130 五日目:運河での出来事
平地を通り過ぎ、紅葉した山脈の間を縫って進む貨物船。
今日は少し雲が多く、流れの遅い空模様。所々差し掛かる雲の影が運河の水面に暗明を付ける。
空と同じく地上もほぼ無風に近い為、ナターシャ達と荷物、馬車を運ぶ三隻の貨物船は早々に帆を畳み、運河の流れと推進器の速力のみで運行中。時折船が揺れる感覚がとても不思議だ。
そんな船の縁に背を預けながら、空を眺めるナターシャとクレフォリアの二人。
ガレットさんや斬鬼丸含む殆どの面子は到着まで船内で休憩、船員達も帆の操作をしなくて済んでいるので、当直以外は全員船内。
そのため、今甲板上に居る乗客はナターシャ達と一部の冒険者のみ。冒険者は見慣れた面子であるアストリカとアウラの女子勢二人。
甲板にも移動制限が掛かっていて、船尾楼一階にあるドアから中に勝手に入ったり、その隣の階段の昇降をした場合きついお仕置きする、と船員に注意された。
当然不服そうに頬を膨らませていたナターシャだったが、船尾楼から出て来たタリスタン親衛隊の副隊長に『これは彼らの規律だから守って欲しい』と宥められたので仕方なく守っている。
副隊長はというとアーデルハイドを呼び出し、船尾楼の中で話し合いをしている様子。多分お金とかそこら辺の事情だろう。
……さて、次は何しようかな。
そうだ、クレフォリアちゃんとお話ししよう。
甲板上も歩き倒し、空を眺めて時間を潰すのにも飽きてきたナターシャは、クレフォリアに話しかける事にする。
「今日は雲が多いねクレフォリアちゃん」
「そうですねぇ……」
「……明日は雨かな?」
「雨ですかねぇ……」
「…………聞いてる?」
「そうですねぇ……」
駄目だ会話にならない。気でも緩んでいるのだろうか、放心状態で空を眺めている。
相手をして欲しいナターシャはクレフォリアの肩口を突いてみたりしたが無反応。
その様子に少し寂しさを感じるが、かといってコチラから手を握る勇気は無いので後ろを向き、船外の景色を眺める事にする。
運河を挟み込む山々はあまり整備されていないように見えるが、時折人工物である古城が存在していて、その周囲の斜面は開墾され、ブドウ畑が造られている。
他にも、運河の岸辺には小さな木製の船着き場、廃城があったり、土砂崩れっぽい跡地の隣ではコンクリートを使って護岸工事が開始されていたりするので完全に未整備という訳ではない様子。
……おい待て。なんでコンクリで護岸工事されてるんだ? ここって中世ファンタジーの世界だろ?
深呼吸して心を落ち着かせ、眉間をマッサージして岸辺を見ると普通の土。水面下は深く掘られているのか底が見えない。
まぁ水面下までコンクリートじゃないだけ良かった……でも、凄い技術力だなぁ……
「この運河ってスタッツ国が創ったのかな……?」
それだけ凄い国なんだろうか、という意味を含めてクレフォリアちゃんに聞く。
「エンシアと共同制作ですねぇ……管理も同じく……」
「そっかぁ……」
エンシア王国も関わってるのかぁ……
それじゃあどこの国が凄いのか分かんないや……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから暫く経ち、日が高く昇って昼食時になった頃。
貨物船はムーラという中継地点の街付近に到着し、閘門という建造物を通過する事になる。
閘門とは海と陸の高低差を吸収する為の装置で、運河を創るならほぼ必須とも言えるらしい。
今はまだ人力で門を開け閉めしているが、スタッツ国は魔道具での自動化を目指して日々研究を重ねている……と船尾楼から甲板に出て来たアーデルハイドさんが教えてくれた。
揚錨機の魔道具はその前段階の物らしいが、何故そこまで創れているのにそれ以上の魔道具が生まれないんだ、ただ出力を上げるだけだろうに、とも憂いていた。
現在ナターシャは、今日の昼食である蜂蜜入りショートブレットをもっしもっしと食べながら閘門への侵入を眺めている。門は鉄製。
門は人力駆動との言葉らしく、少し服装の古い人や、鎖付きの首輪を付けられた人が数人がかりで水門から左右に伸びる長い棒を押して、てこの原理で門を……ん? ガレットさん何? え? 『船内に戻りなさい』? 何で?
のんびりと景色を眺めていたナターシャは、何故か嫌悪の表情を浮かべるガレットに手を引かれて船内に移動する事になる。
最初こそ船内に戻る理由を尋ねていたが、船内でこじんまりと座っているクレフォリアちゃんがリスのようにショートブレットを食べていて、そのあまりの可愛さに理由なんてどうでも良くなった。
金髪少女の隣に座り、まるでリスさんみたいだね、とナターシャが指摘するとクレフォリアは恥ずかしそうに微笑む。
船内に連れ戻された理由は分からないが、まぁ気にする程でも無いだろう。外の景色を眺めるのにも大分満足したし、このまま到着まで大人しくしていよう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
またまた暫くして、時間ピッタリの午後3時。
ガレットさんに与えられた最後のりんごの蜂蜜漬けをクレフォリアちゃんと共に味わっていると、船上から声が掛かる。声質からしてアーデルハイドさんだ。
『皆さん! 船がエルゴー泊地に到着しました! 接岸する際に揺れますので注意してください!』
船内に居る冒険者達は適当に返事を返し、当直外、休んでいた船員達も慌ただしく外に出ていく。
ナターシャは隣でちまちまとりんごを食べているクレフォリアに話しかける。
「泊地に到着だってクレフォリアちゃん。揺れるみたいだよ?」
「……えっ? えっと、何か言われましたか?」
どうやら聞こえていなかったようで、ナターシャに聞き返すクレフォリア。
ナターシャは再度教えてあげる。
「えっと、“えるごー泊地”って場所に着いたんだって。岸に着くとき揺れるってさ」
「えっ……あ、あぁ、もう着いたんですか。とっても早いですね……」
クレフォリアはナターシャの言葉を聞き、お皿にリンゴの刺さったフォークを置いて少し陰るような表情を見せる。しかし、パッとフォークを持つと一口でリンゴを食べ切り、お皿をガレットさんに返却してナターシャに抱き着く。
クレフォリアの突然の行動にあたふたしてりんごを取りこぼしかけるナターシャだが、自分も真似するように一口で食べ切って抱きしめ返す。
「ふふっ、揺れる時はしっかり支えておいてくださいねナターシャ様っ!」
「あはは! うん! 任せてクレフォリアちゃん!」
笑顔でいちゃつく7歳の少女。
……少女二人は互いをしっかりと支え合い、接岸時の衝撃で同時に前倒しになった事は言うまでもないだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
エルゴ―泊地は、ロスタリカの港とはまた変わった景色だ。
因みに泊地と名が付いているが湾港では無く、ロマシー大淡水湖という湖の中の一部である。まぁメッチャデカいのでほぼ海みたいなものだが。
岸辺や防波堤にはコンクリートを主な建材として利用し、防波堤で囲んだ内部では時間待ちの船が多数停泊。岸には船を整備する為の乾ドッグや、造船所が複数設けられている。
勿論、ロスタリカ港と同じように荷卸し用の設備とエリアも整備してあり、ここからスタッツ国首都に荷物が集約され、国の隅々まで迅速に貨物が運搬されていく。その逆も然り。by観光看板。
下船後、馬車に乗せていた馬、馬車の荷卸し・幌の組み立てを待つ間は相変わらず暇で、ナターシャはディビスにちょっかいを掛けて遊び始めている。
「ディビスーまだ掛かるのー?」
「あん? 静かに待ってろ。御者が馬車に馬取り付け終わるまでの辛抱だ」
「お腹すいたー」
「さっきお菓子食ってただろ」
「眠いー」
「おやつ食う前に寝てただろ」
「暇ー」
「俺も同じ気持ちだっての」
アストリカやカレーズはナターシャにウザ絡みされるディビスの様子を面白そうに見ていて、アウラは面白さ半分、心配する気持ち半分で微笑んでいる。
アーデルハイドとガレットは、船旅に同行してくれていた親衛隊に感謝を送り、世間話。
内容は今回の船旅に関する事で、副隊長が語っているのは船はもう少し小型の予定だった事、しかしもっと運ぶから給料上げろ、じゃないと受けないと庸船団にごねられた事、なので仕方なく明後日入荷予定の貨物を今日運搬する事に決め、船が大型化した事など、裏事情が色々と明らかになる話だが、ナターシャにとっては割とどうでもいい話。
「ディビスー剣触らせてー」
「駄目だ。ったく、大人しくしてろ……」
ディビスは纏わりつくナターシャの頭をぐしぐしと撫でて髪をくちゃくちゃにする。
その行為にメッチャ嫌な顔をしたナターシャはディビスから離れ、バッグを前に出し、アイテムボックスから取り出した櫛で髪を整え始める。
「ディビスの意地悪……髪の毛乱れたじゃん……」
と、文句を垂れるナターシャ。
その言葉を聞いたディビスは腰に手を当て、呆れた感じで呟く。
「これでもまだ優しく撫でた方だぞ?」
「もっと優しくして?」
「ならもっとおしとやかにしやがれ」
「ぶー」
ディビスに論破され、ナターシャはぶー垂れながら髪を梳く。まぁ良い時間潰しだ。
そうこう遊んでいる内に馬車の準備が整う。早めに終わったのは泊地に居るウィダスティル家所属の労働者が手伝ってくれたからである。
アーデルハイドは副隊長含む親衛隊の面々に最後の感謝と別れを告げ、全員の点呼を取って馬車に乗せ、出発の合図を出す。
「では一同、出発します!」
掛け声を聞いた御者の鞭で馬が歩を進める。
一行は湖港を通り、町を抜け、コンクリートで舗装された街道を通ってスタッツ国首都、フノミキースを目指す。
道中に見えるのは枯れ草原ではなく緑の残る短芝の草むら。そして、草原に建造された沢山の風車。綺麗な風景だ。
肌で感じる温度もエンシアと比較すると程々に温かく、風と共に鼻に香る草の匂いも心地よい。スタッツ国の魔物が冬眠しない理由の一つがこれかもしれない。
旅の終わりを実感し始めたナターシャは、隣に座る少女に向かって楽しそうに呟く。
「あと少しだねぇ」
対してクレフォリアは、感傷に浸るように返答する。
「そうですね……あと少しですね……」
日はまだ赤みを帯び始めたばかり。
このまま順当に進めば、日が落ちる前にはスタッツ国首都へと辿り着くだろう。




