第二十話『家庭教師』―4
格技場の外からは中の様子が見えないため、体感時間が長く感じる。そんな中で、そわそわと落ち着きがないのは凌のみ。
深叉冴は鼻歌をハミングしながら空中を漂っている。
ハラハラと格技場を見ている凌に、見かねた拓人が苦笑した。
「凌、潤さんなら大丈夫だから落ち着けよ……」
「何で大丈夫だって分かるんで…………、分かるんだよ」
タメ口に言い直した凌は、少し口を尖らせている。
大人びた容姿の割に、子どもっぽいトコもあるんだな。と拓人は心中で微笑した。
しかし、表情は苦笑いのままだ。
「まぁ、なんつーか……。今の潤さん、オレが知る限り一番強い力で護られてるみたいだからなぁ……」
拓人の言葉の意味が分からず、凌も口を尖らせたまま眉根を寄せた。
そんな事を話していると、“ズンッ”という地底から轟くような低音と共に、格技場が僅かに揺れた。
「おぉっ。翔の奴、自力でこれだけの放出を!」
深叉冴は感動の余り涙ぐんでいる。因みに、深叉冴にも中の様子は見えていない。
程なくして、格技場の扉が開いた。それと同時に、結界も効力を失う。
出てきた翔の服は所々煤けている。
潤は相変わらず白い肌で、汚れひとつ付いていない姿のまま現れた。そんな潤だが、神妙な顔で言った。
「拓人。翔は普段、朱雀の力に関してはどれくらいの操作力なんだ?」
拓人は少し考え、言葉を脳内で整理してから、告げる。
「翔は、『あれを燃やせ』っていう感じの、ザックリした制御しか出来ないです。“場所”は正確ですけど、“規模”はいつもデタラメです。出力の事なんて考えてないんだと思います」
“全力”という要望に応えられなかったわけだ……、と潤は額を押さえた。
潤は額を人差し指の側面で数回叩くと、深叉冴へ顔を向けた。
「深叉冴さん。天馬邸の裏庭に、空きスペースはありますか?」
全く予想していなかった問いに、深叉冴は地へ足をついた。顎に手をあて、短く唸る。
「そうじゃな……二十坪くらいなら……」
「二ヶ月間、お借りしてもいいですか?」
「ああ。好きに使ってくれ」
深叉冴の返事を聞くや否や、潤はスマートフォンを取り出した。
「お忙しいところ、失礼します。天馬家の裏庭に、プレハブ小屋を設置してください。…………はい。……ええ。…………そうですね。お願いします」
会話が終わると一旦スマホを耳から離し、再び発信ボタンをタップ――したところで、潤の動きが止まった。潤の持っているスマホからは、呼び出し音が聞こえる。
ゆっくりと後ろを振り返る潤。呼び出し音が止まり「やっほー。どーしたん?」という声が前方とスマホから、僅かにズレて聞こえた。
潤が通話の終了アイコンをタップしたと同時に、灰色の髪が物陰からひょっこり現れた。
頭にはゴーグル、灰色の瞳に、ミリタリージャケット。
「泰騎先輩? どうして《自化会》に……」
泰騎が《自化会》に用事がある理由に全く心当たりのない凌は、目をぱちくりさせた。
凌の隣に立っている潤の眼は、心なしか据わっている。
「嫌じゃわー。潤ちゃんこわーい。そんな睨まんでや」
泰騎がおどけて見せると、潤は嘆息して質問を重ねた。
「で、何でお前がここに居るんだ?」
「ワシも家庭教師ごっこしに来たんよ」
泰騎はウインクを、拓人に向かって弾き飛ばした。
拓人はきょとんと自分を指差し、
「……え……。いや、オレ、聞いてないですけど……」
「そりゃそーじゃろ。つい二時間前に決まったんじゃし」
頭の後ろで手を組み、泰騎は飄々と言って退けた。
潤は依然、怪訝な視線を泰騎へ送っている。
「ワシの師匠の、大事な大事なご子息じゃで? 悪いようにはせんって」
秀貴に関するワードが出た途端、拓人の顔が曇った。
「…………泰騎さん、ウチの父とどういった関係で……」
「え? あれ? 知らんかった? ワシ、秀貴さんに腹話術習った事があるんよ」
知らねーよ!! 何で腹話術なんだよ!?
拓人はそう叫びたいのをグッと堪えた。
「……そうなんですか」
「いやぁー。嫌がる師匠を無理矢理丸め込んで――」
「ところで、オレの至らない部分って何ですか? 自分で言うのもなんですが、家庭教師を寄越される理由が思い付きません」
普段、自分の事を高評価しない拓人が珍しく反抗的なので、深叉冴は少しばかり驚いた。
泰騎は肘を曲げて両手を上げ、苦笑いだ。
「これな、師匠から頼まれたワケじゃねーんよ。ワシの発案」
拓人の表情が変わらない事を確認し、泰騎は言葉を続けた。
「成山さん家の坊っちゃんは、そりゃあ優秀じゃって、方々から聞いとるよ。足りんのは“運”くらいじゃってな」
「そんなの、どうする事も出来ないでしょう……」
“運がない”。
事あるごとに貧乏くじを引き、損な役が回ってくる。拓人の場合、“巻き込まれ体質”ともいう。
拓人自身、自覚してはいるが諦めている事だ。だからこそ、足りない分を補う為の努力はしてきたつもりだ。
(これ以上、どうしろってんだよ)
拓人は胸中で毒づく。
「ねぇ。ところで、アンタ誰? 潤や凌の知り合いなの?」
険悪な空気を引き裂いた、翔の間抜けな声。
泰騎は、そういや初めましてじゃな、と肩を竦めた。
「すまんな、天馬の坊っちゃん。ワシは《P×P》の所長をしとる、二条泰騎って言うんよ。以後、お見知りおきをー」
にっこり笑って手を振る泰騎に、翔も手を振り返した。無表情だが。
「にじょう……って、潤と同じ苗字なんだね……」
「おおおっ! 翔が! 人の苗字を覚えておるとは!」
「父さんは黙ってて」
感動に打ち震えている深叉冴を、翔は言葉で跳ね退けた。
「泰騎は俺の義兄でもある」
潤の答えに、翔は潤と泰騎を見比べ、眉間に皺を作った。
「似てないね」
「血縁はないからな」
俺と同じだ……。と瞳を輝かせた翔だったが、泰騎は不満そうな表情で会話を聞いている。そんな泰騎に気付いた凌が、翔を二人から引き離した。
「泰騎先輩は、潤先輩の相方だ。つまり、翔や拓人と同じ関係!」
だからって、何で凌が怒るの? と翔がむくれたのも、凌が手で顔を押さえて制した。
そこから更に、翔の両肩を引いて、拓人が翔を下げる。
「翔は知らないだろうけど、《P・Co》の社長の義兄さんでもあるからな」
話が進まない事に嘆息しつつ、拓人は翔に言った。
翔は呑気に、じゃあ潤もお義兄さんが二人居るんだ、などと呟いている。心なしか、瞳の輝きが増したような気がしないこともない。頭の触覚は、確実にピコピコと動いている。
「あー……で、その《P×P》のエリート様が、搾りカスみたいなオレに何をご教授してくださるんですか?」
拓人に問われ、泰騎は両手をヒラヒラと振った。
「そんな卑屈にならんでや。まぁ、つってもワシは人に何か教えるんは苦手じゃからな。『教える』なんて烏滸がましい事は言わんよ」
苦笑する泰騎は変わらず緊張感がなく、拓人の苛々は募るばかり。
「白状すると、ワシの相方が家庭教師やるなら、ワシもやろかなーって思っただけなんじゃけどな。ワシ、“教師”ってガラじゃねぇけん」
「結局のところ、泰騎さんは何がしたいんですか?」
この場に居る全員が思っている事を、拓人は率直に訊いた。
深叉冴は翔の頭をわしゃわしゃと撫でて鬱陶しがられ、凌は潤と顔を見合わせて呆れ顔。拓人はいい加減、帰りたそうだ。
「ちょいと、ゲームをしようで」
拓人のうんざりとした顔が、見る見る渋面へ変わった。
「ゲーム……ですか?」
意味が分からない、といった表情の拓人に、泰騎は人差し指を向けた。
「そ。拓人に足りんのは“運”ちゅーたけど、運なんざどうにも出来んからな。それを補う努力も、十二分にしとるじゃろ? 手のひら見たら分かるわ」
言われて、拓人は自分の手のひらに目を落とした。消えかけのものから最近のものまで、日常生活では出来ないような場所に、血豆の痕がある。
横から覗き込んだ翔が、これシリンダーに挟んだヤツだね、と言いながら、硬くなった皮膚を指で突いた。
「となれば、あとは実戦経験を積むだけじゃ。危機回避能力を高めるんには、実戦が一番じゃで」
腕を組んでにっかり笑う泰騎に、一理あるな……、と拓人は表情筋の力を抜いて泰騎を見た。
「具体的に、何をするんですか?」
「鬼ごっこ」
少し穏やかになっていた拓人の眉間に、再び皺が出来た。




