第十一話 明かされる敵の正体
◆◆◆
その日、異世界サルワティオに在籍するミニオン以上のユニット――――即ち来るべき戦いに携わる最大戦力が一同に執務室に集められた。
大地の賢人カルバオウル、業破一刀流開祖アルバトーレ・ダムルード、そしてヴィーケンリート邸に住まう最後のミニオンであり、『鏡面聖者』の名で歴史に名を刻んだ偉人オフィーリエ・エルドランテ。
彼女達は部屋の廊下側の席に腰を落ち着け、主の言葉を待っている。
そしてそれは、窓側の席に陣取るアスト・フェアーとリリストラ・ラグナマキアの両名も同様であった。
彼らを集めた発起人であるヨミは中央の席に座したまま、沈鬱な表情でうな垂れている。
語られずとも何か良くない事が起こったのだとその場にいた誰もが理解した。
「とりあえず全員集まったんだ。そのシケた面のワケぐらい聞かせてくれや」
口火を切ったのはダムルードである。
伸びた顎鬚を触りながらやわらかい口調で、けれど見据える隻眼はどこまでも鋭くヨミを射抜いていた。
「あー、そうだね。うん、そうだそうだ。ダムの言うとおりだ。大変心苦しいけれど、君達には知ってもらわないとね」
浮ついた声でふらふらと立ちあがり、ヨミは執務室の映像受信装置の電源を押した。
「諸君、とりあえず先にこいつを観てくれ。それでおおよその説明はつくと思う。話はそれからゆっくりしよう」
意識を映し出された映像に向けながら、ヨミは気だるげに語った。
こいつまたキャラがぶれてるなとアストは密かに思った。
そして録画された映像が彼らの網膜に焼き付けられていく。
画面の中に最初に現れたのは作り物のうさぎ耳をつけた四十前後の女性である。
その女性がやたらと黄色い声でこの映像の主旨を説明する。
どうやらこれはニュース番組のようだ。
機械文明に疎いアストとリリスにとっては地下食堂の大型テレビでの視聴経験ぐらいしかないのだが、意外にも四十路のウサ耳がしっかりと番組について説明してくれたおかげで、無理なく話にのめり込む事が出来た。
そして――――。
「馬鹿な!?」
「冗談……ですよね」
「嘘だろ、オイ」
「にわかには信じられない、いや是が非でも信じたくない情報だね」
「……………………」
結論から言えば、その映像を観た全員が例外なく絶望を味わう事になったのだった。
◆◆◆
「はーい! こんにちわんわん! お茶の間のメインヒロインことエミリー・マンネリカでーっす! 今日もダンクロニュースの時間がやってきました☆ この番組ではダンジョン×ダンジョンズのホットでインタレストな情報をお届けしちゃうよん。さーて、本日最初のトピックスはこちら!」
(四十路のウサ耳がわざとらしく胸を揺らしながらフリップを持ってくる)
「ジャジャン! 『【星斬り】ヒミングレーヴァ・アルビオン、月天リーグに移籍!?』…………これは、どういう事ですかねタヌキンさん?」
(タヌキンと呼ばれた眼鏡の大柄な男性、にこやかに答える)
「はい、どうもータヌキンでーす! えーっとこのニュースはですねー、なんとあの【星斬り】が、ダンジョン×ダンジョンズ最下層クラスである月天クラスのチームに所属する事が明かになったんですよ」
「えぇえええええええええっ!? 【星斬り】と言えば最上位の至高天クラスで活躍する超一流スローンズですよね? そんな彼女がどうして最下層リーグに?」
「元々彼女はフリーランスのユニットですからね。本人が同意さえすれば、例え最下層クラスでも所属させる事は可能なんですよ」
「ほえー、ぶっとびー! もう彼女が所属するチームは無双状態確定ですね!」
「まぁコストの都合上彼女の運用は限定的にならざるを得ませんが、少なくとも所属先の、えーっと名前なんだっけか――――はいはいガイゲンシュピァねガイゲンシュピァ――――このガイゲンシュピァが負ける事はまずあり得ませんね」
(タヌキン、照れくさそうに笑う。カメラの視線はエミリーの胸部へ)
「この【星斬り】を迎えたガイゲンシュピァなんですが、なんと十日後に試合を行う予定があるそうです。恐らくそこで【星斬り】の初投入が行われるとみて間違いないでしょう! はわわわー楽しみ―!」
「相手チーム可哀想だなぁ」
「しかも情報によれば、相手側のチームは世界を賭けているとの事で」
「あー、もう可哀想! 俺思わず相手側チーム応援したくなっちゃうよ」
(タヌキン、わざとらしく額を叩く。スタジオ中から響き渡るスタッフの笑い声)
「はい、そういうわけでですね。【星斬り】の新天地での活躍、皆さん楽しみにしていて下さいね! さて、次のニュースです☆ 至高天リーグ前ピリオドグランドチャンピオン『エッダ』の貴重なオフ映像が撮れました――――」
◆◆◆
「以上が私の言いたかった事全部。うん、ちゃんとみんなに伝わったようで何よりだよ」
ははははー、とヨミが乾いた笑い声を上げる。
沈黙、唖然、悲嘆、蒼白、諦観。
差異こそあれ、映像を見た彼らに去来したのはどうしようもないやるせなさだった。
「【星斬り】って僕達が最初にここへ来た日に見せられた映像に映っていた方ですよね」
「そうだね」
「ガイゲンシュピァというのは十日後の戦い、つまり私達の初陣の対戦相手だったよな」
「そうだよ」
アストとリリスの矢継ぎ早の確認にヨミは弱々しく頷いた。
【星斬り】ヒミングレーヴァ・アルビオン。
それは転生初日に見せられたダンジョン×ダンジョンズの紹介動画内において【群魔賢】ラスカイ・コールキンを圧倒的な力量差で屠った人物である。
その彼女が敵として立ちはだかる――――想像しただけで悪寒を覚えるほど彼らを取り巻く状況は絶望的で救いのないものものだった。
「でも、待って下さい! 確かダンジョン×ダンジョンズにはクラス毎のコスト制限があるはずですよね。だったら最下層クラスの争いに【星斬り】が出る事は不可能なんじゃないですか?」
あのガチャ騒動の時に聞いたコスト制限のルール。
【星斬り】が出撃するのに必要なポイントはわからないが、少なくとも最下層クラスで扱える程手軽なものではないだろう。
「だったらまだ希望は――――」
「おいパチ神。ルール説明はしっかりやってあったんじゃなかったのか」
剣呑な声の主は褐色の賢人カルバオウル。
深き叡知を宿した双眸は、怒りに染まり、刺すような鋭さでヨミの顔を睨みつけている。
「あの、すいませんカルバオウルさん。何か僕の意見に不都合がありましたか?」
「君のせいじゃないよアスト・フェアー。全てはきちんと情報を伝えなかったこのカスが悪い」
相も変わらずヨミへの当たりが強いカルバオウルはひとしきり睨みをきかせた後、うな垂れている偽神に代わり、状況の説明をしてくれた。
「さっき君が言った通り、ダンジョン×ダンジョンズにはリーグ毎のコスト制限がある。コストっていうのはユニットや祝福カードみたいな召喚する存在には全て適用されるわけだから、当然【星斬り】にもコストという概念は存在する。けれどこのゲームにおいて例外的にユニットのコストをゼロとして扱える特別な役職が存在するんだよ」
「それは一体?」
「『守護者』だ。自陣の最終層を守る『守護者』に限り、ユニットのコストはゼロで算出されるんだよ」
頭を思いっきりなぐられたかのような衝撃がアストを襲った。
『守護者』、それはダンジョン×ダンジョンズにおける最終目標である。
形成されたダンジョンの最深部に設置された彼らを倒す、逆に自陣の守護者を先に倒されてしまえば負けというのがこのゲームの大原則だ。
言うまでもなく最大の要であるこの役職、それがあろうことかコストゼロ扱いでユニットを設置できる――――つまり
「敵方は【星斬り】を守護者に……」
「そういう事さ」
カルバオウルの説示を理解し、全てを悟ったアストは、そのまま倒れるように椅子の背に沈んでしまった。
執務室に沈黙が流れる。
重く、深く、余りにも絶望的な長い長い沈黙。
「引きわけ狙いでいくしかねぇな」
その均衡を破ったのはまたしてもダムルードだった。
「どういう意味かな、ダム。この哀れなヨミさんにも分かるように教えてくれよ」
「そのままの意味だ。向こうが【星斬り】を守護者にそえる以上、こちらに勝ちの目は一切ねぇ。だったら負けないように立ち回るのが戦の定石だろ?」
「具体的には?」
「アストとリリス、それに俺達ミニオン全員をこちら側のダンジョンに配置して完全に受けに回る。今度の戦の条件はスローンズ二体の総コスト十万ポイントだろ? 【星斬り】を守護者に配置する以上、向こうが攻めに回せるのは最高でも十万、現実的なラインとしては六、七万が精々だ。なら全員で叩けば可能性はある。少なくとも【星斬り】を倒すよりは遥かに現実味を帯びてると思うが…………」
そこでダムルードは言葉を閉ざした。
カルバオウルが刺々しい目つきで手を挙げたからだ。
「発言を許可するよカルバオウル」
「君に許可されるなんて屈辱極まりないが、まぁいい今は不問にしておいてあげるよパチ神。さて、ダムルードの意見について水を差すようで悪いけど、ボクはこの意見には反対させてもらう。彼の意見は戦術的には正しいが、戦略としては大いに欠陥があるからね」
「あんだと?」
カルバオウルの指摘にすごむダムルード。
隻眼の英雄の怒気を孕んだ圧が執務室の空気に重くのしかかる。
けれど太古の賢人はまるでどこ吹く風とばかりに滔々と自身の意見を述べ始めた。
「わからないのかい? ならば懇切丁寧に解説してあげよう。いいかい、これはそもそもの話なんだ。ボク達が戦わなければならないのは何故だい? それは守るためであり示すためだ。守るというのは当然侵略者であるガイゲンシュピァからだ。では示すとはなにに対してか、答えられる者はいるかい? あぁ、勿論パチ神をのぞいての話だが」
一拍の沈黙を挟んでリリスが形の良い唇を開く。
「連合から、だろうか?」
リリスの出した答えにカルバオウルは満足そうに頷いた。
「その通りだラグナマキア。君はやはり頭がいい。実にボク好みな知性体だ。さて、先に彼女が言ったように私達は連合に示さなければならない。示すものは我々の世界が連合の保護を必要としない程度の強さを持っているという証左だ」
なんとなくではあるが、アストはカルバオウルの言わんとしている事が理解できた。
ここに来た初日にヨミが言っていた事でもあるが、現在無数の次元によって連なる数多の異世界は連合と言う巨大組織の統治によって共存を許されている。
かつては無際限に摂取が可能であった万能究極の創造消費財『神昌』の有限化に伴う世界間の争いを、ダンジョン×ダンジョンズという代替によって平和的に間引きし、戦う力のない世界は「保護」という名目の元、彼らが提唱する規範的かつ模範的な世界へと強制的に書き換える――――それが連合のやり方だ。
(……そんな彼らにとって僕達の住む世界は、弱くて保護すべき対象なんだろう)
最下層のリーグにおいてさらに世界丸ごと賭けなければならない程追い詰められているのだ。
筆頭クラスの保護対象と言われても全くおかしくない。
それは試合に負けた場合、世界の接収が行われるという条件を連合が許可したという点から見ても間違いないだろう。
「ボク達は負け続け、奪われ続けてきた。おかげで今じゃこの宙域の神昌自給率は百分の一パーセントにも満たない。神昌のほとんどは輸入便りで、それでも今まではあの手この手でなんとかやりくりしてきたけどとうとう瀬戸際まで追いつめられた。世界そのものの接収なんてよっぽどの事が無い限り連合は許可を出さない。それが出されたという事は、つまりこの世界は間引かれてもしかたないものだと認められたという事だろう? そんなボク達が、戦いを避け情けなく籠城し引き分けをもぎ取ったとして…………果たして連合は納得してくれると思うのかい?」
カルバオウルの訴えは真に迫るものがあった。
そう、今の異世界事情において戦えぬモノは、輝けぬモノは生き残れない。
生き残りたければ、勝ち取りたければ、守りたければダンジョンを造り、そして踏破しなければならないのだ。
では競争と淘汰の理が支配する今の世において、崖っぷちに立たされている自分達が半ば逃げるような消極的な試合を展開をしたとして、それを観た連合は一体どんな裁定を下すのか?
アストの心中には、『保護』の二文字がまるで呪詛のようにこびりついていた。
「憶測だ」
吐き捨てるような声でダムルードが言った。
「かもね。だがやつらにつけいる隙を与える事になるのは間違いない。そうだろパチ神?」
「……そうだね、うん。私もカルバオウルの見立ては十二分にあり得る話だと思うよ」
「だからといって守りを薄くするって言うのか!? いいかおまえら、負けたら全部失うんだぞ、全部だ!」
「それを話し合うために」
ヨミはゆっくりと集められた者達を見渡し
「君達を呼んだんだ」
深々と頭を下げた。
しん、と静まり返る室内。
その礼にどのような意味が込められていたのか、それを問いただせる者はいなかった。
だが普段とは別人と言っても過言では無い程のヨミの殊勝っぷりに毒気を抜かれたのか、対立していた二人は静かに自席へと座った。
「すまん、熱くなった」
「結論を急くのはよくないね、お互いに」
ダムルードとカルバオウルがクールダウンしていく様子を見てアストはほっと胸をなでおろす。
(……それにしても、オフィーリエさんはすごいな)
蒼のヴェールで顔の上半分を隠している麗人は、会議が始まって以来、一言も口を開かぬまま佇んでいる。
世界の行く末を決める極めて重要な会議であるにも関わらず閉口を決め込むのは本来であれば、糾弾の的になってもおかしくないはずだ。
だが実際、彼女を責める人間はこの場において誰もいない。
元々ここに住まうヨミ達は勿論の事、オフィーリエの事を碌にしらないアストでさえ彼女の在り方に疑問を持つ事はなく、寧ろ安心感すら覚えてしまう程だ。
鏡面聖者オフィーリエ・エルドランテ、ただそこに在るだけでえも知れぬ頼もしさを感じさせてしまうその存在感にアストは深い関心と尊敬の念を抱くのだった。
「ヨミ、ガイゲンシュピァの他の戦力はどのような感じなのだ?」
リリスの質問を受け、ヨミは懐からいそいそと紙を取り出した。
「調べた限りだとここはミニオンを使った堅実な攻めをウリにしているみたいだね。所属しているミニオンは把握しているだけでも四十五人――――ウチの十五倍か、泣けてくるね、ウン――――これらを駆使して、要となるスローンズのダンジョン攻略をバックアップするっていうのが攻めのパターンみたい」
「うむ。私たちではとても真似出来ない戦い方だな」
リリスの口から悩ましい吐息が漏れる。
無理もない。
なにせこちらの陣営にはミニオンが三人しかいないのだ。
【星斬り】を抜きにしても彼我の戦力は圧倒的だった。
「で、戦術の中心となるであろうスローンズだけど、現在ガイゲンシュピァには五人のスローンズが所属している。【金蚕鋼糸】エルベド、【バルムディアの救世主】ミスティア、【恒久幸妃】プリンセス・マージェス、【千代鍛冶王】パナトック…………彼ら彼女らは、みんな世界をひっくり返す程の偉業を為した大英雄だ。正直誰が来ても苦戦は必至だろう。その中でも特にヤバいのが彼だ」
そう言ってヨミはタブレット端末から一つの画像を取り出し、皆に見せた。
「ガラハッド・エグゼス。通称【赤鷹のガラハッド】。三十万の魔物の軍をたった一人で壊滅させたアヴァル平原の伝説に始まり、生涯一万八千六百人の武芸者と武を競い合いそのどれもに勝利した無双神話、大海原を歩いて渡りガイゲンシュピァの世界地図を完成させた大冒険譚など、兎に角枚挙に暇が無い程の大偉業を幾つも成し遂げたヤバい奴だ」
映し出された赤毛の偉丈夫を指しながらヨミは苦笑いを浮かべる。
「守りが【星斬り】によって盤石な以上、ガイゲンシュピァは彼とミニオン軍団を惜しみなく投入して攻めてくるだろう。最悪コスト上限いっぱいまで攻めに回されてもおかしくないかな……うん、考えるだけで絶望的な気分になってくるね」
まさに事態は八方ふさがりであった。
あまりに救いのない展開に、思わずアストも頭を抱えてうずくまりたい衝動にかられてしまう。
そんな時である。
(…………嘘でしょ?)
アストはそれを見てしまった。
(…………いや、いやいやいやいや。そんな、このタイミングで!?)
見てしまったのだ。
それは視線だった。
アストの隣に座る相棒からの熱い視線だった。
リリストラ・ラグナマキア、最後の真龍とも謳われるこの絶世の美女は、相棒のアストの事を深く信頼している。
それは例え彼が世界を滅ぼす災厄となった後でも欠片も損なう事のなかった程曇りなく、暗黒天体よりも底なしな代物なのだ。
そして強すぎる期待と信頼は彼女のとてつもない好奇心と化合して時にとんでもない科学反応を起こす。
アストなら出来る、アストならやれる、アストなら越えられる――――海よりも深い信頼から端を発するその悪癖の名は「無茶ぶり」。
最近で言えばチュートリアルのカルバオウル戦の只中で発生したリリスの悪しき発作が最凶最悪のタイミングで発芽したのだ。
(『アスト、この状況を打開するナイスな作戦をたてるのだ』ですって? いやいやいやいや無理無理無理! そんな画期的なアイディアがぽんぽん出てきたら誰も苦労しませんって!)
阿吽の呼吸、ツーと言えばカー。
幾多の死線と数多の冒険を二人三脚で乗り越えてきたアストとリリスは言葉を交わさずとも互いの姿を見るだけで相方が何を言いたいのかおおよそ察しがついてしまうのだ。
魔術的なテレパシーではない、オーラを用いた精神の共有でもない。
それは長年連れ添った熟年の夫婦同士の繋がりにも似た習慣と理解から来る非言語コミュニケーションの極致であり、故に彼は今一言も発していない相方の熱い要望に発狂しているのである。
(あぁ、もうなんかめっちゃワクワクしてるし!)
小さく拳を握り込んで目を輝かせるリリスの様は、ヒーローショーで憧れのヒーローの登場を待つちびっ子の無垢な期待顔と全く同じだ。
普段基本的には凛々しいリリスのこんな無邪気な顔はとても珍しく、だからこそアストは弱ってしまうのだった。
ピュアッピュアである。
最後の真龍が、まるで子猫が母親にお乳をねだるように純真に欲しているのである。
可愛かった。
滅茶苦茶可愛かった。
女子力ゼロの脳筋とは思えない程、あざといおねだりがそこにはあった。
(…………っ! いや、危ない危ない。危うくそのイノセントフェイスに騙される所でしたよ。駄目ですよ駄目、出来ないものは出来ません)
アストは冠りを振って、リリスのサインを無視する事にした。
仕草こそ可愛らしいが彼女のやっている事はどう言い繕っても無茶ぶりである。
この重要な局面でそれに答えるほどアストも適当ではない。
(そうだ。もういい加減僕もその場のノリと勢いに答える生き方はやめなくちゃ)
決意を新たにアストは現在の危機的状況の解決策を考え始める。
ノリで出す無茶苦茶な案ではなくじっくりとした検討と考察こそが自分の本来の持ち味だと彼は信じてやまない。
驚くべき事に彼の中の自己評価では、アスト・フェアーという人物は慎重で沈着な紳士と目されているのだ。
とんだ勘違い野郎である。
(大事なのは慎重を期した戦略だ。そういう意味ではダムさんの意見に賛成なんだけど、カルバオウルさんの意見も無視できない。やはり争点は守備をどれだけ厚くするかだな。なんにしても負けるわけにはいかないし)
だがそんな慎重を装うアストとは裏腹に、相棒は早急な意見提出を求めているらしかった。
(アストならできるぞ)
リリスがガッツポーズでサインを送る。
無視する。
(アストならやれるぞ)
ピュアッピュアな期待の眼差しが彼にエールを送る。
無視、した。
(アストなら、できるもん)
レスポンスを返さないせいで、とうとうリリスはしょんぼりしてしまった。
限界だった。
(だぁああああああああああああっ! もうわかりましたよわかりました! 良いでしょうやってやりますとも! 三分下さい、三分で状況の打開案を出してやりますよ)
(流石アストだ! やはりお前は最高だ!)
怒りと自棄とアドレナリンを燃料にくべて、アストは思考の限界に挑戦する。
こうなる事はわかっていた。
わかっていたのだ。
リリスはアストが無茶ぶりに答えないとしょんぼりする。
その顔は、普段気丈で基本的には利他的な彼女の生き方も相まって、すごくいじましく、同時に深い罪悪感を喚起させるのだ。
だからアストは断れない。
相棒の無茶ぶりに対して答えられなかったら悔しいし、しょんぼりさせたら自分が許せなくなるので結局無茶ぶりに乗ってしまうのだ。
清々しい程に彼は尻にしかれるタイプなのである。
(状況の検討、記憶の整理、ワードの抽出。【星斬り】ヒミングレーヴァ・アルビオン、ガイゲンシュピァ、連合、赤鷹のガラハッド、やけに大人しいヨミ、勝利条件、敗北条件、こちらの戦力、総コスト十万、スローンズ上限二人、守護者、ダンジョン、競争のルール、ミニオンの数)
洪水のように流れていく数多の要素、それら一つ一つを吟味し、連結させ筋道を立てては壊す作業。
一度タカが外れたアストの思考領域は、波濤のように論理を展開させていく。
扱う情報の量は秒を追うごとに増えていき、思考と記憶の境界線が消えてなくなるほど早く巡り始めていた。
(死、禍焉、転生、ヨミとの出会い、ダンジョン×ダンジョンズ、ラスカイ・コールキンと【星斬り】の戦い、ユニット、四つのランク、チュートリアル、カルバオウルさんとの戦闘、ヴィーケンリード邸での日常、ダムさんとの修行、ロリー、祝福カード、ガチャ、オフィーリアさん、エミリー、タヌキン、リーグ、月天、至高天、エッダ)
数多の記憶が同時並列的に関連する要素と結びつき、その殆どが淘汰され、洗練されていく。
投入、展開、選定、消去。
入れては消し、入れては消し、あらゆる可能性を検討しては捨てていく。
そんな思考実験を時間にして丁度三分、しかし本人の脳内では悠久とも呼べる程濃密に過ごした後、彼は一つの結論に至った。
「ヨミ、意見をいいですか」
「勿論だとも。どんな案でも言ってみてくれ」
「ありがとうございます。では早速、僕の思いついた作戦を述べさせて頂きます」
そうしてアストは出来あがったばかりの自分の計画を語り始めた。