190 猫妖精と商売せよ
準備を終えたナタ―シャは、取り合えず天使ちゃんにLINEする。
ナターシャ
[どう撮れば良いかな? youtuberらしくネタとか入れるべき?]
天使
[んー普通の散策動画で良いと思うよ? こっちで旅番組的な編集するから面白さは任せて!]
ナターシャ
[了解。じゃあ適当に歩いて、色んな人に話し掛けてみるねー]
天使
[うん♪ 動画待ってるよー!]
そしてLINEを終え、スマホはボディバッグに収納。
「よし。行くか」
特に行く当ては無いけども、天使ちゃんの言う通り、撮影しながらぶらついてみる事にした。
◇
ハビリス族の隠れ里の内部は、広さで言うとテニスコート5枚分。
その中には、家庭菜園を行える庭付きのウッドハウスが7軒立っている。
里の周囲は石垣で覆われていているが、里の中も外も、通路以外の使えそうな土地では作物が栽培されているという、土地を余すことなく使いながらも、意外とこじんまりとした盆地の村だ。
しかし、立っている家に反して住民はとても多く、今まで出会った女性だけでも20人は下らない。
子供も入れれば50人に届くのでは無いだろうか、とナターシャは思った。
……あぁ、既に女性や子供が出歩いているのは、危機は去ったとハルヤの弟、エミヤが伝えた証拠。
なので当然、道中でリズールに出会った。
彼女には同行を提案されたが、ナターシャは撮影中である事を理由に保留。
今はハルヤの家――トコが匿われていた家で待機してもらうようお願いした。
そこにはシバ兄妹と斬鬼丸も待っているので、撮影を終えたら急いで向かいたいところだ。
……おっと、話を戻そう。
実は、彼らの多さにも理由がある。何と、家の地下にも居住区があるらしい。
何故かと言うとこの隠れ里は、この地に元々あった廃屋群を改修して造られているからだ。
そんな話――――私達は人間の造ったワインの保存庫を補修しながら、代々寝床として使っているんだよ、という話をハビリス族の老人に聞いた。
老人と言っても年齢は大した事は無く、長生きしている彼でも40代半ば。
混血であるからか、衛生環境が原因かは分からないが、あまり長生きは出来ないのかもしれない。
そして聞き込みをしていて分かったのが、この里の北の外れ――盆地の抜け口には、何故か塩分が濃く含まれた川が流れていて、逆に南東の山からは真水が湧きだしているらしい。
彼らは北の川で塩を取り、南東からの真水を引き入れる事で、日々の生活を営んでいるようだ。
閉鎖した環境でも生きていけるよう、人工的に整えられたのでは? と思うぐらいに奇跡的な立地だな、と思う。
だが、それでもまだ疑問は残っている。彼らの着る衣服だ。あまりにも豪華すぎる。
最初は閉鎖的な生活を送っているから、脈々と技術が培われてきたのからだろう、と思っていた。
しかしなんと、それにも理由があったのだ。
ナターシャが里の入口にぶらりと到着すると、ハビリス族の女性が、同身長ながらも身体の3倍もの大荷物を背負い、フード付きのローブで顔を隠した商人と談笑している場面に出くわした。
「いつもご苦労様ですニャトさん」
「ニャフフ、毎度あり。必要とあればいつでもお呼び下さいニャ」
語尾がニャ? もしかしてネコ系の獣人か?
気になったナターシャは、恐れる事なく近付いていった。
「こんばんはー」
「あぁ人間さん。こんばんは」
「ニャニャ、新顔さんだニャ。こんばんはニャ」
話し掛けられた二人は丁寧に対応する。大人な対応だ。
商人に警戒する様子は無かったので、ナタ―シャはスッとフードの中を覗き込んだ。
しかし商人は腕を上げ、袖で顔を隠してしまう。これでは顔が見えない。
「……新顔さん、ニャトに何か用かニャ?」
その行動が悪かったのか、商人のニャトの口調に棘が混ざる。流石に失礼すぎた。
なのでナターシャは素直に謝罪し、自己紹介する事にした。
「あぁ、ごめんなさいニャトさん。私は、暫くこの里に滞在する事になった人間のユリスタシア・ナターシャです。エンシア王国でユリスタシア男爵家の次女をやってます」
「アニャニャ、人間の貴族さんだったかニャ。ならニャトが気になるのも当然ニャ。ニャハハハ」
顔を隠しながら笑うニャト。
ナターシャは続けてお願いしてみる。
「それで……良かったらなんですけど」
「……顔が見たい、ですニャ?」
「はい。見せて貰えませんか?」
「ニャフゥ……」
ため息をつくニャト。
だけども、すぐさま条件を提示してくる。
「じゃあ一つ、約束して貰えるかニャ?」
「約束、ですか。どんな約束ですか?」
「簡単な事ですニャ。“どんな事があっても、ニャトとの関わりを切らない事”ですニャ」
「どんな事があっても……?」
どういう意図が込められているんだろうか。
まさか、顔を見られると何か悪い事でも起きるのか?
少し考えたナターシャだが、動画のネタとしてどうしても欲しかったので、約束する事に決めた。
「分かりました。“どんな事があっても、ニャトさんとの関わりを切らない”と約束します」
「ニャフフフ毎度あり。じゃあニャトの顔を見せてあげるニャ」
ニャトはそういうと腕を下げ、フードを降ろして顔を見せてくれた。
彼(?)の顔は、語尾から予想出来た通り――いや、想像以上だった。
肌は余すところなく、白く、もふもふとしていそうな毛で覆われていて、人間っぽい茶色の髪こそある物の、それ以外は完全に猫。
顔の横に人耳は無く、代わりに頭のてっぺんに猫耳が生えていた。
頬から生えている三対の髭も相まって、ニャトは完全に獣人だと――
「おっとナターシャさん、ニャトは獣人じゃないニャ。由緒正しき猫妖精“ケットシー”ニャ」
――……け、ケットシーだと理解出来た。
心を読まれて少し動揺するナターシャ。つい尋ねてしまう。
「なんでそう考えてるって分かったんですか?」
「ま、よく間違われるからだニャ。それにニャトは商人だから、新顔さんが何考えてるかくらいは手に取る様に分かるニャー。ニャハハハハ」
ニャトはそう言って、再びフードを被って顔を隠す。食えない人……いや、猫妖精だ。
そして顔確認も終わったので、会話する内容が無くなってしまった。
商談をしていたハビリス族の女性も、ニャトに別れを告げ、荷物を持って去って行ったし。
ナターシャもそろそろ家に戻ろうと決めたが、ニャトが商品を見ていけニャと言うので、試しに見てみる事にした。
そこでニャトが出したのが――ハルヤ達が着ているような民族衣装や、ネックレスや指輪などの装飾品。
ハビリス族の服装が豪華なのは、ニャトが服飾を卸していたからだったのだ。
「お値段はおいくらですか?」
「人間のお金なら金貨5枚からニャ。もしくは、ニャトの欲しい物と交換だニャ」
おぉ、物々交換もあるのか。
「その、ニャトさんが欲しい物ってなんですか?」
「ニャシシ、秘密ニャ。お得意様じゃないと教えないニャー」
暗に“まずは買え”と言うニャト。くっ、商人め……
ナターシャは迷った末に、プラチナリングを購入する事に決めた。
金貨5枚なのに中々凝った彫刻が施されていたので、それなら安い方だと思ったから。
「はいニャトさん。これで足りる?」
「ニャッフッフ、丁度ですニャ。毎度あり~♪」
人間の金貨を受け取って、満足そうな笑みを浮かべるニャト。
このタイミングだ! と思ったナターシャは、ニャトの欲しい物をもう一度聞いた。
「それでニャトさん。欲しい物って何ですか?」
「ニャ? それは勿論……――」
ニャトは少し勿体ぶるように溜めた後、漏らすように言った。
「――お金と、美味しい海の幸ニャ」
お金と海の幸。
「海の幸が欲しい物なんですか?」
「そうニャ。この里では、海が無いのに海の幸が獲れるのニャ。だから懇意にさせて貰ってるニャ~♪」
「へぇー……」
何となく感嘆の声を出すナターシャ。
そういや、北の外れにしょっぱい川があるって聞いたな。多分そこで獲れるんだろう。
ニャトは今夜は仲間とお祭りニャ~と嬉しそうに言った後、今度はナターシャの選んだリングについて語る。
「しかし……ニャシシ、お客さんも運が良いニャ。そのリングを選ぶなんて」
「この指輪がどうしたんです?」
「実はそのリングには、約束を結んだケットシーを呼び出せる魔法が掛かっているニャ。約束を結んだのはニャトだから、いつでもどこでもニャトを呼び出せるニャよ?」
「おぉー」
感心するナターシャ。
これってそんなに良い物なん……おい待て今なんつった。
「って、待って。待ってニャトさん。もしかして貴方、最初からこれを私に買わせるつもりで」
ナターシャが疑問を呈し始めると、ニャトはパパパッと商品を片付け、大きなリュックを背負って早口で捲し上げる。
「おぉっともう夜になってしまうニャ! ニャトは猫だから夜目は効くニャけど、魔物に襲われるのは困るから急いで家に帰るニャ! じゃあナターシャさん、今後もニャトを御贔屓に~♪」
「にゃ、ニャトさーん!」
少女が止める間も無く、ニャトは猛スピードで走り去っていった。
無論、四足で。
その場に一人残されたナターシャは、購入した指輪を左手の人差し指に嵌めながら呟く。
「商売上手なケットシーだったなぁ……」
まさか買う物まで操作されていたとは。
まぁうん、彼……彼女かな? んー……まぁ気にしなくて良いや。
あの人とのつながりは、きっと何かの役に立つだろう。
「よし、家に帰るかな」
ニャトさんの言う通り、そろそろ夜だしね。
そう決めたナターシャは、撮影機材を浮かべたままハルヤの家へと向かった。




