第二十二話『地下の化け物』―5
尚巳は、笑いを堪えるのに全神経を使っていた。
豚なのだ。目の前に居るのは。
イラストなどによく描かれる、ピンクの豚。食用としてメジャーな、ランドレースや大ヨークシャー種に見える。それの頭に生えている、一本の黒い角。よく見るとその下に、湾曲した短い角も生えている。背中には、黄色い羽も生えていた。
豚とヘラクレスオオカブトの融合体だと言うならば、成功だろう。しかし、
「あっれー? 人間の要素はどこ行ったんだ?」
今目の前に居る生物は、四足歩行で、サイズも人間というには小さすぎる。
(っつーか、さっきまで豚の要素は無かったよな? 豚の体脂肪率は十五パーセントくらいだぞ?)
あんなにブヨブヨなわけがない。と尚巳は胸中で唸ったが、ユウヤも“失敗作”だと言っていた。融合段階で細胞結合に異常をきたし、体が肥大しただとか――、きっとそいういうものなんだ。と、そこで考えるのを止めた。
ユウヤは後ろを向いて、こっち来いよ、と誰かを呼んだ。
階段の陰から現れたのは、見るからに気が弱そうな、細身の男。サラリーマンだろうか、スーツを着ている。その両腕は力なく、だらんとぶら下がっていた。折れているみたいだ。
(影が薄すぎて、気付かなかった……)
人の思考が読めるイツキは気付いていたみたいだが、完全に背景と一体化している。
腰の低いその男は、震える脚でユウヤの元へやってきた。顔面は蒼白。小刻みに痙攣している唇は紫色で、細く角張った顎も震えている。
さっきの豚とカブトムシを見ていたら逃げ出しそうなものだが、彼は怯えながらもユウヤの言葉に従っている。
新しい魔方陣を描きながら、ユウヤは男に向かって言う。
「俺の肩にぶつかっといて謝罪もなしだったんだ。せめて実験台になってくれよな、おっさん」
男はか細い声で、電話をしながら歩いてたそっちが悪い、と反論したが、聞き入れられなかった。
ユウヤは、代わりに男の背中をドンと押し、魔方陣の中央へ配置。男の頭の上にカマキリを置いた。
そして図形の外側に文字を書き足し、先程と同じ魔方陣が完成した。
再び光りの柱が出現し、それが消えると、人が立っていた。先程の男と同じ顔をしている。違う所は、緑色の肌、頭に生えている触覚、背中に生えている翅と、両腕の鎌。
「おっ、すっげー! 成功じゃん! かっけぇー!」
ユウヤは手を叩いて喜び、折り畳みのコンパクトミラーをカマキリ男へ向けた。
緑の鎌男は鏡に映った自分の姿を見て目を見開いていたが、すぐに高笑いを始めた。先程までの弱々しさなど、微塵も感じさせない笑い方だ。
「凄いな、本当にカマキリと合体した!」
「だっろー? 俺って、スッゲーの!」
「これで、私の事を蔑んでいる生徒たちに仕返しが出来る!」
「おー! 派手にやってやれ!」
カマキリ男は自信と希望に満ち溢れた瞳を輝かせ、翅を使って跳び跳ねながら出ていった。
少しして上から悲鳴が聞こえたが、ユウヤはご機嫌だ。カブト豚を牢へ戻し、「今度首輪買ってくるからな」、「いい子にしてるんだぞ」と言い聞かせると、付箋だらけの本を持って去っていった。
地下への扉が閉まり、足音が完全に聞こえなくなると、尚巳は長く息を吐いた。
「あのおっさん、教師だったのか……。って、そうじゃなくて!」
見事に一人でノリツッコミを果たしたところで、かぶりを振った。
「こりゃ、ヤバイな……」
呟くと、白いオーバーオールに忍ばせていたタブレットを取り出した。




