124 四日目:ご挨拶
数刻程経った頃。未だ客間で待機しているナターシャ。
「暇……」
そう呟く少女の目からは先ほどまで残っていた好奇心の光が完全に消え失せてしまった。
今は部屋の中央、椅子の背もたれに身体を預けながら虚ろに天井を見上げて時間を潰している。
お菓子を食べようにもこれ以上は苦しすぎて食べれないし、飲み物を飲みたくても苦しくて飲めない。
おのれコルセット……というか早くしろよ領主……と怒りのボルテージを溜めながら待機しているとようやく執事さんが呼びに来る。
やっと領主様の準備が終わったらしい。
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客間から退室し、執事に連れられて赤絨毯の敷かれた廊下を歩く。
後ろには先ほど同じ部屋に居た使用人達が付いて回り、ナターシャの服装の最終チェックに入っている。
少しズレた髪飾りの位置を直し、ドレスのスカートの形を整えて埃を羽箒で掃ったりと大忙しだ。
執事さんはナターシャにいくつかの諸注意を言いながら先導し、俺も大事な部分だけしっかりと覚えつつ歩く。
正直早く終わってくれ、コルセットのせいで苦しくて死んでしまうという思いでいっぱいなので早急に事を終えたい。
ようやく玉座の間の前に到着し、入口の真ん前にナターシャを立たせる執事さん。
既に疲労困憊している俺の顔を使用人さんが笑顔に作り直し、俺も流されるままに微笑みの表情で固定する。
最後の確認が終わり、執事さんが扉を軽くノックして準備OKだと内部に知らせる。
パパパパーパーパッパラー♪ パッパラーパラララーパッパパー♪
すると部屋の中から競馬のレース前に鳴るようなファンファーレが鳴り、ゆっくりと両開きの扉が開く。
いやまるで俺がゲートインしたみたく感じるから止めてくれない? 感覚的に似てるから嫌なんだけど。
内部は白い石材で造られた空間に、2つの玉座へと真っ直ぐ繋がる赤絨毯。
赤絨毯の左右には重装備の兵士、使用人、部屋の隅には管弦楽器の音楽隊。
玉座にはウィダスティル伯爵とその夫人らしき人物が座っていて、王族を彷彿とさせる服装をしている。
ナターシャは玉座の間に入る。
背後の扉は2人の兵士によって大きな音が鳴らないようにゆっくりと閉められる。
俺は促されるまま絨毯の上を進み、左右に待機する20人ほどの重装備の兵士が一斉に槍を上に向け、地面に柄を当てる音や、音楽隊が掻き鳴らす音楽を右から左に聞き流しながら玉座の前に辿り着く。
伯爵を音楽隊を制して止め、ナターシャの次の行動を待つ。
ナターシャは執事さんに教わった通りに玉座の前でカーテシーを行う。
ようはスカート掴んで丁寧にお辞儀するアレ。今回はコルセットのせいで腰が曲がらないのでお辞儀は控えめだが。
ナターシャがお辞儀を終えるのを待った後、伯爵の口が動く。
「……よく来た訪問者よ。我が名はウィダスティル・セルカム・レミオム。其方、名は何という」
伯爵の命を受け、ナターシャは返答する。
「私はユリスタシア男爵家、名をユリスタシア・ナターシャと申します。此度はご子息のタリスタン様に招かれ、ご挨拶をしに参りました」
スカートの前で手を組み、清楚な雰囲気を出しながら軽く頭を下げて挨拶の礼とする。
伯爵はその様子を見て、続けるように言葉を話す。
「……そうか。この街によくぞ来たユリスタシア・ナターシャ。顔を上げよ」
ナターシャは言われた通りに顔を上げ、領主夫婦の言葉を待つ。
伯爵は御付きの人と幾つかの言葉を交わし、何やら状況確認らしき事を行った後言葉を紡ぐ。
「……今回其方が招かれた理由の一つとして、深く傷付いた我が息子を治療したからと聞いたが、それは誠か?」
「はい。事実です」
伯爵の問いに、誠実に答えるナターシャ。
「……そうか」
伯爵は事実確認を終えた所で本題に入る。
執事さん曰く、ここから先は事前に取り決めた通りにしか進まない。ようは後は流れでお願いしますといった感じ。
まぁとりあえず、とんとん拍子に終わってくれる事を願おう。そろそろ酸欠でキツイ……
ナターシャの微笑みに一点の曇りが入り始める。
「……この度は我が息子、ウィダスティル・セルカム・タリスタンを自らの身を危険に晒してまで救出してくれた事に、この街を治める王、そしてタリスタンの父親として其方に感謝の意を示す」
「感謝致します」
領主夫婦にお礼を告げられ、ナターシャは返答するように一礼。
再び顔を上げるよう言われて顔を上げる。
伯爵は御付きの人に目配せして準備が終わっているか確かめる。確認が取れた後、褒美を授ける。
「……其方には、此度の感謝の証としてささやかな褒美を用意した。受け取るがいい」
伯爵の指示で御付きの人達が動く。
音楽の教科書に載っているクラシックの作曲家のようなヘアスタイルの男性が、金色の房が四方の角に付いた赤いクッションの上に褒章を乗せてナターシャの前に跪く。
もう一人の同じヘアスタイルの男性が赤い紐の付いた褒章を両手で受け取り、紐の裏に付いている金の留め具を使ってナターシャの胸元に取り付ける。
取り付け終わった事を確認した御付きの人2名は玉座の後ろへと下がり、ナターシャは感謝の言葉を領主夫婦に向かって告げる。
「ありがとうございます」
それを受け、領主夫婦も少し間を置いてから再び口を開く。
「我々も其方のその聖なる献身を忘れず、清い精神を保ち、共に神の御前に導かれる事を望む。神の名の下、此処に其方との誓いとせん」
「貴方のその崇高なる精神を称え、その身に聖なる祝福が有らん事を」
それを受け、ナターシャはもう一度礼をする。この部屋に居る人間も祈るように目を瞑る。
暫し黙祷のようにその場が沈黙した後、伯爵の一声で黙祷は終了。
伯爵は若干ふら付き始めている目の前の少女を心配しながら、別れの言葉を送る。
「……では、ユリスタシア・ナターシャよ。其方がまた此処に訪ねてくるのを待っている。汝の生に、その旅路に神の祝福あれ」
「……はい。ありがとうございます」
少し辛そうな声で返礼するナターシャ。しかし微笑みは絶やさない。
最後の儀礼が終わったのを確認した御付きの人が声を上げる。
『ユリスタシア・ナターシャ様、御帰郷ー! 扉を開けよー!』
その一声でゆっくりと出口が開く。
音楽隊が終曲を奏で始め、別れの気配をその場に漂わせる。
ナターシャは領主夫婦に軽く一礼し、後ろを向く。
兵士達が流れるように柄を地面に叩き付ける音を聞きながら赤絨毯の上を歩き、玉座の間から退出。
……バタン、と玉座の扉が閉まる。
ナターシャの顔から微笑みが消え失せ、コルセットの苦しさから来る酸欠と疲労でその場に崩れ落ちる。
「しんど……まじむり……」
扉の影に待機していた使用人3名ほどが扉前で動けなくなった少女を抱え、コルセットを脱がす為に客間へと急ぐ。
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ようやくコルセットから解放された俺は客間中央のラウンドテーブル前の椅子に座り、コップに注いだ冷たい水をがぶ飲みしている。
因みに現在の服装だが、先ほどのドレスから針金を抜き、普段着として使えるようにした物を追加で贈呈してくれたのでそれを着ている。靴下や靴まで完備。
褒章は新しい服へと付け替えられ、今も燦々と俺の右胸元で輝いている……というかもうそう言うのはどうでもいい。
「はぁ~……もうやだ疲れたぁ……コルセット嫌い……」
疲れてテーブルに突っ伏すナターシャ。テーブルに置いたコップから少し水が零れる。
ナターシャからは見えないが、使用人さん達も分かる、といった表情で頷いている。
一応ご挨拶は終わったんだけど、どうやら昼食が控えているらしく客人枠の俺はそれに参加しなければならないらしい。貴族というのはなんでこう、面倒な決まり事が多いのだろうか。
あぁ、クレフォリアちゃんと一緒にこの街の名物グルメをたっぷりと味わいたかったなぁ……




