139 フミノキースで迎える始めての朝
出窓から差し込む日差しは生憎ナターシャに当たる事は無かったが、それでもその明るさに気付いて目を覚ます。
「ふぁー……ぁふ」
……朝か。
寝起き一番に欠伸をしたナターシャはつい恋しくなって隣を見るが、残念ながら誰も居ない。一人だけだ。
やる事は少なかったけど楽しかった旅は終わったんだなぁと改めて実感し、少し目が潤んでしまう。
これから暫くクレフォリアちゃんと会えないのは寂しい。
……でも、絶対また会える。だってそう約束したから。だから大丈夫。
そう自分を鼓舞して涙を拭い、大きく深呼吸して空元気を出す。
頑張れ俺っ! また会えるっ! 会える!
少しの間一人で気合を入れた後、元気よくベッドから抜け出し、アイテムボックスから今日の服を取り出そうとしてふと気付く。
「……あ。服これで最後の一着じゃん。洗濯しないと」
今日の服は所持品としては最後の物。スタッツ国の温かいけど寒い、けど少し温かい気候に合わせて厚めの白長袖、黒いプリッツスカート、そして上から羽織るのは茶色のダッフルコート。
生足は何となく恥ずかしいので、ふとももまで届く程長い黒靴下も履いている。
出来れば黒ストッキングを履いて防寒ばっちりにしたいが、何分生産数が少ないので出会う機会がない。
……さぁさぁそして! クレフォリアちゃんとの別れも悲しいけどもっ! 今日からどうしてもやりたい事が一つあるのだっ!
服を着たナターシャは決意を新たにすべく、此処に表明する。
「そうっ、今日から私は冒険者ギルドに行くっ! そしてクエストを受けて、色々と冒険して、魔物との激戦を潜り抜けて、いつの日か、超凄い冒険者として尊敬されるんだっ! 目指せ白金ーッ!」
おー!と部屋の中央で叫び、同時に空腹を感じて早速二階へ降りる。
腹が減っては戦は出来ぬ、つまり飯を食えれば今日も元気に動ける。今日の朝ごはんなんだろな~♪
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「おはよーございます!」
元気よく2階に降りると、メイド服のガレットさんがナターシャの対応をしてくれる。
「おはようございますナターシャ。今日の朝ご飯はパンとベーコンエッグです。昨日食べたスープにも少し手を加えました。温かいうちに食べなさい」
「分かりました! 先にうがいしてきます!」
「えぇ、良い心がけです。一階ではエメリアさんとマルスが仕事をしていますから、ちゃんと挨拶しておくように」
「はい!」
そのままとてとてと走って二階を通り過ぎ、とんとんと小さな足音を鳴らしながら一階へと降りる。
店内のカウンターでは兄のマルスが店番をしていて、ナターシャはそんな兄の肩を叩く。
「ん?ナタ……むぅっ」
肩を叩かれ、振り向こうとしたマルスの頬にナターシャの人差し指が突き刺さる。
加害者であるナターシャは、口を手で隠しながら悪く微笑みつつ一言。
「ふふ、掛かったねお兄ちゃん」
「ちっ、相変わらずこういうのは上手だよなお前……おはよう」
「えへー」
マルスも怒る事は無く、寝起きで若干寝癖立ったナターシャの頭をぐしぐしと撫でて挨拶。
ナターシャも撫でられてご満悦の様子。
そんな感じで軽く遊んでいると、倉庫から緑エプロン姿の女性が出てくる。エメリアだ。
「あはは、二人共仲良しだね。兄妹だから?」
エプロンの中に着ている服は昨日と似たり寄ったりと言った感じ。
小さな木箱を抱えていて、これから棚に商品を補充する予定なのだろう。
兄に撫でられ続けているナターシャはそのまま横を向き、エメリアにも挨拶する。
「エメリアさんおはよーございますっ」
「うん。ナターシャちゃんおはよ」
昨日の夜の出来事は忘れたと言わんばかりに元気な顔だ。ナターシャはいつも通りの調子で話す。
「因みにもう恥ずかしく無いんですか?」
「うっ、こ、これからは寝ないように気を付けるから、それには触れないで欲しいなぁー……」
ナターシャの問いに困り顔で微笑むエメリア。しょうがないなぁ。
「分かりました。……あ、お兄ちゃんもおはよう」
「思い出したように俺にも挨拶するんじゃねぇ。まぁ良いけど」
マルスはナターシャを撫でるのを止めて前を向く。意識を店番へと切り替えたようだ。
その後エメリアに風呂場を使う許可を貰ったナターシャは、もう一つ尋ねる。
「……あの、エメリアさん。旅での洗濯物が溜まってるんですけど、何処で洗濯すればいいんですか?」
エメリアはそれを受け、笑顔で返答してくれる。
「あぁ、洗濯なら気にしなくても良いよ。今日洗濯組合の人が服を回収しに来るから。色物とタオルだけ分けて、脱衣所に畳んで置いておいて」
「……洗濯組合?」
ナターシャはまたしても新単語を聞き首を傾げる。
エメリアはその様子を見ると木箱を一旦傍に置き、説明してくれる。
「うん。よいしょっ。……えっと、フミノキースは上水の汚染に厳しいから、決められた地区でしか洗濯出来ないの。だから水場の取り合いとかのいざこざが多くって、それをまとめて解決する為に作られた組合。週に3回か4回くらいの間隔で服を回収しに来てくれて、次の日に洗った物を返却してくれるんだ」
「おぉ、すごーい……」
感心するナターシャ。エメリアは指を立てながら自慢げに教えてくれる。
「ふふ、洗濯施設はもっと凄いよ? 最新の魔道具をいっぱい使ってるからね。この街の南方にあるから、時間がある時に見に行くと良いよ」
言い終わったエメリアにも頭を撫でられ、うんっ!と元気よく返事をしたナターシャは風呂場に向かい、うがいをする。使用する水源は勿論魔法。
「“給水機”」
詠唱すると手の平から水が流れ出て、用意していた木のジョッキに溜まる。給水停止は自動。とても便利だ。
いつか水弾を発射してこういうジョッキに上手く入れるっていう曲芸やってみたい。
そのままサクっとうがいを済ませ、洗濯物を脱衣所に置き、帰り際、カウンターに居る兄の脇腹にちょっかいを掛けた後、逃げるように駆け足で二階に上がる。
「ナターシャお前後で覚えてろよ! ったく……」
ハハハハ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
パンを半分に割り、ベーコンエッグを挟んでサンドイッチ状にして食べていると斬鬼丸が一階から上がってくる。
ナターシャは自身の従者に対していつも通り挨拶。
「斬鬼丸おはよー」
「おはようであります。」
斬鬼丸も元気よく返答し、今日も調子が良い事を示す。
主であるナターシャは食事をしながら質問を投げかける。
「今日も朝稽古?」
その問いに対し、斬鬼丸は首を振って否定。
「否。街内で剣を振るわば軍に捕縛され、投獄されるとエメリア殿とマルス殿に忠告された故、無刀時の動きだけで軽く収めたであります」
「そっか。素振りしたいの?」
主から再度投げかけられる問いに頷く斬鬼丸。
「如何にも。拙者、素振りをする為に街の外に出たいのでありますが、生憎とこの街では新参者。道も分からぬ身では揚々と出向く事が出来ないであります」
どうやら街の外に出たい様子。
ピン、と閃いたナターシャは、自身の予定に斬鬼丸を誘う事にする。
「あ、じゃあ一緒に冒険者ギルド行く? この街の地図売ってるかもしれないよ」
その提案を聞き、斬鬼丸もエンシアでの出来事を思い出した様子。
通常、首都の地図など国防上の観点から売られる事は無いが、冒険者ギルドならば或いは。
「……おぉ、その手がありましたな。では拙者もナターシャ殿に御付き合い致しましょうぞ」
「おっけー。じゃあご飯食べ終わるまで待っててね」
「御意」
今日の予定が決まった斬鬼丸は椅子に座り、ナターシャが食事を終えるまで待機し始める。ふふ、これで護衛も確保できた。
ナターシャはもぐもぐとパンを食べ、スープを飲み、新鮮な牛乳を飲んで大きく息を吐いた後、食器類を持ってガレットさんの下に向かう。
「ガレットさん、使った食器は何処に置けばいいですか?」
「あぁ、貰いましょう。ありがとうございますナターシャ。……この調理場はとても便利ですね。二階から水を汲めるようになっているとは。水はこの大きく窪んだ場所に流すとそのまま下水に流れるのですか……なるほど、これは私の食堂にも使えそうですね……」
ガレットさんはどうやらこの家の構造にとても関心を持っているらしく、ナターシャへの対応はそこそこにして設備の研究に走っている。やはり食堂を経営しているからなのだろうか。
ナターシャはガレットに一応出かける旨を告げて了承を貰い、斬鬼丸には歯磨きするからもう少し待って欲しい事も伝える。
「ちょっと出かける前に歯磨きするから待ってて。すぐ行くー」
「承知。では外で待つであります」
「うん分かった」
ナターシャと斬鬼丸の二人は連れ立って一階に降り、一旦お別れ。
斬鬼丸は店の外で待機、ナターシャはエメリアに再度風呂場を借りる事を告げる。
「エメリアさん。歯磨きしたいのでお風呂場借ります」
「あ、なら良い物があるよ。ちょっと待ってっ」
「?」
エメリアはいそいそと店内を移動し、並べている商品の一つを手に取ると戻ってくる。
「はいこれ。うがい薬。口からとっても良い香りがするようになるよ。貴族と取引してる商人さんに大人気なんだっ」
見せてくれたのは液体入りの小瓶。ガラスも中の液体も無色透明だ。
ナターシャは興味が湧いたので質問していく。
「おぉー……! どんな香りの物があるんですか?」
「えっと、ここにあるのはブレンドローズ、ライム&レモン、シナモン&ローズマリーの3種類。一番人気はやっぱりローズだね。ナターシャちゃんにはライム&レモンをあげよーう」
そう言ってうがい薬の小瓶を贈呈してくれる。ナターシャは感謝しながら使い方を聞く。
「ありがとうございます。使い方は?」
「簡単。水に少量混ぜてうがいするだけ。それだけですっきり爽やかな息になるよ。後は実際に使って確かめてねっ」
「分かりました。早速使いますね」
「うんっ。あ、お家に帰ったらお父さん達やお友達にもオススメしておいてね♪」
「はい。あはは……」
愛想良く笑うナターシャ。
エメリアさんも、やっぱり根は商人なんだなぁと改めて実感する朝だった。




