第八話 巡る日常 その②
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昼のトレーニングを終え、ダムルードと別れたアストはいそいそと地下食堂へと向かった。
サルワティオの管理運営元であるヴィーケンリート邸は、地上の屋敷部分と広大な地下施設の二層構造で出来ている。
地下の規模は最早一つの街と呼べる程大きく、ヨミによれば約三万人ほどのユニットがここで暮らしているらしいので、新参者のアストにとっては未だに道乗りを覚えるのすらおぼつかない有様だ。
「ようやく……着いた」
道を間違え、最終的には道行く人に案内してもらう事でようやく辿りついた地下食堂。
ヴィーケンリート邸に備え付けられた数ある飲食店の中でも最大規模の収容率を誇るこの店は、なんといってもその豊富なラインナップがウリだ。
「さぁて、今日は何を食べようか」
券売機の列に並び、財布の紐を開く。
ここへ来た当初は物珍しかった券売機の扱いも今ではすっかり慣れたものだ。
鎧の身体にも関わらずどういうわけか腹もすくし、食事も摂れるというのは何とも奇妙であるが、アストは心の底からこの身体構造に感謝していた。
食とは命そのものであり、とても大きな喜びだ。
これを失ってしまえば人生の半分以上が色あせたも同義であり、少なくともアストは食を必要としない仙人ボディなど真っ平ごめんだった。
「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」
ごろごろシチュー 800ソフィ
魔王様ランチ 1200ソフィ
春のきまぐれ聖女風パスタ 950ソフィ
券売機に並ぶとても魅力的な言葉の数々。
後ろに並ぶ人に悪いなと思いつつもアストはついどれにしようかと吟味してしまう。
「あ」
つい声を出してしまう程アストの興味を惹きつけたのは、あるジャガイモ料理だった。
楽しい・おいしい・ポテプッチ!(期間限定黄金牛バター味) 300ソフィ
「ポテプッチかぁ!」
ポテプッチはサルワティオ全域で絶大な人気を誇るスナックフードだ。
ジャガイモをコロコロ丸めてボール状にした優しい触感と、千を超える魔法のフレーバーで老若男女問わず多くの者を虜にしたあの味がここでも楽しめるなんて――――アストは意気揚々と券売機のボタンを押した。
「あ、丁度僕の分で売り切れか」
何だか得しちゃったとついでの窮覇王タンメンを押しながらにまついていると、背後から急にがしゃこんと、何かが倒れる音が聞こえてきた。
「え?」
急ぎ後ろを振り返ると、そこには赤い作務衣を着た金髪の少女が、まるでこの世の終わりを迎えたかのような絶望的な表情で伏せていた。
「え? え? お嬢ちゃんどうしたの?」
直ぐに少女へと駆けより様子を確認するアスト。
すると少女はか細い声でアストに向かって、言った。
「武士ちのなさけだ。そのままたちされ」
「は?」
意味がわからなかった。
とりあえずこのままでは他の客の邪魔になるので、アストは謎の少女を引き連れて券売機から距離を取る。
「えっと、お嬢ちゃん大丈夫?」
「わたちは平気。しょうぶをわけたのは健康じょうたいではなく時の運」
とても大丈夫そうには見えなかった。
というか全く話が見えてこなかった。
「えっ―――とお嬢ちゃん? 良かったら僕にも分かるように話してくれないかな?」
少女は金色のツインテールをぶんぶんと振りまわしながら、悲壮な決意を固めて口を開く。
「むずかちい事ではない。わたしは勝負に敗れ、お前、君、テメェ、あなた……ん? あなたどちらさま?」
話の途中に急カーブで話題が反れてしまったが、アストは根気よく少女の質問に答える。
「アストだよ。アスト・フェアー。最近ここに来た新参者さ」
「アスト……とてもよい名。ところでわたしはロリー。『タ』はいらないのでつけないでほちい」
「? よろしく、ロリー」
最後の下りはよくわからなかったが、とりあえずお互いの名前を知る事が出来た所でアストはもう一度少女ロリーに尋ねた。
「それでさロリー、勝負って何の事だい? 僕にはさっぱり覚えがないのだけれど」
「しょうしゃとは時に無自覚でざんこく……その選ばれち証を持ってどこへなりともゆくがよい」
「証?」
ロリーの視線の先を辿ると、そこには先程買ったポテプッチの食券があった。
「もしかして……これの事?」
「どうしてわかった」
「いや、それだけ食い入るように覗いてたらわかるよ」
しかしこれで謎は解けた。
要するにこの子はポテプッチが食べたかったのだろう。
それがたまたま目の前で売り切れてしまったが為に、思わずあんなリアクションを取ってしまったのだ。
少しオーバー過ぎる気もするが、楽しみにしていたものが目の前で売り切れてしまった時の残念無念はアストも痛い程わかる。
だからここでアストが取る行動は一つだった。
「これあげるよ」
少女の白い手にポテプッチの食券を乗せる。
「いいの?」
「いいよ。僕にはこれがあるし」
そう言ってアストは窮覇王タンメンの食券を見せた。
口コミでは食堂でも一、二を争う食べ応えらしい。
満腹感を得るだけならこれで十分だろう。
「あっ」
「?」
「ありがてぇ、ありがてぇ!」
突如として凄まじい速度のお辞儀を始めるロリー。
無表情のまま、ただし目だけは異様に輝かせて頭を高速でぶんぶんと振りまわすその様は、何だか危ない儀式をやっているようにも見える。
どうやらとても喜んでいるらしい。
表情は乏しいが、随分感情豊かな子だなとアストは思った。
「喜んでくれてよかった」
「とってもありがとうアスト。この借りは必ずかえす。おぼえてろよ」
「うん。ちょっと言い回しが物騒だけど言いたい事は伝わった。ありがとうロリー。その時はよろしくね」
経験上、こういう場面で下手に謙遜するのは良くないと知っているアストは、素直に厚意を受け取った。
「それじゃぁロリー、僕は行くよ。元気でね」
別れの挨拶を済ませ、ばいばいと大きく手を振るロリーを残し、アストは麺コーナーの列に並んだ。
(……面白い子だったな)
お互い名前しか知らない身だ。
今度いつ会えるかもわからない。
けれど例えこれが一期一会の出会いだったとしても、自分があのユニークな少女の事を忘れる事は無いだろう。
そんな確信めいた予感がアストにはあった。
◆
しかしそんなアストの想いをよそに、彼らはあっさりと再会を果たした。
というか別れてから数分と経たずに顔を合わせてしまった。
「よ」
「や、やぁロリー。さっきぶりだね」
あまりに早く再会したせいで、さっき黄昏ていた自分がちょっと恥ずかしいアスト。
しかし、そんな彼のめんどくさい心情など知らんとばかりにロリーは彼のパーソナルスペースにぴょこんと入って来た。
「どうちたの? アスト」
「あぁ、いやぁウン。中々座る席が見当たらなくてね、ちょっと困っていた所なんだ」
地下食堂はヴィーケンリート邸の中でも人気のある大衆料理店だ。
しかも今はお昼時。
席はどこも埋まっていて、とてもじゃないが座れそうにない。
「麺が伸びない内になんとかしたいんだけど……ロリーどこかいい場所知ってる?」
「しってる」
即答だった。
「へぇ、凄いなロリー。そこってここから近い?」
「うん。人もいないし、ジュースとかもタダでいっぱい飲める。穴場」
そんな素敵な場所があったのか、とアストは思わず感心してしまった。
この少女、意外に侮れないかもしれない。
「良かったら僕もそこに行っていいかな」
「いいよ。アストは恩人。受けた借りはきっちりかえす」
そう言ってロリーに案内されたアストが向かった先は――――
◆
「いやっほぉロリータァアアアアアアアアアアアアアアッ! 今日も元気ぃいいいいいいいいいいいいいいい!?」
糞神ヨミの執務室だった。
「げんき。それと『タ』はいらない」
「んな事どーでっもいいじゃん! それより良く来たねロリータ、思う存分寛くつろいでくれたまえよ」
「くつろぐ。でも『タ』はいらない」
まるでぬいぐるみを抱くようにロリーにべたつきながらいつもの調子で喋るヨミ。
相手をさせられているロリーはとても嫌そうな顔をしていた。
「およ? 良く見たらアストっちもいるじゃないか? どゆことどゆこと? 二人はお知り合い? それともそれ以上のご関係?」
今すぐコイツを殴りたい!
そんな衝動をなんとか抑えて、アストはパチ神に事の詳細を話した。
「ふむふむ。だったら君はとても良い選択をしたねぇアストっち! 何故ならこの部屋は……その為に解放されているのだから!」
ウザいドヤ顔でヨミが語るところによると、この執務室は職場の風通しを良くする事を目的とした「誰でもトップと食事が摂れる素敵サロン」として昼時限定で門扉を開いているそうだ。
「椅子はフカフカ、ドリンクバーは飲み放題、おまけにこんな可愛いヨミちゃんとお喋り出来るっていうのに全然人が来なくてさー、おかげで私はいつもボッチ飯ですよ」
「それは、辛いですね」
「本当だよー、ねーどーして誰も来てくれないのかなー」
「ナンデデショウネ」
もしかしなくても原因はハッキリしていたが、アストはそれを本人に伝える勇気はなかった。
いくら彼女がアレでも流石に傷つく心ぐらい持っているだろうと慮っての事である。
決してめんどくさい事に巻き込まれたくなかったからではない。
断じて。
「どうだいロリー、ポテプッチおいしい?」
話題を変えるべく金髪ツインテール幼女の方に顔を向けるアスト。
幼女はしゃくしゃくと口の中に件のじゃがいも料理をほっぽりながら言った。
「なめらか」
なんとも独特な表現だった。