第十二話 ダンジョンが生まれる場所
◆◆◆
「ねぇリリスさんどうしてそんな微妙そうな顔をしているんですか」
会議が終わり、自室への帰り道にて、アストは嘆息混じりにそう尋ねた。
「別に微妙な顔なんてしていない」
そっけなく答えるリリスの眉間には小じわが刻まれている。
ちっとも説得力がなかった。
「いや、なんとなくはわかりますよ。原因は僕が発案した作戦でしょ? でも元をただせばリリスさんが――――」
「わかっているさ! わかっているとも……。だから私は、お前の意見に反対しなかっただろう?」
ほっぺたを小さく膨らませながら唸る彼女の風体は完全に駄々っ子のソレだ。
反対はしなかったが全く納得していないという感情が手に取るようにわかってしまう。
「まぁそういう子供っぽいところもリリスさんの魅力の一つですけど、今回ばかりは分別ある対応を取ってくれなきゃ困りますよ?」
「作戦には従うさ。だがそう簡単に割り切れる程私も人が出来ていない。もうさっきからずっと胸がもやもやしっぱなしだ」
「それはそれは」
「他人事のように頷くんじゃない。お前の問題でもあるんだぞ」
「わかっていますよ」
だから気楽なんじゃないですか、とは口が裂けても言えなかった。
言えば怒られるのは目に見えているし、彼自身自分を軽視する発言は心の中のなにかが減るような気がしてあまり好きではなかったからだ。
思う事と口に出す事の間には空想と現実の大きな垣根がある。
例えば今回アストが立案した作戦は、彼が口にしなければ恐らく日の目を浴びる事はなく、結果としてリリスが頬を膨らませるような事態になはならかっただろう。
だが実際はこの有様だ。
アストが立てた戦略は、口にした事で議論され採用されそしてリリスの頬をを膨れさせている。
(言語化された空想が影響力を持ち、現実に波紋を広げる様は魔術みたいで面白いけど、だからこそ用心しないとね)
特に自己への言及は気をつけなければならない。
それがどのように現実を歪めてしまうのかわからないからだ。
(ポジティブであれとまでは言わないけれど、自分の事は大事にしないとね)
モラトリアム満喫中の学生がしたり顔でしゃべりそうな事を考えながら歩く鎧騎士と子供の様に頬を膨らませる龍人。
親子にも兄弟にも恋人にも見えるような足取りで並んで歩く二人の歩幅は、自然と互いを意識したものになっていた。
「リリスさん、あれって」
しばらく続いた心地よい沈黙。
それを先に破ったのはアストだった。
彼が指差す先に立っていたのは先程の会議にも出席した人物
即ち――――
「オフィーリエ・エルドランテ」
蒼のヴェールで顔の上半分を隠した鏡面聖者が、彼らに向けて恭しく頭を垂れた。
「オフィーリエさん、お疲れ様です」
アストの礼に対してオフィーリエは小さく頷くと懐から羊用紙を取り出し、何やらいそいそと書き始めた。
【お疲れ様です】
羊皮紙に書かれた文字は、まるで彼女の人柄を表すように綺麗で丸まっていた。
オフィーリエ・エルドランテは決して喋らない。
コミュニケーションの手段は専ら文字や手話を通して行われ、緊急時ですらヨミが用意した特殊な通信手段が用いられるらしい。
彼女には生まれつき声帯と呼ぶべきものがなく、生涯に渡り沈黙を貫いたそうだ。
しかし何の因果か後世の歴史において彼女は「神の声を正しく伝えた伝道者」として聖人認定をうけている。
サルワティオで最も信仰を集めている聖霊教。
幼いころよりその信徒として主を讃えてきたオフィーリエは、八十七歳で亡くなるその最後の日まで人々の平和と愛を尊び、かの宗教の発展に務めたという。
彼女が為した偉業は伝道に聖典の普及、それに伴う識字率の向上や国境種族を越えた聖霊医術団の結成など枚挙に暇がない。
“私には声がありません。けれど他の人の声に応える事も主の言葉を聞く事も出来る。だから私は幸福なのです”
生前オフィーリエが遺した言葉だ。
謙虚で慎ましく主と隣人を愛した彼女らしい一言であり、この他にも彼女の言葉は宗教を越えてサルワティオ中で親しまれている。
勿論アストやリリスもその口だ。
彼らは挨拶もそこそこに小さい頃からファンでしたとのたまわり、オフィーリエの逸話で好きなエピソードを並べあった。
「すいません、こちらが一方的に喋ってしまって。僕らとしては道徳の教科書に載るほどの方とこうして喋る事が出来て本当に光栄です」
「龍人族の間でも貴方の伝説は伝わっていた。同胞に代わり深い感謝を」
まるで好きな有名人に初めて会った一般人の如き反応ではあるが、実はその通りなのである。
アスト達がこうしてオフィーリエと話すのは、実質これが初めてに近い。
というのもオフィーリエは、ダムルードやカルバオウルと違いあまり屋敷内を出回らないのだ。
彼女は普段「空間制御室」という場所に籠って日夜仕事に励んでいるらしく、そのため戦闘訓練に勤しむアスト達とは接点が持てなかったのである。
【ごめんなさい。ここの先達であり仲間として此方からあいさつに伺うべきでしたのに】
「いえいえオフィーリエさんが忙しいという事は、こちらも方々で聞いていましたし」
そう、オフィーリエはとても多忙な身なのだ。
彼女が管轄している空間制御室というのはカルバオウルと戦ったあの密林や、ダムルードとの特訓で使う砂塵のコロシアム、果てはダンジョン×ダンジョンで使うダンジョンそのものを創り運営する場所だと聞いている。
そこの管轄責任者であるオフィーリエの仕事量は相当のものらしく、下手したらヨミよりも働いているんじゃないかと専らの噂だ。
「貴方がダンジョン制作の為に、日夜身を粉にして働いているという事は知っている。その事実を鑑みれば寧ろこちらから挨拶に伺うべきだっただろう。都合が合わなかったとはいえ結果的に貴方に礼を欠いた振舞いをしてしまった事、どうか許して欲しい」
リリスの立礼に合わせてアストも頭を下げる。
そんな二人の様子をオフィーリエは首をぶんぶんと横に振りながら制止した。
【お二人ともおやめになって下さいませ。そのお気持はとてもありがたいのですが、このままでは互いに延々と謝り続ける事態に陥ってしまいます】
「しかしだな」
【でしたら、どうでしょう? これから私の勤める空間制御室に遊びに来てはくれませんか。百度頭を下げ合うよりも、そちらの方がよほど親睦を深められると思うのです】
オフィーリエの言葉を読んだ二人は顔を見合わせコクリと頷き、声を重ねて返事をした。
「「是非に!」」
◆◆◆
『第三層域数理固定。これより当該法則との固定化を実施します』
『報告。第一層域のテクスチャーモデルが完成致しました。確認をお願い致します』
『最終層域の気温設定と風速についての実験データを送付致します。検討の後、上位三つの設定条件を選択してください』
縦長の広い空間に無数のモニター、飛び交う声は活発でけれどどこか統制が取れている。
そして驚くべき事にここの従業員は普通に飛んでいた。
翼もないのにふわりと浮かんで縦横無尽に動き回る彼らの姿は神秘的で、空間制御室を訪れたばかりのアストとリリスを早速はしゃがせた。
「すごいすごい! 魔術もオーラも使わずに普通に飛んでますよアレ!」
「まるで神話に出てくる天使の様だ。輪っかも翼もないが、きっと彼らは天使に違いない」
目を輝かせて広大な室内を見上げる二人の様は邪気のない子供みたいであり、そんな二人を慈しむように見つめながらオフィーリエは羊皮紙に言葉を刻む。
【ここ空間制御室では重力と慣性に関する物理法則を少しいじってあるんです。連絡や確認が盛んな職場なので少しでも移動のロスを失くしたいと思いまして】
素晴らしい仕組みだとアストは思った。
縦長に広い空間制御室において「飛ぶ」という移動手段は効率的だし何よりも空を飛び交う人々の何と気持ちよさそうな事か。
「あの、オフィーリエさん。僕も飛ぶ事が出来るんでしょうか」
【はい。ここでは歩くような感覚で飛ぶ事が出来ます。複雑な技術などは必要ありません。ただ飛ぶ意志さえあれば、ほら】
書ききったオフィーリエがアストの手を取る。
すると手甲を掴まれたアストごと彼女の体は宙に浮かんだ。
【さぁ、アストさん。ゆっくりと手を離しますよ。いち、に、さん】
「わ、わわっ」
ゆっくりと離れていくオフィーリエの手。
支えを失ったアストの身体はそのまま床へと落下――する事無く宙空に浮いたままだった。
「すごい、すごいですよリリスさん! 僕リリスさんに掴まらずに空を飛んでます」
「あぁ、見てるぞアスト。お前は今、しっかり飛んでいる!」
「飛んでます!」
「飛んでいる!」
初めての体験に興奮が冷めやらぬアストと、そんな彼の様子を我が事のように喜ぶリリス。
【お二人は本当に仲がよろしいのですね】
つい記してしまったオフィーリエの言葉を見て二人は照れくさそうに頭をかいた。
【さて折角ここまで来てもらった事ですし、お二人には是非ご覧になって頂きたいものがあるんです】
【ついて来て下さい】と促されるまま、二人は天井の見えない空間制御室の空を舞った。
普段から自力で飛べる事もあり、リリスの飛行はそれはそれは優美で、そんな彼女にちょっぴり嫉妬してしまうアストであった。
◆
数分の飛行の後、アスト達が辿りついたのは一際大きなモニターが設けられた区画だった。
「すごい人だかりだ」
巨大なモニターを中心に多種多様なコンソールとそれを操作するエンジニア達。
彼らの発する静謐な熱気が、ここが殊更に重要な機関でかる事を伝えていた。
「ここは何をしている場所なのだ?」
着地点に足をつけたリリスがオフィーリエに尋ねる。
空間制御室の主は口角を上げながら羊皮紙に文字を刻んだ。
【ここは簡単に言ってしまえばある空間を設計するセクションなんです】
「ある空間、ですか?」
【はい。重層位相領域――――簡単に言ってしまえば今度の戦いで使用するダンジョンを作っているんです】
その一言に二人のスローンズは目を丸くした。
「ダンジョンを」
「作っている……だと?」
【はい。正確にはダンジョンのコンセプトデザインに始まり事象演算、環境設定と物理概念法則の定義化、並びに位相空間へのテクスチャの貼り付けまでが空間制御室で行われる作業なのですが、この中枢制御区画ではそれらの案件を統括管理する仕事を行っております】
【見てください】とオフィーリエが指差した先には巨大モニターに映る黒い巨大建造物の姿があった。
複数の円盤が重なり合った螺旋状の塔、アストがその建物に抱いた第一印象は斯様なものだった。
【これが私達を守る最後の砦、ダンジョン『烏合の王冠』です】
烏合の王冠、その名に込められた皮肉と決意にアストは思わず拳を握りしめた。
「この名前をつけたのはヨミですよね」
【はい。中々きついジョークだと思います】
主かみを失った世界、遺されたのは烏合の衆と形ばかりの空っぽの王冠。
それは、痛烈な皮肉だった。
「どういう気持ちでこの名前をつけたんでしょうね」
【わかりません。けれどあの方はいつだって本気で戦いに臨んでいました。無論今回もそうです】
「あぁ」
リリスは小さく頷いた。
モニター越しに映し出される烏合の王冠、その威容は代理神の決意そのものを表すように高く、高くそびえ立ち、アスト達に熱い何かを伝えてくれた。
「オフィーリエさん、ここへ連れて来てくれてありがとうございます。」
「おかげで気持ちがより引きしまった」
闘志を燃やす二人を見て、オフィーリエは【それは良かったです】と嬉しそうに顔を綻ばせた。
◆◆◆
かくして異世界サルワティオの面々は、決意を新たに動き出した。
作戦を練る者、環境を整える者、能力を磨く者、新たな自己を見つめ直す者、しゃにむに働く者――――誰もが残された日々を精いっぱい過ごし、巨大な運命に立ち向かった。
そして瞬く間に十日という時間は過ぎ去り、物語は試合当日を迎える事になる。