第二十一話『兄、来る』―4
無視を決め込んでいる翔に、嘘泣きではなく本気泣きを始めそうな康成に、我関せずな倫。そんな三兄弟の横で、拓人は「ごちそうさまでした」と手を合わせ、食器を持って立ち上がった。
「潤さんと凌には、宿泊用の部屋が用意されてるから。オレが案内します」
拓人は二人を連れて席を外し、この場には天馬家と東家の人間のみが残った。
ついさっき、一人で吹っ飛び、泣き真似をしていた深叉冴がスックと立ち上がり、フワリと浮遊して、光の後ろへ寄り添う。
「ところで、主殿は何を持ってきたんだ?」
光が膝上に乗せているポーチを指差し、その場へ足を着くと、深叉冴は翔と光の間へ収まった。翔が眉根を寄せたが、全く構わない。
ポーチから出てきたのは、市販の降霊盤によく似た、板。ただ、書いてあるのはアルファベットではなく、数重になった円の中に五芒星。その中に、文字が散りばめられている。
それと共に出てきたのが、光が伯母から譲り受けた魔導書だ。
「お兄ちゃんが容疑者にされている件はいいとして」
「ふはは! 光のツンデレさんめ!」
輝の事は見えていないかのように無視すると、光は降霊陣の描かれた板をテーブルの真ん中へ移動させた。
「犯人の事は、殺された本人に聴けばいいのよ」
光の言葉に、翔は拍手で応えた。
「光、頭いいね。でも、俺たちみたいに、殺した相手の霊体まで消すような人だったら、どうするの?」
「その時はお手上げだけど、《自化会》のように念入りに霊的身体まで消滅させる人は少ない筈よ」
光の言葉をどこまで理解しているかは定かではないが、翔が頷く度に、彼の触覚はバネのようにしなやかに動いている。
「というか、《自化会》のお仕事でエーテル体の抹消までを行程に定めるよう提案したのは、深叉冴さんよね?」
自分の使い魔へ視線を向け、光は嘆息した。
深叉冴は大きな眼をぱちくりさせ、明後日の方向を向いている。口笛を吹こうとしているのか、尖った口からは掠れたような空気の音が漏れた。
「とても画期的な手順だとは思っていましたが……、深叉冴様の案だったんですね……」
康成は敬服の念を見せた。
翔と同じように伸びている深叉冴の触角の先は、床を向いている。
「あー……、昔、光君の降霊術を見た時、感銘を受けると共に、危険性も確実化したわけで……」
「要するに、霊体からの証言を恐れてる、ビビりって事ですよね」
バッサリ、且つ飄然と指摘したのは、倫。
深叉冴は、禍根を絶つという意味では必要な事で……、と小さな声で応じた。
「まぁ、お仕事内容が特殊だから、不安要素は取り除きたい……っていうのは分かるんだけど」
光は言いながら、降霊陣の描かれた板に右手を添えた。円の中心にある五芒星に指先をあて、言葉を紡ぎ出した。
「Bitte erfülle jetzt meinen Wunsch.Ich will dich sehen.Tante, bitte steh auf.」
「へぇ。初めて見た。これって、アニメなんかでよく聞く、詠唱的な何かですか?」
倫はここへきて、初めて興味を示し、輝に訊ねた。
輝はドヤ顔で「カッコイイだろう!」と、倫に向かって親指を立てたのだが……、
「……普通に、叔母さんを呼び出してるだけだと思うんだけど……」
という、翔の言葉で輝の親指は下がった。代わりに、翔へ向かって人差し指が向けられた。
「まさか、翔がドイツ語をマスターしていたとは! 妻となる者の生まれ故郷の言葉を習得する努力たるや、よし!」
「うーん……。俺、朱雀の遺伝子のお陰で、どの国の言葉も分かるから……」
「なんて便利な機能なんだ!」
「うん。便利なんだ」
などと話していると、テーブルの上――降霊陣の上辺りに光の粒子が集まり、人の形を作った。四十歳程に見える女性だ。
粒子は、ぼやけた輪郭から、やがてはっきりとした女性の形に形成された。立体ホログラムのように、そこに存在している。
「伯母様、こんな形での再会だなんて、残念でならないのだけれど……」
光がドイツ語で話し掛けると、伯母は閉じていた瞼を開いた。少し皺ののっている瞼を上げ下げし、光の姿を確認するなり、眼を大きく見開いた。
『まぁー! 光!? 綺麗になったわねぇ! いつぶりかしら? まぁまぁ!』
と、光の手を握ろうと自らの手を伸ばすも、触れる事なく交差する。そこでふと、伯母は自分の姿を自覚したらしい。自分の両手を眺め、大袈裟に肩を竦めて見せた。
『やだわ。わたしったら、死んだんだった』
悪戯がバレた少女のように、ペロリと舌先を出す。
光もつられて、肩を下げた。
「伯母様は変わらぬようで……いえ、うぅん……、安心した……って言うのは、可笑しいかしら?」
『あらやだ、この子ったら。あたしに気を使うんじゃないよ。肉体が無くなっただけなんだから、悲しむ事はないわ』
笑う頬は、生身の肉体でこそないが、丸く赤みを帯びている。
ふと、光の伯母は周りに居る人物たちに気が付いたようで、あらやだ、と辺りを見回した。
『たくさんの人が集まっているのねぇー……。あら、輝も居るのね』
ふふふ、二日振りね。と輝に手を振り、そのまま他の面々へ柔和な笑みを向けた。
『初めまして。光と輝の叔母――カルラ・ケーニッヒです』
と、翔を見たカルラの表情が、一層明るくなった。
『まぁまぁまぁ! あなたが翔? 見ただけで分かるわ。ふふ。光が入れ込むわけねぇ。とても可愛らしいわね。そうねぇ……、ふふ。ビスカッチャみたいな子ね』
「……ビスカッチャ……?」
「翔様、ビスカッチャとは、ウサギとネズミの中間みたいな、チンチラ科の動物です」
康成に教えられても、翔はピンと来ていないようだ。だが、話は進む。
『で、光? わたしを喚んだのは……』
「ええ。伯母様を襲った人物について、聴く為よ」
光の言葉にカルラは、でしょうね、とウインクを飛ばした。




