第二十三話『相方』―4
潤の後を追って天馬家の裏庭へ出た翔が目にしたのは、軒下で並んで座っている拓人と凌。凌はスマートフォンを持って、オロオロしている。
凌って、結構落ち着きないんだなぁ。と頭の中で呟いた翔だったが、拓人の様子を見て目をぱちくりさせた。
歩いている潤を追い越し――途中で躓きながら――、凌に向かって眉を狭めて言った。
「ねぇ。凌、何したの?」
体の周りに火花を散らせながら見下ろしてくる翔に凌は、ちげーよ! と怒鳴る。
「オレの相方から電話が来て……あぁ、テレビ電話なんだけどな。画面見た途端……」
と拓人を視線で指す凌につられて、翔も拓人を見た。
泣いているのだ。
座っている木板には、水滴が数粒落ちて、染みを作っている。そんな拓人が、声を震わせて言った。
「何か……急に……悪い。ちょっと……知り合いに似てて……」
「いや、謝る事じゃねぇけど……大丈夫か?」
拓人の背中を擦りながら、凌はスマホの画面に向かって「尚巳、ちょっと待ってろ」と告げる。その瞬間、拓人がガバッと顔を上げ、ガシッと凌のスマホを奪い去った。
呆気に取られている凌を無視し、拓人はスマホの画面に向かって声を荒らげた。
「てっめ、この野郎! やっぱ尚巳か! 何で生きてんだよ! 生きてんなら連絡寄越しやがれ!」
『ひっ! 何で拓人が居るんだよ!? これ、凌のスマホだろ!? って、怒らないでくれよ。色々事情があってだな……』
「怒るに決まってんだろ!! このボケ! あぁーもう! てめぇ、殺す! 死ね!!」
『ほんと、謝るから。悪かったって。な? それより今は、大事な用事があってさ……』
置いてきぼりを食らっている翔と凌の間から、潤が顔を覗かせた。
「尚巳。拓人への事情説明は俺からしておくから、状況の説明を頼む」
画面向こうの尚巳の表情が、あっ、と一瞬痙攣し、苦笑いに変わった。はは、と乾いた笑い声を漏らし、尚巳は頭を掻く。
『潤先輩、すみません。簡潔に言うと、捕まっちゃいました』
「…………」
瞬く間もなく表情が険しくなった潤に、尚巳は焦って言葉を続ける。
『あ、あの、色々ヤバくて……おれ、こっちを内部から壊す事になって、えぇっと、あまり時間もなくて。とにかく、ニュースになってるかもしれないんで、ワンセグとか、テレビ観てください!』
「ひとつ確認する。尚巳はまだ、《P・Co》の人間か?」
潤の問いに間髪入れず、当然です! という返事があったので、潤は自分のスマホを取り出した。ウサギのシルエットが印されたそれを起動し、テレビ画面を映し出す。
しかし、ニュースはやっていなかった。
あぁ、まだ時間がそんなに経ってないもんな。と尚巳は、SNSで“カマキリ男”と検索するように促した。
すると直近で数件のヒットがあり、動画が添付されているものを開いてみた。
映っていたのは、両腕が鎌になっている緑の男。下半身はスラックスを穿いているが、上半身にはワイシャツであろう服が前面に引っ掛かっているのみ。背面は大きな翅が突き出ていて、服らしき布がズタズタに裂けている。
少し助走をつけ、翅をバタつかせながら何度か小さく跳んだかと思ったら、大きく跳ね、民家の屋根より高く飛んで去っていった。
「何だこいつ……」
凌は眉間に皺を作った。
翔は、カッコイイ、と瞳を輝かせているのだが、誰も相手にはしない。
『そのまんま、カマキリ男。昆虫のカマキリと、おっさんが合体した姿なんだ』
尚巳の説明は漠然としていたが、拓人の脳裏には光が手にしていたキメラの本が浮かんだ。先程の尚巳へ対する剣幕を忘れるほど、真剣な表情でカマキリ男を見ている。
「合成生物……キメラだとしたら……。おい、尚巳。お前、今どこに居るんだ?」
尚巳は『さすが拓人、察しがいいな』と肩を竦めると、辺りを警戒しながら声を潜めて言う。
おれは今《天神と虎》の地下牢に居るんだ。色々あって、ある人物の手伝いをする事になったんだけど……それは一旦置いといて。
《天神と虎》のボスの弟が合成生物を作る本……ドイツ語みたいだった。ソレを持ってきて、ついさっき、その本を見ながらカマキリとおっさんの融合体を作ってたんだ。成功した姿が、さっきの動画に映ってたアレ。
おれはそこしか見てないんだけど……他にも失敗作とか居るから、結構前から実験はしてたみたいだな。
早口で説明を終えると、尚巳は慌てた様子で、誰か来たから切るな、と言い残し、画面から消えた。
拓人は顎に手をあて、ドイツ語……、と呟くと潤に向かって言った。
「潤さん。《P・Co》に、凄い電気特異体質者が居ましたよね。この一週間以内に、福岡空港経由でドイツを行き来した人物をリストアップする事は可能ですか?」
潤は頷くと、自分のスマートフォンを取り出し、連絡を取り始めた。
拓人は溜め息を吐き出すと、今度はお客さんだ……、と呟き、振り向く。電話を終えた潤の表情が見る見る間に渋くなっていくので、翔にも“お客さん”の正体が分かった。
“お客さん”を案内してきた康成が、表の庭から繋がっている通路から、顔を出した。両手に、紙袋を提げている。ピンク色でふざけた顔をした、細長いウサギが印刷された袋だ。
「翔様ー、潤さーん、《P・Co》の泰騎さんがお見えですよ」
康成の後ろから、灰色の髪が覗いた。
「やっほー。邪魔するで」
「今日は出掛ける用事があったんじゃないのか? 何をしに来た」
泰騎は、潤ちゃん恐いー、と両手を上げておどけてから、肩を竦めた。
「予定キャンセルして、こっち来た。なーんか、嫌な予感がしてな」
「縁起でもない事言わないでください! 泰騎先輩の嫌な予感は、百発百中当たるんですから!」
慌てる凌を尻目に翔は、すごいねー、とペチペチ手を叩いている。緊張感のまるでない翔の拍手を、勝手口の開く音が引き裂いた。
顔を覗かせた――正確には、お面を覗かせた――のは、倫だ。お多福とひょっとこが合体したような模様からは伝わりにくいが、珍しく、焦っている声で翔の名を呼んでいる。
「皆さん、すぐに居間へ来て下さい! ニュースで福岡の様子を中継しているんですけど……」
一同は顔を見合せ、各々様々な溜め息を吐きながら、母屋へ上がった。