第六話 チュートリアルのお相手は、山より巨大なゴーレムで その②
昨日投降した五話があまりにも長かったので前半と後半に分けさせて頂きました。VS巨大ゴーレム戦後半です!
◆◆◆
「エメスコード:{索敵範囲拡大、殴打継続、地精霊拡充、対熱量障壁起動、前右腕部を吸収及び構造化}オーダー。流石に消耗が激しいね。対ブレス用の障壁を下げるか」
闇の中にちりばめられた無数のエメラルドの光。
それらが規則的、に動き回り続ける部屋の中心で主は小さく溜息をついた。
「流石に世界を救っただけの事はある。まったく、ボクのかわいい『アヴァランシェ』をここまで痛めつけてくれるなんてね。お陰でいいデータが取れそうだよ」
主の名はカルバオウル。
アストとリリスの二人が居た時代から、およそ四千年遡ったサルワティオを生きた賢人である。
遥か古代において、数多のゴーレムを産み出し、そしてゴーレムに関する魔術学問を一代で完成させてしまった稀代の天才は、編み込んだ濃紺の髪をうざったそうにかきあげ、掌の上に頭を置いた。
額の熱を手に感じ取りながら、彼女は自身の作品がどうすれば改良できるかを考えていた。
いや、彼女の場合、それしか考えていないともいう。
生前も死後も彼女の頭にあるのはゴーレムの事だけである。
崇高な理念もなく、爛れた欲求もなく、只ゴーレムへの愛着とロマンだけでゴーレムを造り続けてきた彼女にとって、今のこの状況すら、ついでのながら作業に過ぎないのだ。
『やっほー、カルバオウル。ヨミだよん。調子はどうだい?』
「……………………」
『おーい、聞こえてるかーいカルバオ―――ル――――』
「聞こえてるよ。君の耳障りな声にうんざりしてただけだ」
暗室に突如映し出されたヨミのホログラム映像に舌打ちをしながら、カルバオウルはアヴァランシェの操作を続けた。
『いやいや、そんなに邪険に扱わないでおくれよー、ただ私は頑張っている君を労ってるだけじゃないかー』
「うるさい黙れ死ね。用件があるなら、さっさと言ったらどうだ。こっちは忙しいんだ? 君と無駄話をする時間なんて一秒とない」
「はーあ、相変わらずカルバオウルはつれないねー。私は君と仲良くしたいのにさ。まぁいいや。とりあえず聞きたい事は一つだよ。実際戦って見てどう? あの二人」
ヨミの問いに対し、少しだけ黙した後カルバオウルは色々と切り替えた。
(……ルール①このいけ好かない代理神は不倶戴天の敵であるが、同時に今はカルバオウルの上司である)
(……ルール②その上司から所感を聞かれた以上答えないわけにはいかないだろう)
――――とまぁこんな感じのある種の義務感を己に課すことによって、カルバオウルはようやくバ罵詈雑言以外の言葉を己の口からひり出す事に成功した。
「基本性能は流石スローンズって所だね。前衛の龍人の戦闘ポテンシャルには目を見張るものがあるし、後衛の憑依術師も全能派の魔術師として完成された能力を持っていると思うよ」
『ほうほう。君が素直に褒めるなんて珍しいじゃないか』
「失礼だな。ボクは君が格別嫌いなだけで、他の存在に対しては公正な判断を下しているつもりだよ。良い者は良いと素直に認める事が出来なければ何事も発展しないからね」
『そうかそうかー。じゃぁついでに私の事も公正に判断して、ついでに仲良くしてくれればうれしいんだけどにゃー』
「悪いけどそれはない」
それが出来たらどんなに楽か、と口に出かけた言葉をカルバオウルは寸前の所で噤んだ。
「話を戻そう。二人とも基礎スペックは素晴らしいものを持っていると思うよ。だけど残念ながらスローンズとしてはハズレだ」
『どうしてそう思うんだい』
「言うまでもないだろう。戦闘中の無駄口の多さ、状況判断の軽薄さ、決められる時に決めようとしない爪の甘さ、どれを取っても致命的だ」
実際アスト達がアヴァランシェを倒す機会は幾らでもあった。
例えば初手、例えば回復行動の最中、例えば懐に入り込んで右腕を斬りつけた際の大きな隙。
そのどれもを彼らは見逃して、結果この様である。
「そもそも初めてとはいえ、スローンズがミニオンにやられている時点で話にならないだろう」
そう。カルバオウルはスローンズではない。
ユニットの階級としてはその下に位置するミニオンに属する。
その彼女に、彼らは二人がかりで相対しておいて負けたのだ。
「正直、期待外れと言わざるを得ないね。初戦とはいえ仮にもスローンズなら、ボクのアヴァランシェを一撃で全損させるくらいの事はしてもらわないと」
自分でも厳しい事を言っているのはわかっていたが、それでもカルバオウルは思ってしまうのだ。
(それくらい出来なければ、きっと一カ月後の戦いは乗り切れない。いや、そこまでやってようやく最低条件だ。君もわかっている筈だヨミ。なんせウチは……)
『成程成程。以上、先輩からのありがたいお言葉でしたぁ! さぁ、ここまで言われて黙って引き下がれるかい後輩達ィイイイイ?』
急に叫び出したヨミの声に耳を押さえながら、カルバオウルは周囲を確認した。
(索敵範囲八十キロメルト以内にはいない。いや、そもそもアヴァランシェの一撃をまともに喰らって簡単に動けるはずが――――!?)
そこでカルバオウルはある可能性に気づく。
「空か」
アヴァランシェの索敵機能を全て上空へ回し、彼らの姿を探す。
大地を離れれば離れるほど、アヴァランシェの索敵能力は落ちていくが、それでも全機能を総動員する事でスペックを維持し続ける事十数秒、ようやくカルバオウルは彼らの姿を発見した。
雲の無い空域。
蒼の世界にそびえる影。
燦々と照りつける太陽を背にして件の二人は立っていた。
そのあり得らしからぬ事実を理屈づける為、カルバオウルは思考を高速回転させる。
どうして索敵能力が機能しなかった?
どうやって逃げた?
何故?
いつ?
何が悪かった?
「……つまりこういう事か?」
時間にして秒を待たず、カルバオウルは結論に至った。
「アヴァランシェの一撃を受けた直後に、索敵機能が認知するよりも早く索敵範囲外の上空まで飛び立ったと。ハハハ、なんていうか、やはりスローンズというのは化物だな」
分析結果を口に出しながら、カルバオウルは彼らの評価を更新する。
地を這うゴーレムを見下ろす龍と騎士の姿に強い警戒と驚嘆の念を抱くと同時に、彼女の中に去来する強い想い。
「これは、いい素材が取れそうだ」
そう、彼女はいつだってゴーレムの事を一番に考える女なのだ。
◆
「カルバオウルという名は、古代ダラク語で恵みをもたらす者という名があります」
高度一万メルトの高さでおぶられながら、アストは彼女について知り得る情報を話していた。
戦闘中にのんきに講釈などいかにも彼らしいと思われるかもしれないが、先程までとは幾ばくか状況が違う。
彼は、ここが安全地帯だと知っているからこそ発話しているのである。
「今からおよそ四千前の時代を生きた彼女は、今のオルテナ地方の前身であるカリシュラタ王朝のさる宮廷魔術師の娘として生を受け、魔術の英才教育を受けたと言われています」
蒼い空を見下ろしながら、古の賢人について話すアストの姿は心なしか少し興奮しているように見える。
「カルバオウルは天才でした。それも尋常では無い程に。中でもゴーレムに関する魔術に関しては史上において未だ彼女を越える使い手は現れていません」
「だろうな。いや、それ以上か。これほど完成されたゴーレムは、我らの世にはなかったぞ」
リリスの意見は正しい。
現在彼らが相対しているゴーレムは、明かに彼らのいた時代のレベルを超えていた。
「悔しいですけど彼女以降に出生した全ての魔術師が育んできたゴーレム技術は、結局彼女一人に追いつく事が出来なかった」
しかも彼女の遺した理論を使った上でである。
「断言します。やはり彼女は本物です。遥か四千年前を生きた伝説のゴーレムマスターその人に違いありません」
きっかけはリリスの言葉だった。
『まるで神話の世界に紛れ込んだような気分だな』
神話の世界、遥か古代に紡がれた大層大げさな昔話がサルワティオには沢山存在する。
それは例えば世界を飲み尽くす大波を身一つで鎮めてみせた聖女の物語。
それは例えば人の世を脅かさんとする魔王を滅ぼしたとある勇者の英雄譚。
それは例えば多くの死病から生命を守り抜いた名も無き祈り子の譚詩曲。
それらは大仰で古めかしくけれど多くの人間に愛されて時代を渡り続けてきた。
誰もが知っていて、簡単にそらんじる事が出来る夢と希望の伝説達――――その中に彼女の物語もあったのだ。
物言わぬ土塊から命を造り出し、ソレをモノではなく者として愛した女の物語。
彼女はその才能から数奇かつ過酷な運命に翻弄されるも、それをことごとく大地の仔と共に解決していき、やがて国を襲う大災害を幾千の巨人の力を以て救うのだ。
――――だが忘れるな。
強かろうが偉大だろうが賢かろうがそれらは所詮添え物にすぎない。
最も大切なものは愛だよ
物語の終盤、災害を救った代償に天へと召されていく彼女が人々に向けた一説である。
アストはこの言葉が大好きだった。
力でも、地位でも、知恵でもなく、愛こそが最も肝要なのだと、そんな事をサラリと言える大人になりたいと思ったものだ。
「僕らがこうしてユニットとして蘇った以上、過去のサルワティオを生きた英雄が現れてもおかしい事ではありません。そしてカルバオウルを名乗るゴーレムマスターが最強のゴーレムに乗って現れた。ならば答えは一つでしょう」
ミニオンクラスというのだけが納得できませんけどと結び、アストはリリスを見た。
「成程成程。あいわかった。それでアスト、これからどうするつもりだ?」
視線の先の彼女は、妙ににまついていた。
まるで何かを待っているような美女の笑顔にアストは見透かされてるなぁと内心ごちりながら自らの気持ちを伝えた。
「会った事はありませんが僕は彼女の事を尊敬しています」
「うむ」
「この一連のゴタゴタが終わったら何とかしてアポイントメントの機会を作ってもらい、その偉大なる魔術理論をこの胸に刻みつけたいと思っています」
「うむ」
「だが、それは……全部終わった後の話だ」
自然と強まる語気。
リリスは良く知っていた。
このアスト・フェアーという男は、意外に熱血で、負けず嫌いで、沸点が低いのだ。
ヨミによってアスト達に流されたカルバオウルの会話。
それは彼らの欠点を冷静に述べつった見事な批判だった。
これがもしも全て終わった後に評されたのならば、アストは何の抵抗もなしに全て受け入れていただろう。
だが、実際は違う。
まだ何も終わっていない。
強大な一撃を喰らってしまったが、それでも彼らは健在だ。
アストもリリスも共に五体満足で立っているのだ。
だのに何故彼女は勝った気でいる?
勝った気で語る?
期待外れ?
話にならない?
それは勝者の特権だろう。
決して彼女が持っていいものではない。
少なくとも今は、まだ。
「一撃で全損、でしたよね。確か」
「あぁ。言ってたな」
だったら、とアストは大地に向かって宣戦布告をするように声を上げた。
「お望み通り一撃で終わらせてあげましょう」
◆
「…………来たか」
空を引き裂くような爆音と共に、一筋の流星が蒼天を下った。
超高速でこちらへと迫る紅の閃光をモニター越しに見つめながら、カルバオウルはアヴァランシェに指示を下す。
「エメスコード:{暴岩雨展開、対象選別、対熱量障壁起動、地核エネルギー連結、地精霊再装填}オーダー」
迫りくる敵への迎撃命令を構築しながらカルバオウルは事態が「妙だ」と感じていた。
(空に飛んだという事は、そういう事じゃないのか)
カルバオウルの造るゴーレムには一つの欠点がある。
いや、正しくは欠点というよりも製作者側の信条とでもいうべきだろう。
何故ならこの問題は、彼女がその気にさえなれば直ぐにでも解決できる案件なのだから。
しかし彼女がソレを直す事は決してない。
例えどれだけ目立った不足点であろうとも、カルバオウルは決して我が仔を空へは行かせない。
砂の大地に生まれ、大地の仔を生涯造り続けてきた彼女にとって全ての命は母なる大地に根ざしたものであり、命が大地から離れる事は、天に召される瞬間であり、即ち死を意味する。
一応の上司である糞神は、「そんな迷信信じてないで、空飛ぼうぜ空」としきりに勧めてくるがカルバオウルにとっては決して迷信の一言で片付けて良い話ではないのだ。
彼女が生きた時代。
そこで培われた慣習。
信仰されていた摂理。
これらは彼女にとって、決して忘れてはならない自身の証なのだ。
彼女は英雄であり、ユニットではあるけれど、それ以前にカルバオウルという個我である。
死なない肉体、蘇る魂、死すら超越したこの世界で己の信条すら捨ててしまえば何が残るのか――――この問題に触れるたびにカルバオウルは強い嫌悪感と忌避感を感じてしまう。
だからカルバオウルはかつて己が信じたモノを捨てられない。
それがどれだけ滑稽で非効率的であろうとも、彼女は己の生きた証を無くすつもりなど断じてないのだ。
(そういう私の生き様が後世に残っている事も知っている。わざわざ名乗ってやったんだ。魔術師ならば必ずついてくると思ったんだけれど……)
地上では、無敵を誇るアヴァランシェも、遥か上空の相手に対しては後手に回らざるをえない。
製作者の信条を抜きにして考えても大地の精霊の力を利用したアヴァランシェの干渉範囲は、地面を離れれば離れる程薄くなってしまう。
無論、山よりも巨大な体躯を誇り、それらが足を基点に全て大地の加護を受けているアヴァランシェにとって半端な飛行能力など相手にならないのだが、現在相対している敵はそうではない。
相手はスローンズであり、しかも超長距離まで飛行できる技術と絶大な威力を誇る遠距離範囲攻撃を保持しているのだ。
もし仮にリリスがあの距離からブレスの一斉掃射を行っていたら恐らくその時点でカルバオウルは詰んでいただろう。
数撃ならば耐える事は可能だろうが、こちらのリソースの回復が終わるよりも先に、あちらのリロードが済んでおしまい、という未来が古代の賢人にはまざまざと視えていた。
(だからこそ解せないな。何故わざわざ砲撃戦の優位を捨てて、近接戦を挑む必要がある?)
尽きぬ疑問を抱えながら、カルバオウルはアヴァランシェへ指示を飛ばす。
相手の思惑がどうであれ、近接戦であればこちらに「地」の利がある。
(留意すべきはあの戟による一撃……ならば)
「エメスコード:{重力隔壁最大展開及び反重力力場内部生成}オーダー」
カルバオウルが指示を飛ばした瞬間、大地がひとりでに潰れ出す程の超重力波が現出する。
同時にアヴァランシェが自重で潰れないように内部処理を施し、カルバオウルは迫りくる流星を捉えた。
「この重力下でそれだけの得物を振り回せば必ず隙が出来るよね」
そこを見逃さず、こちらの最大化力を叩きこむ。
戦術プランに見通しが立ち始めたカルバオウルが本格的な迎撃態勢に入ろうとした瞬間、モニター越しにあり得ない光景が飛び込んできた。
「はっ、あ――――?」
距離にして約二キロメルト。
相対する深紅のオーラを纏った龍人は重力波の影響を受けないギリギリの範囲から愛戟を構えた。
一瞬の溜めと咆哮の末、極大の熱光は解き放たれ、そして次の瞬間
【万龍億土】の一撃は重力波を叩き割った。
「馬鹿な!? あれだけの一撃に事象破壊能力までついているというのか! くそ、これだからスローンズは嫌なんだ!」
事象破壊能力。
それは無機有機を越えて物理現象すら破壊する極大の異能。
サルワティオでは古の魔王や最古龍種等、神話に名を連ねた存在のみが持っていたとされる失われた秘伝である。
化物、という単語が知らず知らずの内にカルバオウルの口から漏れ出していた。
「あぁ、もう参るなぁ!」
世界を救った英雄のみがつける最高位のクラス、スローンズ。
その出鱈目ぶりをまざまざと見せつけられながら、しかしそれでもカルバオウルは折れなかった。
自らの理性を動員して、あらゆる感情を鎮静化し、対応に当たる様はまさに賢人と呼ぶに相応しい応変ぶりである。
「エメスコード:{暴岩雨最大射出、地核エネルギー同期完了、地脈衡烈砲出力開始}オーダー。その戟は、もう撃たせないよ」
次の一振りを放つ隙を与えまいと展開される無数の砲撃。
更に地脈より抽出した莫大なエネルギーを攻撃に転用すべくアヴァランシェは内蔵された魔術炉心をフル稼働させる。
飛び交う岩石の雨。
脈動する大地の暴威。
敷き詰められた包囲網を前に龍人族の美女は
(笑った?)
笑って、そして消えた。
直ぐに熱源探知に切り替え、カルバオウルはリリスの捕捉を試みる。
だが遅かった。
遅すぎた。
時間にして秒を待たず。
龍人の美女の姿は二キロメルトの距離を飛び越え、カルバオウルの懐に入り込んでいた。
あぁ、これはまずいとカルバオウルが対策を練り込むよりも早く、リリスの強く握られた拳がアヴァランシェに叩き込まれる。
「あっ」
そして瞬きも許さぬ次の間に、カルバオウルの視界は真白に染め上げられた。
◆
サルワティオの龍人族の間にのみ伝わる武術流派がある。
『原初顕現流』と号するその武門は、設立より六千年の歴史を持つ大流派だ。
己の龍を磨き、原初の姿への回帰を目的として歴史の海を渡り続けたこの武術の特徴を一言で表すならば、それは即ち「龍の模倣」である。
大翼、龍鱗、爪牙、剣角、息吹、心核、宝眸、悟脳の八つの型から成り立つ彼の流派の術技は、古の純龍種の在り方を正しく刻んだ「闘う歴史書」そのものであり、これを修めた者は龍が如き無双者として過去に幾度も伝説を紡いできた。
そんな原初顕現流の技のひとつに先程リリスが放った拳打もあった。
原初顕現流龍鱗之型肆式【衝撃煌波】。
堅牢なる龍の鱗を生命エネルギーを発火させたオーラを用いて再現する龍鱗の型に分類されるこの術の効能は、即ち『衝撃のおしつけ』である。
超音速下で発生する圧力波やそれに付随して起こるソニックブーム等の特異事象を鱗を用いて一時的に人体へ吸収貯蔵し、対象との接触時に溜めた衝撃を臨界融合させたオーラと共に解放・転移させる事で超音速の世界で発生する埒外のダメージを全て相手にぶつけるという攻速一体の能力は、白兵戦を志す者ならば誰もが焦がれる一つの理想を体現したものだ。
即ち兵は神速を尊ぶ。
戦争時における迅速果敢な行動の重要性を説いた彼の故事は、決してスピードこそパワーなどという粗雑な物理的帰結を示す言葉ではない。
しかしながら【衝撃煌波】の『使用者が速く動けば動くほどおしつける威力が増大する』という特性は、ある意味とても忠実に異世界の名言を再現したものと言えるだろう。
加えてリリスがアヴァランシェに近づくために到達した移動速度は凡そマッハ6強。
極超音速の領域である。
これ程の超高速移動を行えば飛行体は衝撃波のみならず、空力加熱による「熱の壁」等の問題に苦しめられることになるのだが、【衝撃煌波】はそれすらも押しつけることができるのだ。
そう、【衝撃煌波】の正体とは、自らの超高速移動によって発生した衝撃、熱量を種火に、それをオーラにより吸収増幅させ、最終的に何十何百倍もの威力でおしつける恐るべき速度の爆弾なのである。
結果、おしつけられた相手はどうなるか。
それは龍の強襲を受けた哀れな巨兵の姿を見れば一目瞭然だろう。
山よりも雄大、腕だけで数キロメルトを誇るアヴァランシェ。
その神秘的な全貌は、今では下半身の三割程を辛うじて残し、消失していた。
「解せないな」
愛しい我が仔の惨状を眺めながら、カルバオウルは褐色の貌を歪ませた。
彼女が解せない理由、それはアヴァランシェが敗れた事、ではない。
「なぁ君、どうしてボクを抱えているんだ」
もっとも忌避する空の世界。
そこへ無理やり連れ出した簒奪者へ立腹した眦を向けるカルバオウル。
古の賢人を抱える龍人族の強襲者リリストラ・ラグナマキアは、そんな敵意などお構いなしに空を翔けながら答える。
「どうしても何も別に我々は貴方を殺したいわけではない」
「これはそういうゲームだ。殺そうが壊そうが僕達は簡単に蘇る」
「それはそちら側の言い分だろう? 私はあのパチ神の言い分を全部信じているわけではない」
それを言われるとカルバオウルは返答に窮せざるを得なかった。
「まぁ確かに。あの糞神を心底から信頼するなんてどんな英雄にも不可能だろう」
「うむ。だから我々は万一に備えて貴方を助けた、いや正しくは助けられたから助けたというべきだな。それだけの事だ」
既に生殺与奪の権利はリリスが握っている以上、幾ら抗弁しようと無駄であると悟ったカルバオウルは深々と溜息をついた。
(生かすか殺すかという問題を損得ではなく、嗜好で決める人間に何を言っても無駄か)
稀代のゴーレムマスターはリリスの在り方に得心し、そして諦観した。
しかしそれでもカルバオウルには譲れないものがあった。
母なる大地から離れてしまったこの浮遊感。
これだけはどうしても駄目だった。
「ねぇ君、敗者のボクにそんな権利が無い事は百も承知なんだけどさ、出来れば降ろしてくれないか。嫌いなんだよ、空」
「ならばヨミに頼んでこの戦いを終わらせてくれ。流石に大地を自在に操る貴方を無条件で降ろす程、こちらも耄碌してはいないのでな」
予想した通りの反応にカルバオウルは心の中で舌打ちする。
リリスの判断は正しい。
地面に触れる事さえ出来たら、カルバオウルはこの状況を幾らでも好転させる事が出来るのだ。
「まぁそうだよね。流石にそこまで甘くはないか」
故にカルバオウルはこの状況を自力で打破するべく行動に出る。
「エメスコード:{全機能強制起動}オーダー。さぁアヴァランシェ最後の仕事だ」
彼女の号令が下った瞬間、大森林全体が大きく揺れた。
かつてない程の轟音と震動を伴奏にして、アヴァランシェの残骸が急速な成長を始める。
大気中のマナを、大地の精霊を、地核エネルギーを、地に根ざしたあらゆる一切合切を取り込んで大地の巨兵は再び蘇る。
「大したものだ。あれだけ破壊しても尚蘇るとは」
「安心していい。これが最後だ。流石にこれ以上はあの子も大地も持たない」
なにしろアヴァランシェは大きすぎる。
幾ら千の魔術炉心を持つとはいえ、これだけの復元を行えばもうまともに機能する事は出来なかった。
「意外だな。闘避の二択であれば、貴方は後者を選ぶと思っていた」
「生憎だけどボクに降参する権利はないんだ。どうせ泣こうが喚こうがあのカスはこの実験を止めやしない。だから自分で足掻くしかないんだよ」
自らの置かれた立場を語りながらカルバオウルは最後の命令をアヴァランシェに送った。
ゆっくりとこちらを振り向く大地の化身。
その中心に信じられない位の熱量が収束している事にリリスは気づいた。
「これは……」
「地核エネルギーの有効活用だ。こいつを使ってアヴァランシェにはボクを狙うように指示してある」
「なんだと!?」
「驚くほどの事でもないだろう。僕は地に足がついていない状態が許せないんだ。だから当然この状況が早く終わってくれと願っている。で、あればさっさと済ませた方が経済的だろう?」
賢人の問いかけにリリスは返す言葉が見つからなかった。
それはある種のユニットというある種不滅の存在故の価値観なのか、はたまた生然から斯様だったのかは知る由もない。
だが理屈がどうであれカルバオウルが決して止まらぬ事は今の話を聞くだけで一目瞭然だ。
「参ったな。こうなると最早お前に任せるしかなさそうだ、アスト」
その名を聞いて、カルバオウルは黒鋼の騎士がここにいない事に気づく。
(……認識希釈の魔術か? いや、それにしても全く気づかなかったぞ)
不穏な空気を感じたカルバオウルは、大地の精霊との感覚共有を駆使しじて件の黒騎士の所在を察知する。
脳の中を溢れだす膨大な視覚情報を捌き、やがて彼女はそれらしき存在の影を察知した。
「なんだ、アレは?」
二時の方角、距離にしてこちらから約十キロメルト、
そこに、ソレは立っていた。
暗く、昏く、瞑く。
果ての無い奈落のような黒い躯を軋ませながら、ソレは咆哮を上げる。
漏れだす混黒は周囲一面を無差別に枯らし、全ての命を鏖殺する。
思考よりも先に本能が違うと警鐘を鳴らす。
これは、彼では無い。
いや、生物ですらない。
むしろソレは全ての生物の敵対者であり、冒涜者だと、彼女は五感で理解した。
「さて、賢人殿。少し急ぐぞ」
言ってリリスは飛行速度を更に上げた。
優に極超音速を越えた深紅の流星は、樹海の上空を真っすぐに飛翔する。
目まぐるしく変わる景色に吐き気を催しながら、カルバオウルは信じられない事を考えた。
(あぁ、なんて事だ。このボクが、カルバオウルが今この状況に安堵している)
地に足をつける事に生を見出し、空を嫌悪すべき死として捉えてきたカルバオウル。
彼女は今、見つけてしまったのだ。
憎むべき空よりも忌避すべき存在を。
よりおぞましき「死」の概念を。
全ての根底を覆す絶対の終焉を。
彼女は、知ってしまったのだ。
「ウゥウ、グルルルヴゥゥウウグワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
遠く響く獣性の発露。
その一声を端に世界は黒く染まり、一瞬にして大地は死滅した。
瞬く間に広がる漆黒の波動。
死の業病を帯びたソレは秒速二キロメルト超の勢いで拡散し、肥沃した木々の海を瞬く間に更地へと変えていく。
「アヴァランシェ! 早く僕を撃て!」
つい声を張り上げてカルバオウルは我が仔に勅命を下す。
だが遅かった。
遅すぎた。
極超音速で感染拡大する死の業病は瞬く間にアヴァランシェを捉え
「なっ…………」
そして秒を待たずに山岳の巨人を消失させた。
最早勝負にすらなっていない。
防ぐ隙も再生する暇も与えず、ソレは雄大なゴーレムを死滅させた。
ただ在るだけで世界を消し去る程の呪いを放つ永終の黒鎧『禍焉』。
比喩ではなく、ソレは闇だった。
◆
「……終わった、か」
対象の撃滅を確認し、アスト・フェアーは死した大地に膝をついた。
天を仰ぐその姿に『禍焉』の影は既になく、そこに在るのはすっかりいつもの彼である。
上手くいった。
全てを終えてまず浮かんだのはそんな安堵の感情。
確かに自信はあった。
ユニットとして強化された能力、そしてそもそも自分がこの姿で現界した意味を考えれば半ば当然の事実と言えなくもない。
時間にして百八十五日。
彼が生前自らの命と魂をすり減らし、『禍焉』の呪いを抑え続けた成果の全てである。
そう。アストの最大の功労は詰まる所『禍焉』の抑制と制御に他ならない。
であればユニットとして最も強化されうる点は、『禍焉』の扱い方についてだろう――――そんな推測の元ぶっつけ本番で永終の黒鎧の起動を試みたはいいが、いやはややはりコイツはロクなものではない。
あれだけ豊かな自然に満ちていた肥沃の大地は、今や草一本見当たらない死の荒野と化していた。
酷いものだと我ながら思う。
これでも『死』の流出は抑えた方なのだ。
万が一にも味方に当たらないように十分な距離と時間を取り、その上で加減して撃ったつもりがこの有様である。
(やはりお前は一筋縄ではいかないね)
再び眠りについたソレにやれやれと嘆息しながら、アストはリリスに連絡をつけようとして
『やぁやぁやぁ、おっめでとうアストっちぃいいいいいいいいいいい!』
とても耳障りな音声が彼を歓待した。
『いやぁ、見事見事。終わってみれば大勝利だったね、ウン。いやぁ私は初めて会ったときから君は出来る奴だと確信していたよ』
「御託はいいです。それよりもヨミ、これで本当に終わったんですよね」
『勿論だとも! 宣言通りの一撃KOで君達の大勝利さ! これにてチュートリアルは終了だ。地を這うゴーレムは大地と共に消え去り、君達は見事ダンジョンをクリアした。おめでとう、本当におめでとう!』
どこか芝居がかった拍手を聞き流しながら、アストは気持ちをゆっくりと弛緩させる。
「見たいものは見れましたか」
『概ねね。いやはや流石スローンズだよ! まだ新しい自分達の力を十分に引き出せていないこの段階で、あそこまでの活躍を見られるなんてね。本当、二人が残ってくれてよかったよ』
どの口が言うんだが、と思ったがやはりアストはスル―した。
まだ知り合って間もない間柄ではあるが、この複雑怪奇な少女の一挙手一投足に一々反応していては身が持たない。
そんなある種の悟りを、彼はいつの間にか会得していたのである。
「リリスさん達は?」
『無事だよ。まぁ折角だしカルバオウルにはもうっちょっと空の世界を楽しんでもらおうと思って連絡してないけどねん☆』
顔は見えないが今すごくうざそうな顔をしているんだろうなとアストは確信していた。
そしてやはりこの女、最低である。
というかもう、彼女には言いたい事があり過ぎた。
例えばあの時の彼女の言葉は本当なのか?
例えばカルバオウル程の人材を抱えていて何故ここまで落ちぶれてしまったのか?
そもそもどうして来て早々の自分達がこんな大怪獣バトルをやらされているのかこの野郎。
「まぁ、いいです」
けれどそんな渦巻く想い達を一旦しまい込み、アストは言った。
「色々言いたい事はありますけど、とりあえず感謝を。ありがとうヨミ。久しぶりに楽しかったです」
それは心底からの言葉だった。
突然、見知らぬ世界に連れて来られて、山より巨大なゴーレムと戦わされて
最高の相棒と共に空を翔けて、尊敬する偉人に出会えて
感情を爆発させて、思いっきり戦って
あぁ、これこそが冒険なのだ。
ワクワクして、ハラハラして。
そして思うがままに世界を駆け抜ける。
このチュートリアルには彼らの愛した「冒険」が沢山詰まっていた。
「聞いてないですけど、きっとリリスさんも同じ気持ちだと思います。貴方に言いたい文句は沢山ありますけど、またこうしてあの人と冒険できる機会をくれて、本当にありがとう」
そう言ってアストは姿の視えないヨミに頭を下げた。
それは欠片の敬神もない、けれど心からの感謝を込めた言葉だった。
『……なんというか』
「?」
『少し、照れるにゃー』
「なんですかそれ」
ヨミの意外な反応がおかしくてアストは、吹き出してしまった。
「あっ」
ふと空を見上げると、空を翔ける一条の流星が見えた。
紅く煌めくその星の正体が何であるかは最早言うまでもないだろう。
彼女が近づいてくる気配を感じながら、アストは流星に向かって力いっぱい手を振った。
きっとこの先待ち受けている困難は想像を絶するものなのだろう。
世界を賭けた負けられない戦い、考えただけで胃が痛くなりそうだ(消化器官どころか内臓と呼べるものすら今の彼にはないけれど)。
(でも、きっと大丈夫だよね)
確証なんてないけれど。
空を舞う相棒の姿を見ながらアストは確かに思ったのだった。