第二十話『家庭教師』―5
「鬼……ごっこ……」
泰騎の言葉を繰り返す。泰騎は首を縦に振った。
翔は深叉冴に向かって、首を倒す。
「鬼ごっこって、鬼になった人が他の人を捕まえるゲームだよね?」
「ああ。儂も子どもの頃やったぞ」
「泰騎先輩は鬼ごっこで、鬼になるのが好きなんだ」
凌は困り顔で肩を竦めている。この様子だと、泰騎の鬼ごっこは、珍しい事ではないらしい。
泰騎は、あん中でええわ、と格技場を指差した。拓人に、汚れていい服に着替えて武器を持って来るように言い、手を振り見送っている。
翔は泰騎の隣に立ち、泰騎の顔を見上げた。
「泰騎は、血が繋がってない、潤のお兄さんなんだよね?」
泰騎は初対面の年下から呼び捨てにされても、嫌な顔ひとつせずに応える。
「一応、戸籍上はな。……まぁ、幼馴染みみたいな関係じゃな」
「……じゃあ、潤のご飯作ったり、洗濯したりはしないんだ……」
翔は、ふむ、と何やら表情を堅くして考え込んでいる。
初めて家族構成が同じ人物に出会えたわけだが、自分の家とは、何やら違うらしい。
翔は泰騎に、質問を続けた。
「ねぇ。潤と、どっちが強いの?」
泰騎は小さく、デジャヴ? と漏らしてから、ワシ、と答えた。
翔は眼を瞬かせ、潤と泰騎を交互に見た。
ワシ、所長じゃけん。と泰騎は首を竦めて笑っている。
そんな泰騎の向かいに浮いている深叉冴は、口角を上げて言った。
「泰騎君は稀にみる天才だと、儂の耳には入っておるぞ」
「いやぁー、照れるわぁー」
はっはっはっ。と笑っているところへ、拓人が帰って来た。腰にホルスターを巻き、種類の違う拳銃を差し込んでいる。服は着替えていない。
目を据えて、照れ笑いをしている泰騎を見ている。
「拓人、何で怒ってるの?」
無神経極まりない翔の言葉に、別に、と答え、拓人は泰騎に軽く頭を下げた。
「準備出来たんで、お願いします」
結界用の護符を入り口へ貼ると、格技場全体が再び膜のようなものに覆われた。泰騎にはそれが視えていないのか、結界ってもう出来たん? と頭をぐるりと回している。
「泰騎さんは、親父の護符を持っていないんですね」
「え? あぁ。潤が持っとったやつ? 今日師匠に会った時に買って、ワシが渡したんよ。あー……、ウチの副所長にもしもの事があったら、怒り狂う奴がぎょーさん居るからな。にしても、よう気付いたな」
感心する泰騎だが、拓人の表情は依然冴えず、嘆息を漏らしている。
「親父の札は効果が強い分、気配に癖があるんです。ところで、鬼ごっこってどうすれば……」
「簡単じゃ。ワシが鬼。拓人は、ワシから逃げればええんよ。どんな手を使ってもええから、取り敢えず三分間逃げてみ」
「泰騎さんに向けて発砲しても?」
「もちろん、ええよ。実弾大歓迎。他に質問は?」
首を横に動かす拓人を見届けると、泰騎はジャケットのポケットから、赤いマーカーを取り出した。油性だ。
「流石にナイフで切りつけるわけにもいかんし、コレでカウントするな」
拓人は、カウント……? と眉間に皺を増やした。
疑問符を浮かべる拓人に、泰騎はマーカーを指先で回しながら、当然、といった口調で返答する。
「ワシが拓人を殺した回数じゃで」
そうか、オレは殺されるの前提か。と、拓人は半眼になった。
これだから、天才は嫌いなんだ。心の中でそんな悪態もつきつつ、泰騎の言葉を待つ。
「んじゃ、三秒後にワシは動くから、出来るだけ全力で逃げてんな!」
灰色頭のチャラ男は、いーちにーいさーん、と明らかに三秒オーバーな秒読みを終え、手首と足首を交互に回した。そして、自身のスマートフォンのタイマーを三分にセット。
その間に、拓人は二十歩ほど下がっている。
泰騎は更に背伸びをし、実質十秒ほど経ってから、やっとその場を離れた。
離れた――というより、“消えた”という方が適切なくらい疾く、拓人は一瞬、泰騎の姿を見失った。再び視界に泰騎を捉えた時には左手にリボルバーを抜いて構えたが、発砲したと同時に、また消えた。
否、消えているわけではなく、ただ速く動いているだけなのだ。その軌道が不規則で、直線的でない。
拓人自身、見えないわけではなく、ただ、本当に、反応が追い付かないのだ。
普段なら、素早く動く相手の行く先を予測して弾を撃つのだが、予想のたてようがない。
しかし鬼は確実に、自分に近付いてくる。ならば距離をとるべきだ。しかし、鬼がどの方向から近付いてくるかも分からな――、
「はい。一回!」
声がした背後を振り向いた時には、拓人の首に赤い横線が引かれていた。
まだ、三分を告げるタイマー音は鳴らない。
拓人は躊躇いなく、引き金を立て続けに五回引いた。弾切れと同時に弾を詰め直し、右手で自動拳銃を抜く。
両手を使って対極の方角へ六発撃つと、直後、壁が出現。土壁が、拓人をドーム状に包み込んだ。
強い爆発を起こす翔と仕事をしている時には、使わない防御方。天空を喚び出していない状態では、強度にも限界がある。
だが、人間一人の力を防ぐには充分な効力がある。
拓人は年の為リボルバーに予備の弾をセットしたが、少ししてタイマーのアラームが聞こえた。
拓人が土壁を崩すと、すかさず泰騎が拓人の両手をとった。
「すっげぇな! 流石《自化会》の主戦力じゃなぁ!」
「オレ、一回殺されてるんですけど」
拓人は浮かない顔で、首の赤い線を指差す。一〇センチほどの線。対して泰騎はかすり傷ひとつ負っていない。実戦だったなら、拓人は確実に負けている。
「うーん。まぁ、確かに本気出すタイミングが遅かったけどな。状況判断の速さと実行力はすげぇと思うで?」
「でも、一撃貰うまでに動けないと、意味ないじゃないですか。その打開策を教えてくださいよ」
意外にも真剣に食い付いてくる拓人に、泰騎は頭を掻いた。
「ワシから教える事はねぇって言ったじゃろ? こればっかりはマニュアル動作じゃどうにもならんよ。実戦積んで動けるようにならんと」
拓人が小さく、これだから天才は……、と溢す。それを聞き逃さなかった泰騎は、金髪で目付きの悪い和装呪禁師を思い浮かべ、深く溜め息を吐いた。
「言うとくけど、ワシは“天才”なんてモンじゃねぇよ。ただ、運がええだけ。それと、アホみたいに恐ぇ先生に、毎日毎日毎日毎日、アホみたいにズタボロにされて、“どうすればええか”が分かるようになっただけ」
と肩を竦めてから、目の前の金髪の少年に向かって言う。
「あとな。自分の体質の所為で苦しんどる奴を、ずっと隣で見てきたワシから言わせてもらうとな……」
泰騎の口から、一層重い息が吐き出された。唸り声も混じっている。
「拓人の親父さんじゃって、天才なんてもんじゃねぇよ。言うなら、災難の方の“天災”じゃわ。それにな、拓人はやたら卑屈になっとるけど……」
“卑屈”と言われた拓人は――図星なだけに――反論出来ずに押し黙った。
拓人の反応とは対照的に、泰騎はにっかり笑う。
「“努力が出来るんも才能の内”ってな。努力せん天才より、努力する秀才の方が、絶対強うなるよ」
また鬼ごっこしような! と拓人の背中を叩くと、泰騎は鼻歌を口ずさみながら格技場から出ていった。
◆◇◆
外で待機していた潤に、泰騎は上機嫌で近付く。
「ところで、何でワシに電話したん?」
「翔が思いの外手強そうでな。一週間、泊まり込みで何とか基礎を作ろうかと……」
「はぁあああ!?」
数秒前までのご機嫌っぷりを吹き飛ばし、泰騎は手をわなわなと震えさせた。
「な、何……ちょ、ええ?」
現れてから、常にどこかチャラついた雰囲気を纏っていた泰騎の急な慌て振りに、近くに居た拓人は呆気にとられている。
その横では凌が口元を引き攣らせて、目を瞬かせた。
潤は、変わらぬ表情で言葉を続ける。
「だから、取り敢えず一週間泊まり込みで……。ああ、事務所の仕事は倖魅にデータ化してパソコンへ送ってもらうから大丈夫だ。お前の負担にはならないように――」
「違……そうじゃのうて、泊まり込みなん? 日中、《P×P》の事務所には来んの?」
潤が、こくりと首を縦に下ろす。
「まぁ、呼び出されれば戻るが……交通費も掛かるし、契約期間中はこっちに居る方が都合がいい。お前が中に居る間に部屋の交渉もしたし、突貫だが訓練場の手配もした」
「相方に相談もなしに……。いや、そんな急を要するほど酷ぇって事なん? あの朱雀の坊っちゃん……」
泰騎はある種の驚きを滲ませた眼で、翔を見た。呆れて、絶句するしかない。
山を半分吹き飛ばす力を制御出来ない人物が、街中で日常生活を送っているのだ。巨大な不発弾がその辺を彷徨いているようなものだろう。
となれば、世間の平和のために、泰騎も首を縦に振るしかなかった。




