129 五日目:朝。出航。
朝焼けが湖に反射し、ロスタリカを朱く染める早朝。
窓から差し込む朝日がベッドで眠る少女の顔を眩しく照らす。
「んあ……」
ベットの上、サボ〇ンダーのようなポーズで目を覚ますナターシャ。
シーツはグシャグシャ、口元からは涎が垂れていて、昨日の眠気がどれ程酷い物だったのかを物語る。
眩し……もう朝か……
欠伸をしながら身体を起こす。
服はいつの間にか脱がされていて、部屋中央にあるソファー付きテーブルの上に畳まれた状態で設置。
隣には猫のように丸まった体勢のクレフォリアちゃん。すやすやと安眠中。
「……あぁ起きたのですか。おはようございますナターシャ」
そしてソファーではガレットさんが朝食を取っていた。メニューはポタージュに小麦パン、白身魚のムニエル。
おぉ、冒険者ギルドの宿は部屋に食事を持ってきてくれるのか。とっても気前がいいね。
ナターシャも元気よく「おはよーございます。」と挨拶を返し、ガレットさんと共に朝食を取る。
……あっ、食事の注文は一階に行かないとダメなんですね。
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公衆浴場に行き朝の支度を終えたナターシャ達。朝風呂でほっこり。
この街の公衆浴場は、日が昇る前から働き始める港労働者向けに朝方から営業をしているのだ。
エンシア王国は昼2時から夜10時なので、営業時間の長さが良く分かるね。
そして火照った頬のままギルドに帰宅すると、アーデルハイドと出会う。
馬車や荷物は貨物船に乗せる為に先に出発したので港まで徒歩。代わりにウィダスティル家の兵士さんが道案内をしてくれるそうだ。
後少しで集合時間なので、このまま一階で待って欲しい旨を伝えられてガレットさんも了承。
ナターシャはギルドカウンター横にある立ち合いスペースで待機する事になる。
最初こそ大人しくしていたナターシャだが、この街の冒険者がクエストボードから受注書を取ってギルドカウンターに持っていくカッコよさに心が疼いてしまい、どんなクエストが貼ってあるんだろうなぁという気持ちのままに動いてしまう。
しかし、ボードの傍に辿り着いた所で残念ながら集合時間。
ナターシャはアーデルハイドの呼び声に従って渋々ギルドの外に出る。
……まぁ、時間が無いから仕方ない。スタッツではしっかり確認しよう。
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ウィダスティル家の兵士に案内されて到着したのは、地平の果てが水平線となっている湖港。
建物や港の建材はレンガ成分が多め。全体的に赤茶色。たまに木材。
“ここには造船所、船台、貨物の預かり場である倉庫群、荷積み用の巨大クレーンなどが配備。
周囲には千メートル級の山々が連なり、そこから流入する河川がこの大淡水湖を創り上げている。そしてこの湖からはスタッツ国内への迅速な運輸の中核を担う運河が流れ出し、スタッツ国の南北を貫いている……”と、観光客向けの看板に書いてある。
「……こら、ナターシャ。一人で勝手に歩き回るのはやめなさい」
「ごめんなさーい」
集団から離れ、岸辺の看板を一人で読んでいたナターシャはガレットに連れ戻されていく。
ロスタリカの港は、出航に向けて荷積みを行う労働者や荷車の往来が凄い。あと時間に追われているらしく、急ぎの号令やそれに対する反抗などの怒鳴り声が怖い。泣きそう。
ナターシャとクレフォリアは迷子にならないようにガレットと手を繋ぎ、ウィダスティル家の所有する船の停泊場所へと進む。斬鬼丸はガレットの荷物持ちだ。
冒険者達は物珍しい感じで周囲を観光しながら進み、アーデルハイドは兵士と工程の最終確認を行っている。
船旅は準備がとても大変なのだろう。まだ大人じゃなくて本当に良かったと思う。
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埠頭の一区画に着いた。分かりやすく言うと船着き場だ。波止場とも言う。
そこでは40メートル級の貨物船が、前後に3メートル程の間隔を開けて、目測で少なくとも150メートルはある、超長くて幅の広い木製の桟橋に3台横付けされて並んでいるのは迫力抜群。ウィダスティル家が貿易で相当稼いでいる事が窺い知れる。
そして一番の大荷物であろう俺達の馬車はというと。
まず、積み込みの邪魔になる幌を畳んで普通の荷馬車にする。
次は何と、貨物船の船尾側が城門のように大きく開き、接岸。そこから船中に車庫入れだ。簡潔に言うと貨物フェリー方式。
ただ、左右の隙間に乏しい船内は馬車を回転させる事が出来ない。なので、降ろす際の事も考えてバックで、更に人力での積み込みだ。馬はその後に乗せるらしい。
現在は最後方の貨物船に馬車と馬を積み終えた所で、残りは貨物と船員用の細かな荷物。前方で待機している二隻は準備OKらしい。
『すまないが、後10分は待っていて欲しい』とウィダスティル家所属の貿易商らしき人物に告げられて、波止場に屯う事になるナターシャ御一行。
冒険者達は早速貨物船の観覧に走ったが、ナターシャ・クレフォリア・斬鬼丸の3名はガレットさんに連れられ、たまたま近くにあった倉庫前で待機する事に。作業員の邪魔になるからだそうだ。
クレフォリアは、貨物の積み込まれていく様子を見ながら小さく呟く。
「これからあの船に乗るんですね……」
「そうだね……」
同じく小さく同意するナターシャ。両名とも若干放心状態だ。
主な理由は、港で見せつけられた作業員同士の激しい喧騒のせいである。子供には少し刺激が強すぎたらしい。
暫し、大体30分くらいぼーっとしていると船から鐘の音が鳴り、乗船時間が来る。
全員一番先頭の船に乗り込むようだ。ナターシャ達は長い長い桟橋を進む。
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間近で見た貨物船はとても見事な物だった。
船体にはタールが塗ってあり、光沢のある茶色。白い帆が目立ってとても綺麗。
マストを固定する縄用の投鉛台、喫水線を明確にする外部構造以外には余計な装飾を付けず、スマートな曲線を描くそのフォルムは造船者や設計者の趣味趣向が感じられる。
馬車や貨物を積む為に開いていた船尾の門だが、隙間にはゴムのように分厚く黒い革が二重に貼り付けられている。
更に、船と門の両側からはみ出すように固定され、内に溝が付いた金属の輪に、それに対応するぶっとい六角ボルトを、取り外し可能なハンドルでしっかりと締める事によって浸水を防いでいるようだ。それを7か所程留めてあるので、浸水対策は十分なんじゃないだろうか。
……そして船後方には、門を避けるように付けられた一対の小さな舵と、金属製のスラスターが付いている。因みにプロペラとかではなく、ロケットに付いているようなタイプ。いやマジで。
船を前後左右に動かせるよう、船の後方上部に一対、後方側面は左右に向かって小さな物が一対。
船首側も左右方向に小型の物が一対と、前方向への物が一対。これ付いてるなら舵と帆は要らないのでは?
少し離れた位置から前方のスラスターを覗き込んでみたが、中は空洞だった。プロペラとか燃焼機構とかは内臓されてない。……つまり、純粋な空気の噴出口? ふむ、見た目こそSFチックだが、推進剤は意外と単純な物なのかもしれない。
多分、魔力を何かに変換する方式なのだろう。ファンタジー世界だしね。
船首側での観察を終えたナターシャは桟橋を戻り、船に横付けされている木製の階段を使って甲板に上がる。
甲板の上には合計4本のマストが立っていて、それぞれ支えのロープで左右から固定。そのロープは網状になっているので、上に登る事も可能だ。
帆船としての種類を言うなれば、バーケンティンという物。比較的小人数で操帆が可能で、向かい風に強い貨物船向きタイプだ。
船尾側には大きく広い船尾楼と、ミズン・マストが船首を先頭にして縦一列に二本並んでいる。最後尾のマストは背が低い。
中央には船内に入る為の梯子付き入り口と、その近くにメインマストの支柱、端には救命ボート。船首側には船首楼、船首楼の上には揚錨機、フォア・マストの支柱、更に舳先が伸びている。
船上では船員が出航に向けての作業していて、冒険者達は順番に船内への梯子を下りていく。
そこから少し離れた場所で待つクレフォリアは、ガレットの手を握りながら不安そうな表情を浮かべている。ナターシャが居ないと寂しいのだ。
ようやく乗り込んでくる姿を視認すると安心し、笑顔を浮かべて同行者の名前を呼ぶ。
「ナターシャ様ー! コチラですよー!」
「はーい! クレフォリアちゃんただいまー!」
お呼ばれしたナターシャは甲板の上をてこてこ走り、クレフォリアに両手でハイタッチ。
そのまま互いの手を握り、謎のハイテンション状態でぴょんぴょんする。
天使ちゃんがこの場に居たならば、『ふっなたっび♪ ふっなたっび♪』と謎の歌を歌っていた所だろう。
ナターシャの搭乗後暫くして、時刻を知らせる鐘の音が鳴る。出航の合図だ。
二人揃う事でとても元気になったクレフォリアとナターシャは、近くに居るガレットと斬鬼丸と共に船中央部の端っこで出航の様子を眺める。
揚錨機は魔道具らしく、船員が魔力を通す事で錨が巻き上げられて数秒ほどで完了。
次に係留用のロープが外され、船首、船尾両方のスラスターから空気が噴射。船はその勢いで桟橋から離岸し、残る二隻も上手く足並みを揃えてそのまま出航。とてもスムーズだ。
ナターシャ達を乗せる貨物船は運航時刻表に従ってロスタリカの湖を通り抜け、自身達の番を今か今かと待つ他の船を横目に見ながら、運河へと侵入していく。
最初は平坦な草原で、遠くに山が見える穏やかな場所。船旅はまだまだ始まったばかりだ。
船は専門用語が多すぎる……




