204 再会する旅人達《エトランゼ》
特に説明する必要は無いが……帰宅途中に猫と出会った。
家の窓から漏れる光を反射しているのか、瞳が金色に輝いている黒猫は、通りを歩いていくナターシャをジッと見つめていた。
もしかしたら、腰に掛けている銀縁眼鏡(本当は黒・猫・魔・導)に反応しているのかもしれない。猫素材だし。
そして、フミノキースでの自宅――エメリア旅行雑貨店に到着する。
エメリア旅行雑貨店はやはり夜間の営業はしていないようで、玄関には“閉店”の看板がぶら下がっていたが、店内は明るかった。
ナターシャはノックしてから店に入って、ただいまー、と声を出す。
すると、二階から急いで降りてくる足音。
それはガレットさんで、ナターシャの姿を確認すると、安心したような笑みを浮かべた。
「お帰りなさいナターシャ。心配しましたよ」
「予定より遅れてごめんなさい」
ナターシャは申し訳なさそうに謝罪したが、ガレットさんは何も言わずに抱き締めてくれた。
貴女が無事で良かった、彼女はただそれだけを呟いて、シュトルムとマギカスライムの事は何も聞かずに、しかし二人(一人と一匹だが)にも歓迎の言葉を送って、ナターシャと共に二階へと案内した。
二階では兄のマルスとエメリアが待っていて、帰ってきたナターシャを喜んで撫で倒した。
ナターシャは髪の毛をくしゃくしゃにされながらも、そんな家族の優しさが嬉しくて、楽しくて、元気よく笑った。
ナターシャは、家族と食事をしながら説明会を開いて、テスタ村での出来事――オークやハビリス族という小人達と関わった事、斬鬼丸とリズール、そして自分は、ハビリス族を守るために頑張っている事、シュトルムはリズールの仲間である事を伝えた。
ガレットさん達はとても静かに聞いてくれて、ちゃんと理解を示してくれた。
その後は軽い雑談をして、折角だからシュトルムの事を詳しく知りたい、と誰かが言った。
言ってしまった。
だからこそシュトルムは、『フッ――――やれやれ、今日は風が騒がしいな』と呟いた(隣のナターシャは精神ダメージを受けた)後、本日三度目となる口上を述べた。
「フフッ、さぁ、よく聞くが良い! 我が名はシュト――――――――
そこから先はよく覚えていない。
確かまた苦しんだ事だけは覚えている。
次に気が付いた時には風呂の中で、スライムと一緒に湯舟に浸かっていた。
ぷかぷかと浮かぶスライムはとても満足そうで、両頬に三本の赤い斜線が入っている。
ほっこりとしている時のアニメ的な表現みたいだ。
「ねぇスライム」
「?」
話し掛けられて、くるん、とこちらを向くスライム。
「お前は感情表現が豊かだね」
「?」
言葉の意味が分からなかったのか、くるん、と一回転をするスライム。
まぁ、いきなりそんな事を言われたら、誰だって分からないだろう。
そしてそのまま見つめ合う二人。
「「……」」
ただの同情心でテイムしただけだったナターシャも、彼を見ていると少しだけ愛着が湧いてきたらしい。
ふと気まぐれにこう言った。
「ねぇスライム。名前付けてあげよっか」
「!」
スライムはどうやら嬉しいようで、水中で前転をする。
肯定や同意の意味が籠っているかもしれない。
まぁ兎に角、同意が得られたので、ナターシャは名前を考えた。
あんまり考えずに、ふと思い浮かんだ物を呟く。
「じゃあ、スラミーなんてどう?」
「!」
スライムは肯定するようにぐるんぐるんと前転した。
ぴちゃぴちゃと水滴が跳ねてくるから困る。まぁ許すけど。
「あはは、決定だね。宜しく。スラミー」
「~♪」
スライム改めスラミーは、嬉しそうに湯舟の中を泳いだ。
で、風呂から上がったナターシャは寝間着を着て、スラミーと共に三階の自室へと向かった。
道中、壁に寄りかかって黄昏ているシュトルムと出会い、無言で部屋まで付いてこられる、というアクシデントに見舞われたが。
まぁ特に気にせずに、スラミーを枕元に置いて、ベッドに入った。
そして尋ねる。
「シュトルム」
「なんだ?」
シュトルムは、まるで最初からそこが定位置だったかのように、壁掛けランプの横に寄りかかっている。
何故そこまで壁際が似合うんだお前は……
「もしかしておはようからお休みまで見守ってくれる感じなの?」
「当然だ。部下だからな」
何をいまさら、と言うシュトルム。
ここまで本格的に護衛されるのは初めてなので、ナターシャは困惑した。
「しゅ、シュトルムも寝てもいいんだよ?」
「気にするな、私はゴーレムだから眠らない。ジークリンデは安心して眠りにつくと良い」
「う、うん」
それにやはりと言うべきか、眠らなくても良いようだ。
こちらとしては少し心配になるが、向こうからすればそれが常識。
気に掛け過ぎるのも辞めておこう。
「おやすみ」
「あぁ、おやすみ。ヒュプノスと共に、オネイロスに逢おう」
うぐぅ……! 神話ハイブリット……!
◇
「遅イナ……」
夜のオークの里では、仕込み杖を持ったローワンが、椅子に座ってそわそわと待っていた。
何故なら、カバが復活するであろう時間を大幅に過ぎていたからだ。
一般のオークドルイドでは経験が足りず、分からないであろうが……
彼は長年、この里で様々な症状、怪我をした患者を診てきていて、その的確な判断力と豊富な知識から、里の皆に慕われていた最高の医者だった。
一時は里長――オークキングの側近として働いていた事もある、素晴らしい才覚の持ち主だった。
だからこそ、食糧庫を空にするまで食べ尽くしたカバが、昼間に復活しないのは不思議だった。
昨日にあれだけの覚悟を決めたローワンにとって、この何も出来ないじれったい時間が、これからやろうとしている行動への恐怖心をじわじわと増幅させてしまい、とてもじゃないが耐えられなかった。
早く里長と面会して、シバ兄妹が受けている仕打ちへのケリを付けたかった。
「何ヲシテイルンダ、アイツラハ……」
彼は理由を知るべく、杖を突き、立ち上がって、カバが眠っている部屋――患者用の部屋に立ち入った。
ローワンが中で見たのは、オークサイズのベッドの上で、川の字になって眠っているカバ一味の姿だった。
更に、薬棚が大きく開け放たれていて、中に入っていた薬草や調合薬が無惨にも食い荒らされていた。ローワンはその内の一つ、マルシェルーム・ドルミーネの胞子薬――不眠症を解消する為の睡眠薬で、木製の円筒容器に入っている――が、空っぽになっている事に気が付いた。
「マサカ……」
そこでローワンは思い至った。
すぐさま爆睡しているカバ一味の口元を観察し、そこに紫色の粉が付いている事に気付いた。
「ウ、嘘ダロウ……?」
当惑するローワン。
まさかカバ一味は、この薬を食べてしまったのか、と。
わざわざ“眠り薬”“食べるな”と、白い塗料で大きく書かれていたにも関わらず、食べてしまったのか、と。
ローワンは肩の力が抜け、更に気が抜けたようにため息を吐き、天を仰ぐ。
「コイツラハ、バカナノカ……?」
昨日もそう思ったが、今日の出来事で改めてそう実感した。
このドルミーネの胞子薬は、とにかく効能が凄い。抜群に効く。
胞子を一嗅ぎするだけで眠りに落ちるレベルなので、食べてしまえばなおさらだ。
カバ一味はこれから数日――下手をすれば一週間は目を覚まさないだろう。
しかし、それだけの日数で済むのは、彼らがオークだからである。
「ハァ……」
ある意味では猶予が出来て一安心する場面なのだが、ローワンは出鼻を挫かれた気持ちになる。
昨日の覚悟は一体何だったんだ、と。
だが、だからこそ、彼は今すぐにでも行動しなければいけない。
里長とその側近達が目を光らせている今、表立って行動する事は出来ないが、それでもやれる事はある。
仲間のドルイドや友人などに秘密裏に接触して、シバ兄妹を影から援護しよう。
あの二人があの場から逃亡出来るだけ時間を、何としてでも稼ごう。
そうと決めたローワンは、薬で眠っているカバ一味をそっとしておいて、誰にも気付かれないよう静かに、夜の里へと繰り出した。
◇
そして朝のナターシャ。
目覚めてシュトルムを見て、着替えながらシュトルムを見て、朝食を食べながらシュトルムを見るというシュトルムづくしの朝を送ったが、まぁそれ以外は普通の朝だった。
ただ、ちゃんと昨日の反省を込めて、ガレットさん、兄、エメリアさんの前で、
「斬鬼丸やリズール、シュトルムがいつも守ってくれるし、それに私は強いから安心してね! でも、冒険者活動は色々と不確定な事が多いから、帰りが遅れたりするのはごめん! だから許して?」
と言って、自身の冒険者活動への理解を再び深めて貰った。
せめてガレットさん達に、俺の無事を知らせる魔道具でも渡せたら良いんだけど。
そしたら心配させずに済むのに。
とりあえず家を出て、冒険者ギルドに向かっていたナターシャは、隣を歩くシュトルム(+スラミー)に話し掛ける。
「シュトルム、自分の無事を家族に知らせる魔道具とか無いかな?」
「あるぞ。生死連絡石という魔道具が、大戦中に作られたはずだ」
「へぇー、それってどこで買えるの?」
「ん……」
考えるシュトルム。だが彼女は、魔道具の販売先などには詳しくないようで、『たまには風が教えてくれない事もある』と言ってはぐらかした。ナターシャは微量なダメージを受けた。
そうこう言っている内に冒険者ギルドに到着した。
ドントゥ・ウォーリーなる魔道具は後でリズールに聞こう、と決めたナターシャは、シュトルムと共に颯爽と入場する。
わざわざカッコつけて入るのは“冒険者絡んで来い”という意思表示だ。
いくら中二病とはもう向き合いたくないと思っていても、本心――俺TUEEEへの欲望は騙せない。
無意識下ではあるが、やはり中学時代の精神とリンクしているのだ。
そして珍しく、その願いは叶った。
「おう、そこの嬢ちゃん! 銀髪の! 話がある!」
声を掛けられて、内心でガッツポーズをしながら振り向く。
ナターシャの視線の先に居たのは――――
「ハッハッハ、まーた引っ掛かったなナターシャ! 相変わらず冒険者に憧れてんのか?」
「ディビスかぁー」
そう、少し前に旅の護衛をしてくれた冒険者の一団、そのリーダー格を担っていたディビスだった。ダンディな髭は相変わらずだが、髪を切ったらしく、ロングヘアーがミドルヘアーへと変化している。
「何か用?」
近付いたナターシャが尋ねると、ディビスは首を左右に振る。
「いや? 理由なんかねーよ。顔見知りを見かけたから、初級冒険者向けの挨拶をしただけだ。お前もちょっと嬉しかっただろ?」
「……」
まぁ、事実なので何も言えない。
とりあえずナターシャは、警戒しているシュトルムにディビスの事を説明して、敵ではないと明言しておいた。
だが、シュトルムもシュトルムで、ちょっとワクワクする展開が嬉しかったのだろう。
まだ何かあるんだろう? とでも言うように、とてもキラキラした瞳でディビスを見つめていた。
何を期待しているんだろうか。
そしてディビスも、多少は構ってやろうと思ったらしく、ナターシャ達にこう言った。
「……よしお前ら。先輩の俺が、冒険者活動をする上で気をつけるべき事を教えて――――」
しかし、ディビスがその内容を語る事は無かった。
彼の仲間達――旅の護衛をしてくれた他の冒険者達が、ぞろぞろとギルドに入ってきたからだ。
十数人もの冒険者が揃って入って来る様子は中々に衝撃的で、出発の準備を進めていた現地の冒険者達が少しざわつく。その理由はやはり、知らない顔ばかりだというのが大きいだろう。
ディビスは仲間に向かって軽く手を振り、それに気付いた数人が近付いてくる。
当然その中には、ナターシャの事を良く知る女性聖職者が居て、ディビスの隣に居る銀髪少女を見つけると、とても嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ナターシャちゃーん! おはようございまーす!」
「アウラさーん!」
ナターシャも喜んで駆け寄り、アウラの抱擁を受け止めた。




