するシュトルム。
オスカーはビビって謝った。
「うぅっ、失礼な事を言ってすいませんっす! あぁでも、ここで僕が鑑定でも使えれば、スキルの確認とかが出来て、君の凄さが分かったんすけどね……」
「……ん?」
スキルの確認が出来れば良いの? ならいい方法があるよ?
オスカーの言葉を聞いて、また閃いたナターシャ。
とある情報を彼に教えた。
「ねぇオスカーさん。鑑定スキル以外で、しかもこの場で。皆の強さを知る方法、ありますよ?」
「えっ、そんなのがあるんすか? ……あっ、ま、まさかここで戦うとかは遠慮させて貰うっすよ!?」
「違います違います」
ビビるオスカーを窘めるように否定して、ようやく本題に入る。
「それはですね――――」
「ゴクリ……」
息を呑むオスカー。微笑むナターシャ。暗黒微笑を浮かべるシュトルム。
そうそれは、ナターシャがこの世界で初めて作った魔法――――――
「――ステータスオープン、という魔法です」
「す、ステータスオープン……?」
初めて聞いた魔法に、オスカーは困惑する。




