第二十四話『悪の組織』―1
潤が持ってきたのは、紙だった。福岡空港とドイツを、この数日間で往復した人物の名簿だ。
拓人はリストに赤で丸を書くと、そこに書かれている文字を指差した。
そこには、片仮名で“ガトウ ユウヤ”と書かれている。
「《天神と虎》のボスのマヒルは日本人なのに、片仮名で名前を書くのに拘ってるっつーからさ。弟も同じでよかった」
珍しい苗字にも感謝だな、と言いながら、リストを光へ渡した。
「《P・Co》から提供された情報によると、“ガトウ・マヒル”は宙に浮けるんだと。つまり、何らかの特殊な能力を持っているって事だろ。っつー事は、その弟も何らかの能力を持ってる可能性が高い」
輝は、Hellseherか! と瞳を輝かせている。興奮気味にリストを凝視している輝に、翔が首を横に倒した。
「輝も似たようなもんじゃないの?」
「何を言う! 俺様は、人間以外の者の力は借りられても、自分自身に、超自然的特殊能力が備わっているわけじゃないんだぜ!」
威張って言う事じゃないわよ……、と半眼で溜め息を吐いていた妹だが、あぁもう恥ずかしい……、と顔を赤くして額を押さえた。
深叉冴は、ふむ、と顎に手をあてて頷く。もう片方の手には、紙パックのリンゴジュースを持って。
「類友というのは、結構ある事だ。《天神と虎》の他の団員も、同類とみておいた方がよいだろう」
「そうだな。超能力なら、あの殺し方にも納得が出来る」
輝は腕を組み、うんうん、と大きく頷いた。そんな輝に対して半眼を向けるのは、光だけではない。
拓人も、光と似たような表情をして、輝に訊く。
「輝さんは身内が殺されたのに、結構あっけらかんとしていると言うか……、楽しそうにも見えるんですけど……」
輝は、何でそんな顔をするんだ? と不思議そうだ。しかし少し考え、ああ、と手を打った。
「伯母さんも言っていたのだが、死は、器がなくなった状態。それだけなんだ。つまり俺様たちはお互い、死に対する認識が違うのかもしれないな」
俺様からすれば、死を悲しむ光の方が異端なんだぜ。と輝は両腕を曲げる。昔はもっと冷静に物事を見れる子だったのに、とも、溜め息と共に吐き出された。
光は輝を睨むと、吐き捨てるように言った。
「お兄ちゃんには分からないわよ」
「出会ってすぐの潤先輩の目玉を抉り取ろうとした人だもんなー」
今まで黙って同席していた凌が、嘆息する。しかし、呆れた様子だった凌の表情は瞬く間に固まり、顔は血色を失った。手で口を覆うも、溢した言葉は口には戻らない。
凌の顔には書いてある。“またやっちまった”、と。
「なぁ、凌ちゃん? 今、何て言うた?」
ニッコリ笑う泰騎に、凌は目を泳がせる。しどろもどろしている凌を、潤が手で制した。
「俺はかすり傷のひとつも負っていないから、問題ない」
「問題なんは、結果じゃのうて、きっかけと過程じゃ」
「結果的に無傷なんだからいいだろ」
「じゃから、ワシが言いてぇのは、何か起きてからじゃ遅ぇって事で――」
「そう言えば、潤が泰騎の事『腹が立つ』って言ってたよ」
《P×P》の所長と副所長の言葉の応酬に、同じように言葉で割って入った翔。時間が止まったかのような空間で、翔だけが「あれ……言っちゃいけないんだっけ……」と虚空を見上げている。
「……翔……。何というか、俺が言っていたのとは、今は少々、意味合いが違う……」
項垂れる潤に、翔は目をぱちくりさせて、そうなの? と首を傾げた。
「ところで翔。この灰色の男は誰なんだ?」
輝は、いつの間にやら増えていた人物を指差しながら翔に訊いた。
「えっとね。俺の先生をやってる潤のお義兄さんで、上司で、相方なんだって。康成が着てる服の絵を描いてるんだよ」
「おお! デザイナーか! どうりで、珍しい髪の色をしているわけだな! そうかそうか。兄が弟の心配をするのは当然の事だな!」
ポンッと手を打って納得し、はっはっは! と笑っている輝に向かって、灰色の鋭い視線が飛んだ。
「綺麗な顔した兄ちゃん、何か勘違いしとるみたいじゃけどな。潤を殺すんがワシの一番の仕事なんよ。それまでこいつに余計な事せんでくれん?」
輝はパチリと瞬きをすると、もう一度手を叩いた。
「それは失敬したんだぜ! 面倒事には関わりたくはないから、その紅い目玉は諦めるとするんだぜ!」
輝はあっさり潤の目玉を諦め、降伏のポーズをとった。あまり執着はないらしい。
そんな兄は無視しつつ、光は拓人に顔を向ける。
「拓人君、何かあった?」
「え……」
光は翔の事ばかりを見ているのだと思っていた拓人は、不意の質問に固まってしまった。
「目が赤い気がしたんだけど……。気のせいならごめんなさい」
「……あー……、うん。心配してくれてありがと。何でもねーから。欠伸したみたいなモンだから」
苦笑する拓人を特に言及する事なく光は、なら良いのだけれど、と視線を翔へ戻した。それと同時に、喉に何かを詰まらせたような、チチチチチ、という鳥の鳴き声が近付いてきた。
百舌鳥の寒太だ。
室内に鳥の鳴き声が入ってきたが、輝の叫び声がそれを掻き消した。
両手で頭を覆い、ガタガタ震えている兄の丸まった背中を擦りながら、光は困り顔だ。
「お兄ちゃん、鳥恐怖症なの」
「羽が生えてる馬に乗ってるのに?」
首を傾ける翔に輝は、わなわなしながら顔を上げる。
「鳥と疾風丸を一緒にするな!」
「鳥を悪く言うの、止めてくれない?」
『何だこの兄ちゃん。失礼な奴だな。頭抉っていいか?』
寒太の、先が湾曲した鋭い嘴が鈍く光った。
「抉っちゃダメ。だって、光のお兄さんだもん」
肩に止まった寒太に人差し指を添えて、翔はかぶりを振る。
「な、何だか物騒な会話が聞こえたぞ!? その鳥、今何と言ったんだ!?」
「あ、輝は寒太に会うの初めてだっけ……。俺のマネージャーの、寒太だよ」
寒太を両手で掴んで差し出すと、輝は悲鳴を上げて後ずさった。そんな事はお構い無く、翔は寒太の通訳をする。
「『失礼な奴だな。頭抉っていいか?』って言ったから、俺が止めたよ」
寒太に突かれると、とっても痛いんだよ。と言うと、翔は、ねー、と寒太と顔を見合わせた。
輝は光の後ろに隠れて「さすが、小さな猛禽と言われる百舌鳥……」と震えている。
「少し怒りっぽいけど、俺より記憶力がいいんだよ」
得意そうに寒太を紹介する翔。
「輝は、何で鳥が恐いの?」
「お兄ちゃん、小さい時ピクニック中に、鷲に拐われた事があるの」
輝に代わって光が説明すると、あぁー……、と納得する声がちらほら上がった。
その反応に、本当に恐かったんだからな! と輝は涙目だ。
「岩場にぶつけられそうになった時に、伯父様に助けられたの」
「そんな目に遭ったなら、高い所も苦手になりそうですが……」
康成は湯飲みに茶を追加しながら、疑問を口にした。それもその筈。輝は空を飛んで、ドイツから日本までやって来たのだから。
輝は、何を言っているんだ、と両手を広げる。
「無理矢理飛ばされるのと自分の意思で飛ぶのは、全く違うんだぞ!」
結局のところ、煙とナントカは高い所が好きなのだろう。
康成は、そうなんですねぇ、と微笑んだ。




