第二十二話『地下の化け物』―2
翌朝。
黒Tシャツに白のオーバーオール姿の尚巳は、難なく《天神と虎》に潜入していた。
廃校になった校舎の廊下を歩きながら、手元の間取り図に実際の部屋配置を記入して回っている。たまにすれ違う白いオーバーオールの団員に「すみません。おれ、方向音痴で……。ここは何をする部屋でしたっけ?」などと質問しつつ。
全身モノクロコーディネートで、《天神と虎》の本部内を散策しているわけだ。
(どっかに差し色がないと、なんか落ち着かないんだよな)
と、心中で現在の服装に文句を言いながら。
「君、色があるね。見ない顔だけど、新入りかな?」
振り向くと、雑なオールバックが特徴的な、黒スーツの男が立っていた。《天神と虎》の教祖――否、団長であるマヒルの配偶者であり側近の、ガトウ・イツキ。朗らかに笑っているものの、何を考えているのかは分からない。
(やっべ……近付かれてんのに、気付かなかった……。こいつ、団長の側近じゃんか)
一瞬焦るも、それを悟られぬように、尚巳はにこりと笑って返す。
「“色”ですか? おれ、そこまでホルモン過多じゃないですよ。って、下ネタじゃないですよね。すみません。あー、おれ、火曜日入団したばかりで、建物の事がよく分からなくて……地図を作っていたんです」
イツキに、持っている地図を見せる。
「へぇ。ボールペン一本で、よく書けてるね」
「有り難うございます。“イツキ様”に褒めてもらえて、光栄です」
尚巳は、へへ、と笑って、頬を掻いた。
イツキは柔和な笑みを湛えている。尚巳の地図をひと通り眺めると、地図の、何も書かれていない場所を指差した。
「こんな所を歩いているだけじゃ、この建物の地図は完成しないよ」
尚巳が首を傾げたと同時に、イツキは尚巳の右手首を掴み――更に体を引き寄せて、言った。
「日曜日の決起集会でも言っただろう? ここには、地下があるんだ」
尚巳が再び、やっべ……、と思った時には、なんやかんやと――色んな意味で、遅かった。
「うわー、マジかー。いつ気付いたんですか?」
薄暗い空間で、尚巳は大袈裟に後ろ頭を抱えた。
《天神と虎》本部の地下。マヒルが“地下牢”と言っていた場所だ。そのひと区画――一番奥の、行き止まりの部分――に、尚巳は収まっていた。
日曜日の決起集会で銃弾を体の肉で跳ね返していた者も、他の牢に入っている。日本語には聞こえない呻き声を発しながら。
他の区画は、空いているように見える。
イツキは、そうだねぇ、と目を細めて言った。
「日曜日の決起集会の時かなぁ」
「いや、逆に、何で気付いた時に捕まえなかったんです?」
「人がたくさん集まっていたからね」
騒ぎになると面倒だし、とイツキは肩を少し上げた。
「で、君はどこから来たのかな? 《自化会》かな? まさか、本当に迷子じゃないよね?」
「訊かれたからって、答えるようには言われていないので……」
ガチン。
歯と歯がぶつかった音が、地下に響く。
そして訪れる、少しの静寂。
「…………あれ?」
自分の頬を押さえる尚巳に、イツキが何かを摘まんで見せた。
「もしかして、コレかい?」
歯医者で治療すると施される、クラウンような形状をしている。イツキはそれを掲げて見ながら、初めて見た、と嘆息した。
「これは毒が入っているのかい? 自害用の? スパイ映画みたいだね」
「マジか……」
イツキの言う通り、自害用の毒が仕込まれている奥歯用の被せだ物。潜入捜査時には、装着が義務付けられている。確かに、さっきまでは奥歯に被さっていた。
「怖いなぁ。何が怖いって、組織の為に平気で死ねる人材の居る組織が、《天神と虎》に目をつけてるって事なんだけどね?」
「ほんと、マジで……捕まったなんて知られたら、居場所なくなるんで。マジで、マジなんで」
尚巳の懇願は聞こえない振りをして、イツキは毒入りの被せ物をスーツのポケットへしまった。
イツキは、牢の鉄格子の間から、手を入れた。小さな果物ナイフを握っている。
「死にたいなら、これでも充分だよね。でも、僕の頼みを聞いてくれたら……君を解放してあげよう」
尚巳はナイフを受け取りながら、頼みって? と質問を返す。
イツキは、尚巳と出会ってから変わらない、柔らかい笑みのまま言った。
「義弟を殺す、手助けをして欲しいんだ」




