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118 三日目:対峙する突風の狼と剣技の精霊

「ふむ……」


 ナターシャが怪我人の治療を行っている頃、外で警戒に当たっている斬鬼丸が狼達の不穏な動きを察知する。

 先ほどまで威嚇の声を上げていた狼達が静まり返り、不気味な程の静寂が場を支配する。

 しかし逃亡した訳ではなく丘の周囲を隙間なく取り囲み、決して脱出させまいとしている。

 まるで何かが来るのを待っているようだ。


 斬鬼丸はまだ戦闘経験が少ない為よくは分からないものの、自身の内に眠る剣技の持ち主達が警鐘を鳴らす。



 ……この静寂が終わる時。

 それは、強敵が出現する合図だと。



 その為斬鬼丸は、来るべき戦闘に備えて精神統一を行う。

 剣を鞘に戻し、その場で胡座を掻き、思考を止めて心を無にする。


 隣に居る兵士達は突然座り込んだ西洋甲冑の男に首を傾げるが、この人物のお陰で狼達の襲撃が止んだ事は事実なので何も言わない。


 樹洞内ではナターシャの回復魔法で順調に兵士が回復していき、後2割ほどハイヒールを掛ければ脱出する事が可能だろう。



 ――狼は、それを分かった上である仲間の到着を待っている。


 あの鎧の男は一騎当千の強さを持っている。数だけでは勝てない。

 ならばどうするか。簡単だ。


 我らが束となっても叶わぬならば、束となった我らより強い者を呼べばいい。

 斬撃防御の加護を我らに与え、人の戦術を教え込んだ一匹の狼を。


 既に一つの群れが本陣に救援要請に向かった。その狼を連れて戻ってくるにはまだ時間が掛かる。

 このままでは先に向こうの回復作業が終わってしまうだろう。


 ……それだけは避けなければならない。

 更に時間を稼がなければならない。


 人間は、我らの目的の為に必要なのだ。


 樹洞を見張る狼達の近くに、青い風を纏った狼が一頭現れる。

 オウン、と小さく吠え、仲間の狼に見守られながら繁みから抜け出し姿を現す。


『……』


 無言で佇み、座り込んでいる斬鬼丸を睨む。

 入口を守る兵士達はその狼に見覚えがあるようで、怒りの表情露わに歯ぎしり。

 その内一人はもう我慢ならぬ様子。感情に任せて言葉を紡ぐ。


「コイツ……! おのれッ、ここでタリスタン様の仇を……ッ! 絶対に殺す……ッ!」


 そう言い終わると剣を振りかざし、速足で歩きだす兵士。

 次第に早くなり、走って突撃しようとした所で立ち上がった斬鬼丸が腕を上げて制する。


「……待たれよ。怒りは判断力を削ぐであります」


「部外者が邪魔をするなッ! これは我々親衛隊の威信に関わる事だぞッ!」


 兵士の言う通りだ。

 彼らは通常の兵士ではなく親衛隊。

 主を守る事を最上とし、主に命を懸ける事が誉れの精鋭達。

 そんな彼らが、主であるタリスタンを傷つけた存在を許せる訳がない。

 斬鬼丸もその強い信念、想いを汲み取った上で我を通すことに決める。


「承知の上。貴公が仇討するのも当然の摂理。……しかし、此処は拙者に任せて頂けないか」


「貴様に任せて我々の留飲が下がるとでもッ!?」


 一歩も引かない兵士。憤っているようで呼吸が荒い。今にも殴り掛かってきそうだ。

 少し酷ではあるが、斬鬼丸は正直に事実を告げる。


「……では、ここで無謀にも突撃し、華々しく散るのがお望みか? 主に部下を失う悲しみを背負わせるのが貴公の騎士道か? ……この後に控える包囲網の強行突破に手を貸さず、先に天に昇る事を願うのか?」


「なッ……! ぐぅッ……!」


 斬鬼丸の言葉で黙り込み、俯く兵士。

 その身体は怒りと、決して仇を取れないという悔しさで打ち震えている。

 そんな兵士に向かって斬鬼丸は次のように述べる。


「戦士たるもの、勇猛なる事は尊び、望まれるべき。しかし、この場ではその勇猛さを発揮してはならない。まだその時では無い。……だが、安心召されよ。貴公の勇気、無念の想いは拙者が果たして見せる故」


 言い終わり、兵士の肩を叩き、慰める。

 兵士は悔しさで涙を漏らしながら呟く。


「……分かった。ぐっ、悔しいが、今は貴方に任せよう…………」


「……良い判断であります。」


 そして、一度死した身としての思いを告げる斬鬼丸。


「……最後でありますが、人は命あってこそ輝くのであります。誰が為に命を賭すか。命を賭して何を成すか。命の灯火の一瞬の輝きをもって他人の命を繋ぐ状況こそが、遂に我が身を捨てる時。その時まで決して無駄遣いしてはならないのであります」


「……あぁ」


「では立ち話はこれくらいにて。貴公はしっかり警備をしておいて下され」


「……あぁ……うぐっ……」


 悔しさで泣いている兵士が持ち場に戻るのを見届けた後、斬鬼丸は無言で立ち尽くす青い風の狼と対峙する。

 体格はハウリングウルフよりも一回りも二回りも大きく、威圧感も桁違いだ。

 これが多分ブラストハンターという魔物なのだろうと理解する。


 ゆっくりと鞘から剣を抜き、中段に構えて停止する斬鬼丸。

 相手が狼である以上攻撃方法は牙か爪か咆哮か。

 突進や後ろ脚での蹴りも視野に入れ、相手の出方を探る。


 ブラストハンターは余りにも隙のない斬鬼丸の構えを見て、まずは様子見として少しづつ移動をし始める。

 ゆっくりと歩を進め、相手をつぶさに観察する。


 斬鬼丸も相手の動きに合わせてじりじりと向きを変え、必ず正面に捉える事を心掛ける。

 丘の上の斬鬼丸、丘の下のブラストハンター。


 位置として見ればハンターが不利だが、飛び道具である風の咆哮がある以上ほぼ五分に近い。

 近距離に入れば斬鬼丸の独壇場ではある。しかし、機動力があり戦闘経験も豊富であるブラストハンターがそれを許すとは思えない。


 この戦いの勝敗を決めるのは、どれだけ場慣れしているか。

 そして、どれだけ強い覚悟を持っているか。




 ――少しづつ距離が縮まる。互いにまだ仕掛けない。




 ハンターの周囲に纏う青い風が強くなる。

 斬鬼丸も剣を強く握りなおす。兜のスリットから炎が漏れ始める。


 先手はどちらが取るのか。

 目には見えない精神面での主導権の奪い合いが続き、緊張の糸がその場に張り詰める。


 勝負の行方を見守る兵士達も、狼達も呼吸さえ忘れてしまうような重い空気。

 一般人なら余りの緊張感に気分を崩してしまうだろう。


 ブラストハンターは斬鬼丸から漂う雰囲気だけで凡その強さを理解し、ゆらゆらと警戒しながら歩くのをやめて、ゆっくりと、一直線に歩き始める。

 一歩、また一歩と相手の境界線を探るような動き。斬鬼丸はこのような敏い獣が存在するのかと驚く。


 そして斬鬼丸も同じく相手の間合いを知るために一歩踏み出す。


 ハンターはその動きで相手も此方の強さを理解しただろうと察知し、唸り声を出して威嚇し始める。


『グルルルル……』


 斬鬼丸もそろそろ間合いが近い事を理解。

 如何にして先手を取ろうかと考え始める。


 ハンターもこれ以上進めば斬鬼丸が飛び込んでくる事だろうと予測し、進むのを止める。

 先手は相手に取らせ、此方は反撃で仕留めようと決める。


 そして斬鬼丸も後一歩、射程圏内ギリギリの位置まで歩を進める。

 後はどう踏み込み、斬り込むか。


 単調な動きはまず見切られる。

 飛び込めば相手は横に避ける。斬り上げはバックステップされる。


 ……ならば、全部ひっくるめて出してしまえば相手のカウンターをけん制出来る。


 動きを決めた斬鬼丸は構えを変える。

 中段の構えを止め、右手を胸の前に構え、剣尖をブラストハンターに向ける。突進の構えだ。


 少し態勢を低くし、地面を強く蹴る事が出来るように片足に体重を掛ける。


 ハンターも唸り声を上げながら思考し、相手がどう動くか考え始める。



『グルルル……ッ』



 その際一瞬声が止まる。



 ――――命のやり取りを行う上で、一番気を付けなければならない事は考えすぎる事。

 常に臨機応変に対応し、的確な処理を行わなければならない。




 思考にかまけて隙を晒すなど、言語道断だ。




 斬鬼丸は地面を抉りながら踏み込んで、ブラストハンターに向かって突撃。

 まず初撃。全ての剣技の中で最速、最短、そして最も威力が有ると言われる攻撃、“突き”を狼の眉間目掛けて撃ち放つ。

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