138 五日目-終:長かった一日の終わり
風呂場。カポーン。
ナターシャは湯に浸かり、詠唱を思い出そうとしているのだが全然思い出せない。
「なんだっけなー……精神をー……ってのは何となく言ってた気がするんだけど……」
そのままぷくぷくと水面に沈み、唐突な閃きに任せてみたものの無理だった。
やっぱ後で天使ちゃんに創り方聞こう。それが一番手っ取り早い。
予定が決まったナターシャは早速風呂から上がる。
タオルで身体を拭き、肌着などを着てブーツを履き直し、風呂場の裏手にある焚き口に炭を数本補充していざ二階へ。
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「ただいまー。ガレットさんどうぞー」
「えぇ、分かりましたナターシャ。……マルス、部屋を教えて頂いてありがとうごさいます。では」
「どういたしましてガレットさん。行ってらっしゃい」
ナターシャはガレットさんと入れ違いになりながら2階に入室。
中ではマルスがナターシャの帰りを待っていて、早速話し掛けてくる。
「よし帰って来たな。じゃあナターシャ。エメリアさんに代わって、俺がお前の部屋の場所を教える」
「あ、うん。斬鬼丸は?」
「もう部屋に居る。さっき教えたからな」
「そっか。エメリアさんは?」
「恥ずかしくて部屋から出られないってさ。これで気を付けるようになってくれれば良いんだが……ま、いいや。とにかく3階に付いて来い」
「うん」
ナターシャはマルスに連れられ、3階への階段を上がる。
登った先には2階と同じような踊り場があり、右側の出入口から横に廊下が伸びて6つの部屋に分岐している。
ナターシャは兄の後ろから顔を出して確認し、思った事を呟く。
「部屋多いね」
「その分狭いけどな。1番奥……えー、この家の倉庫側だが、そこから戻って一つ目の部屋がナターシャの部屋だ。自由に使って良いってさ」
「分かった」
「一応部屋割りも教えとくが……1番前はエメリアさん、その次が俺。その次の二つがガレットさんと斬鬼丸さん。他人の部屋に入る時はちゃんとノックしろよ。」
「うん」
「説明はこれくらいだな。なんか気になる事でもあるか?」
マルスは説明を終えてナターシャに問い掛ける。
ナターシャは一つだけ、念の為に質問しておく。
「……お兄ちゃん。私の部屋にちゃんと窓あるよね?」
「あるに決まってんだろバカ。部屋に窓無いとか一体どんな場所だよ」
「お姉ちゃんの宿舎……」
「……マジ?」
「うん……私の部屋、窓無かったの……」
「マジか……ユーリカ姉凄いとこに住んでんな……」
ユーリカの住まいについて考え、色々と珍妙な表情をする兄妹。
……実際の所を言うと、ナターシャに充てがわれた部屋は本来物置。ベッドは破損時の予備として設置されているだけであり、泊まる為の部屋では無いと言う事を二人は知らない。
「……まぁ、ユーリカ姉は騎士だからな。そういう暗くて時間の分からない場所でも正確に寝起き出来るよう訓練するんだろう。だから窓の無い部屋があるんだと思う」
「あ、そっか。そういう為の部屋なのかも知れないよね。そっかそっか」
本当はそうじゃないという事を二人は知らない。
「……じ、じゃあ、私お部屋に行くね。お兄ちゃんおやすみ」
「あ、あぁ、おやすみ……。そっか、姉貴そんな場所で頑張ってんだなぁ……」
2人は若干動揺しつつもその場で別れ、ナターシャはこれから泊まる事になる自室に向かい、マルスは2階でガレットを待つ。
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ナターシャは不安げに部屋に入り、自室の内装を確認する。
壁と床、天井は木目、左にはベッドで右には簡素な勉強机。
壁には光を放つ小さな石付きの出っ張りが一つ。その光のお陰で夜でも部屋の中が見える。
入って正面に見える出窓には格子入りのガラスがはめ込まれていて、少し背伸びをして外を見るとスタッツの街並みが一望出来る。
家々の窓は明るく光を放ち、対照的に通りは暗いが、ポツポツと小さな灯が揺れ動いている。
その灯をよく観察すると、カンテラだ。この街の人はカンテラを持って夜の通りを歩くらしい。
これも絵になるくらい綺麗な光景だなぁ……
いつもならここで、クレフォリアちゃんが楽しそうに話しかけてきて…………
「…………」
自身の隣にはもうクレフォリアが居ない事を思い出し、ふと寂しさを覚えたナターシャ。
ゆっくりと外の景色から顔を背け、魔法創造も明日の自分に任せて眠る事にする。
ベッドの前に移動し、柔らかなマットレスと、ふわふわの毛布の間にもそもそと潜り込む。
そしてふかふかのクッションに頭を乗せ、目を閉じて微睡む。
今日はただ、静かに眠りたい。
……でも、どうか。クレフォリアちゃんと一緒に遊んで、笑って、楽しんで。
最後にゆっくりと寝られる日々がまた、来ますように。
小さな心の声を一つ目の淵に流し、眠りに付くナターシャとクレフォリア。
少女二人が別々の場所から同じ時間に、旅の同行者であり、友人である少女との再会を天に祈っている頃。
舞台は一度スタッツ国首都フミノキースから、セルカムの街へと戻る。
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未だ光源を松明に頼る間抜けなエンシア国境兵を横目に見ながら暗い城内を進み、上級給仕の居住が許されている区画へと立ち入る。
そこは女性だけの花園。男子禁制のエリアである。
当然門番も女で、それも自身達が一番管理しやすい下級給仕が宛がわれている。馬鹿らしい。
少し古いメイド服を着ている門番の女は接近者に気付き、名前を問う。
「……あの、どなたで……す……」
私は門番に対していつも通り催眠魔法を掛け、上級給仕と勘違いさせて鉄の門を開けさせる。
潜入させている部下に対し、門番には魔除けのお守りを持たせないよう徹底させているお陰だ。エンシアの貴族は内通者が居るなど微塵も思っていないらしい。
居住区の中は相変わらず石の壁に囲まれた小さな庭園と回廊と、壁際には上級給仕各人が持つ個室へ繋がる階段。どうも同じ形式が好みのようだ。
今の時間帯の上級給仕は遠くの屋敷での食事の片付け指示に追われていて、今の時間帯、ここに居るのは私の部下のみ。
給仕の身でありながらも個人の時間を自由に行使する権利を持っているのは私の先祖が恩を売ったかららしいが、それも纏めて上手く利用させて貰うだけだ。全ては我が一族の悲願の為。
潜入成功したエリスは顔を隠していた黒いマスクを外し、個室へと繋がる一つの階段を上っていく。
此処でメイド業をしている部下が使い魔で送り届けた情報の真偽を確かめに来たのだ。
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「……エリ、居るか」
ノックせず、鍵が開いたままのドアを開けて個室の中に入る。
建材は石だが、個人用の暖炉があるので寒さには困らないだろう。近くにはロッキングチェアとブランケットも置いてある。
エリスはそのまま女性らしい見た目の部屋へ入り、テーブルの上に置かれた一枚の書置きを発見。
手に取り、内容を読む。
“ウィダスティル伯爵家執事、エディオ・ヴェイグランド様へ”
“当方、エンディコ・エリはとても心労を感じた為、実家のあるエルリックへ一度帰還させて頂きます。帰還は余裕を持って二週間後予定です。それよりは早く帰って参ります。では!”
「なっ……い、一体何を考えているんだアイツは! 潜入任務中だぞ!?」
書置きをテーブルに叩き付け、困惑するエリス。意味が分からない。
エリからの伝令を聞きロスタリカの隠し拠点で一度進行を止め、今日の夕までスタッツからの情報を待っていたのが間違いだったのか?
兎に角、エリは今エルリックへ向かっているハズだ。面倒な領地間の検問を抜ける為、我々の中継拠点に泊まりながら進んでいる事だろう。これでは早すぎて捕縛が難しい。
ならば私も急いで帰還しなけなければ。途中、スターク様とも合流して情報共有もしておこう。
エリスは踵を返して走り出し、謎の失踪を遂げた部下と出会うべくエルリックの街へと向かう。
……まさか、私達もイクトルと同じように何者かによって妨害工作を受けているのか?
そんな疑問を抱きながら。




