第二十三話『相方』―2
拓人が結界用の札を量産していた頃――。
「ねぇ、何それ」
翔は潤の体を指差して言った。
潤は今、丈の長い割烹着を身に付けている。割烹着の色は黒で、胸元、腹、両腕、両脚に白い丸が書かれている。なかなか滑稽な格好だが、笑う者が居ないので、場の空気は異様だ。
「的だ。威力の調整は追々するとして、まずはコントロール力を身に付けるべきだと思ってな」
「潤、割烹着似合うね」
質問の答えに対する話題とはズレた返事を寄越した翔に、潤が瞼を半分落とした。呆れながらも、話を続ける。
翔を向かいの壁際にまで下がらせてから、
「どれでもいいから、丸い印を狙って燃やせ」
翔は頷くと右手を潤に向かって突き出した。次の瞬間、潤の左腕に火がついた。護符の効果ですぐに鎮火し、潤の腕は無傷だ。
手のひらから炎が伸びているわけではなく、完全に“潤の腕を”狙っていた。そう。潤の腕を狙ったように見えるのだが――、
「因みに、どこを狙ったんだ?」
「心臓の辺」
的外れもいいところだった。
潤は、呆れているのか感心しているのか、一概には言えないような声を上げる。
「よく今まで、仕事をやってこられたな……」
「俺の失敗は、全部拓人が何とかしてくれるから」
「…………」
潤は決していい顔をしているわけではない。しかし翔は、何故か得意気に言葉を続ける。
「この前も、攻撃に巻き込んじゃったけど怒らなかったよ。俺、自分の攻撃で目玉と腕に色々突き刺さっちゃったんだけど……拓人が手当てもしてくれた」
拓人は凄いんだ、と相方の有能さを伝える翔だが、翔の無能さが露になるだけだった。本人は全く気にしていないのが、最も残念な点だ。
潤は少し考え、口を開いた。
「俺は『翔に力の制御を教えてやってくれ』と言われて、ここへ来た。これが今回の俺の仕事だ。つまり、これを完遂しない限り俺は会社へ顔向け出来ない」
翔は――分かっているのか否か――頷きながら、話を聞いている。
「翔はどうして、力を制御したいと思うんだ?」
頭の先から伸びている触覚を揺らして、翔は小首を傾げた。どうして? と反復し、姿勢を正す。
伸びた背筋から、翔の真剣度が伺える。
「人に迷惑、を、掛けないようになりたい……、です」
言い慣れていない、ぎこちない敬語で言うと、翔は身を捩った。しかしそれ以上の言葉が出ない。
答えに続きがないと悟ると潤は、そうか、と頷いた。
表情から感情は読み取り辛いが、悪く思ってはいないようだ。――というのは、翔の判断だが。
「取り敢えず、今は、拓人に迷惑掛けないようになりたい……です」
潤は再び、そうか、と小さく頷いた。口元が僅かに綻んでいる事に、翔は気付かなかったが、場の空気が幾分か和らいだ事は、何となく感じ取った。
しかし潤から何も言われないので、翔は続ける。珍しく、手振りを付けて、
「拓人、大変でね。俺も、詳しく知らないんだけど、短い……半年くらいの間に、仕事の関係で同級生が殺されて、お母さんが死んで、仕事の相方まで死んだんだって。秀貴とは仲が悪いし、今の相方は俺だし……」
そこまで言って顔を伏せたのだが、翔は少しだけ口を尖らせて、言葉を紡いだ。
「だから、俺、もっとしっかりしなきゃって、思ってるんだ」
一頻り話終えると、翔は長く息を吐いた。深い呼吸を数回繰り返し、再び、だから、と切り出した。
「早く、コントロールの仕方教えて」
教えを乞う言葉遣いを忘れている事は取り敢えず無視し、潤は本日何回目かの「そうか」を繰り出した。そして「ところで」と話を戻す。
「昨日拓人に、翔の能力の制御の程度について効いた時、拓人は『場所は正確だ』と言っていたのだが……」
胸元を狙った結果、左腕部分の燃えた黒い割烹着を見やる。お世辞にも、正確とは言えない。
対して翔は、えっとね……、と言葉を探るように、指先でくるくる円を描きながら答えた。
「例えば、攻撃されたとしたら……、その攻撃対象を落とす、くらいは出来るんだ。うぅんっと……自分に向かって来るものは燃やせる……っていう、感じ……かな……」
だんだんと尻すぼみになっていく声に自信は感じられない。それもその筈。当の本人にも、よく分かっていないのだから。
つまり、翔は典型的な“感覚で生きている”人物。
潤の相方が、同じように感覚で生きているわけだが――
「……こんなに差が出るものなのか……」
指先で頭を支えるようにして、潤は項垂れた。長い髪が頬に掛かる。
潤はズボンのポケットから髪用のゴムを取り出すと、後頭部で髪をまとめた。
「それなら、得意な事をまず完璧にするぞ」
割烹着を脱ぎ、適当に畳んで置くと、右手を翔に向けて言う。
「俺が翔に向かって、見えるように攻撃をする。翔はそれを全て打ち消すイメージで、俺の放った炎に、翔の攻撃を当ててみろ」
翔が、うん、と返事をしたと同時に、金糸雀色を帯びた唐紅が、翔に迫ってきた。
頭で考えるより先に、翔は自らの右手を振り上げ――振り切った。
翔と潤の間で、紅蓮が弾けて消え失せる。だが、赤が消えたのは一瞬の間で。瞬きを挟むと、次が出現していた。
息つく間もなく、熱を纏った赤が、出ては消え、出ては消え……。翔はその全てに、何らかの衝撃を与える事に成功している。ただ、それは紅い炎であったり、空気砲のように目に見えないものであったり、威力が強かったり、弱かったり、まちまちだ。
そんな均衡状態の攻防が数十秒続いた時――、翔が突然、倒れた。車に牽かれた蛙のように、床に貼り付いている。
駆け寄った潤が、しゃがんで翔の様子を伺う。どうした? という問いに、なかなか返事がない。
翔は、ぜぇはぁと呼吸を繰り返し、ある程度息が整うと、唾を呑み込んで言った。
「……い、息、するの……忘れてた……」
未だ荒い呼吸を続ける翔は苦しそうに喘いでいる。
その横で、細い息が勢いよく吐き出された。
「?」
翔が顔を上げると、口元に手を添えて笑っている潤が居た。
「は……、ふふ……そんな、はは……っ」
肩を揺らす潤を翔は、蝉が羽化する瞬間に出会したような顔で眺めている。
そして、また呼吸を忘れている事に気付き、急いで息を吸い込んだ。




