第二十二話『地下の化け物』―3
再び、少しの静寂が訪れた。
静寂を破ったのは、尚巳の気の抜けるような声。
「……はぁ。おとうとさんを……」
イツキは困り顔で頷いた。厳密にはマヒルの弟なんだけど、と。
他人の家庭の問題に、首も足も突っ込む気の更々ない尚巳は、ここで死ぬべきか、まだ生きているべきかと考えながら、手の中にある果物ナイフを眺めた。
セラミック製の折り畳みナイフ。よく切れそうだ。
正直、尚巳は乗り気ではない。長く喋っていると、ボロが出そうで気が気でないのだ。ただ、この状況を利用出来ないか……とも考えているわけだが――。
(やっべーなー……なんっにも思いつかねぇや……)
しかし、自害する勢いも失せてしまった。と、いうわけで、尚巳はもう少し様子をみる事にした。
「正直、よその家庭問題には関わりたくないし、おれ、依頼を受けた相手以外は殺しちゃいけないんですよ」
尚巳が言うと、イツキはゆっくり頷く。一度周りの様子を伺ってから、
「直接殺さなくてもいいんだ。協力をして欲しいだけで……」
そこまで言ってイツキは、僕自身の事をまず話そうか、と微笑んだ。
「僕は、複合能力者でね。念動力、読心、高速移動、透視が出来るんだ。まぁ、読心ははっきりした言葉で聞き取れるわけじゃないし、瞬間移動が出来るわけでもないし、透視もベニヤ板くらいの厚みまでなんだけど……」
一応《天神と虎》では、一番強い能力者さ。と苦笑い。
成る程、超能力が使えるのか。と尚巳は妙に納得し、別の疑問を投げ掛ける。
「おれに“色”がどうのって言ってた、アレは?」
何か特殊な能力なのかと思って訊いてみたのだが、尚巳の予想の及ばない答えが帰ってきた。
「僕はね、色盲なんだ」
色盲。色覚異常の一種。色が見えない。白黒の濃淡で、世界が構成されている人の事だ。
「僕の世界には、色がない。ただ、特殊な人の纏っている……オーラ……って言えばいいのかな? ソレが、色つきで見えるんだ」
それは何色も重なっている場合もあるし、一色だけの場合もあるし、薄かったり濃かったり、色々なんだ。とイツキは変わらぬ微笑で説明した。
因みに君は、一色が薄く体を覆っている感じだよ。とも加えて。
尚巳は、へぇ……、と頷く。
(まぁ、おれはそんな強い能力持ってないからな)
「でも、何かの能力は持ってるんだよね?」
訊いてからイツキは「ごめん、聞き取れたものだから」と肩を竦める。
対して尚巳は、別に構いませんよ、とへらへら笑いながら、ひらひら手を振った。
「読心能力があるなら、隠してても仕方がないですね」
首を竦め、尚巳は自身の事を話し始める。
自分は元々《自化会》に居たが現在は《P・Co》に居る事、能力といえば霊体などの実物のないものが“視える”事、今回は建物の見取り図を完成させるために潜入していた事、を。
尚巳の事を一頻り聞いたイツキは、成る程ね、と少し肩の力を抜いた。後ろを気にしながら、顔を格子に近付け、声を潜め、続ける。
「実は君が入っている牢は、普段は壁なんだ。マジックミラーになっていてね。内側からは見えるけど、こちら側からは見えない」
「……地下牢といい……資金不足のわりに、なかなか凄い設備がありますね」
聞けば、これは義弟の提案だと言う。組織の地下には牢屋があるものだ、と言われ、マヒルがその気になって作ったらしい。マヒルに“銃殺刑”を提案したのも、義弟なのだと言う。
ただ、このマジックミラー部屋を作ったのはイツキ自身らしい。ちょっと休憩をしたい時に使っているんだとか。
「お陰で《天神と虎》は常に金欠に喘いでる。でも、団員は増える一方。最近じゃ、食べ物にありつけるからって、ホームレスが訪ねて来る事もあるんだ」
竦めた肩をそのまま落とすと、イツキは嘆息した。
そこまで聞き尚巳は、苦労してんだな、とイツキ個人に対して僅かな同情の念を抱いた。
「分かりました。ここに居る間は、“イツキ様”の言う事を聞きますよ」
「有り難う。僕は普段、マヒルの隣に居なきゃいけないからあまりここへ顔は出せないんだけど……君の荷物は?」
「“大将ホテル”にあります」
イツキは、大将ホテルだね、と頷き、頃合いを見て届けるよ、と告げた。
「狭いだろうけど、少しの間そこにいてくれ。普通にしていてくれて構わないし、外と連絡を取っても構わない。ただ、誰か来たら物音をたてないように気を付けて」
予算の関係で、防音までは出来なかったんだ。そう言って苦笑したイツキだったが、ちょっとごめん、と言うなり、マジックミラーになっている壁をスライドさせた。
小声で、義弟が来た、と尚巳に告げる。
尚巳からは外の様子が伺えるが、外から見たらただの壁。そんな壁の前で、イツキは両手を広げた。
尚巳からはイツキの背中しか見えないが、きっと笑っているのだろう。
「やぁ。昨夜帰って来たって聞いたけど、数日ぶりの日本はどうだい?」
尚巳はマジックミラー越しに、件の義弟を確認し、目を見張った。
昨夜福岡空港の一階で見かけた、ジュナンボーイ風の少年が現れたからだ。
ジュナンボーイ風の少年は、ロングTシャツにスキニーパンツという、ラフな出で立ちだ。右手には、付箋だらけの分厚い本を持っている。随分と古いものらしく、大分傷んでいる。
尚巳は目を凝らして、十メートルほど先にある本の文字を読んだ。
(ドイツ語かな……。エスエイチ……、シ……“Schimäre”……? 専門用語かな……分かんないや)
タイトルの下に、まだ小さな文字で何か書いてある。
(ヘ……、あ、これは分かる。“Herstellungs methode”だ)
肝心な部分は不明だが、イツキの義弟は何かを作ろうとしているらしい。
「ドイツ、楽しかったよ。ソーセージ美味かったし。ユダヤ博物館にも行ってきたんだ。ユダヤ人、マジで天才だわー」
屈託のない笑みは、そこら辺に居る中高生と相違ない。場所が、地下牢でなければ。
「んでさ、兄貴に頼みがあるんだよねー」
イツキは義弟に向かって、何だい? と首を傾けた。
義弟はにっかりと笑って、日曜日に団員全員分の肉を食いつくした巨漢を、指差した。
「この肉の塊、俺に返してー」




