第二話『召集』―1
某日、午前九時。
《自化会》本部『会長室』。
部屋に入って左手側にテーブルとソファーが置かれており、入り口の正面には会長席がある。
何の変哲もない、只の机と椅子だ。
会長席の正面に立っている、三十代半ば程に見える青年。
濃い茶髪に、濃い茶色の瞳。
顔立ちは整っているのだが、口と顎の間に小さな傷跡があり、紺色のスーツを身に纏っている。
彼は会長席の椅子に座っている人物に、控えめに意見を述べた。
「会長。西日本の件は祝に任せた方が良かったのでは? 出身地にも近いですし……」
席に座っているのは、黒いスーツジャケットに白のワイシャツ。
そして黒いネクタイと、黒いパンツスタイルの男だ。
座っているので全ては伺えないが、身長は高そうだ。
朗らかな笑みのまま、あんぱんを口へ運んでいる。
《自化会》会長、嵐山臣弥。
黒い髪は特徴のない形に切り揃えれており、黒い目も標準的な形をしていて特に際立ったところはない。
そんな彼は、あんぱんを口から離して、正面に立って困り顔を向けている青年に視線を向けた。
人差し指を振りながら、笑い掛ける。
「ふふふ。祝くんは駄目ですよぉ。彼なら、喜んで行ってくれるでしょうけどね? だから駄目なんです。それより、滝沢。ヒデとは連絡が取れましたか?」
少し間延びした語尾の丁寧語で、臣弥は滝沢に別の話題を振る。
すると滝沢は、渋って目を逸らせた。
「いえ。秀貴さんは携帯電話も所持していませんし……レーダーにも映りませんから。まだ……」
臣弥は、その返事が当然だとでも言うように笑って見せた。
「私もそろそろ動こうと思っているんですけどねぇ。拓人くんに訊いても『オレが知るかよ』って言われましたし」
聞いた滝沢が、眉根を寄せた。
「会長。会長は子どもたちに甘すぎると思うのですが。再教育も視野に入れられた方が良いのでは……? 特に拓人は……その……」
おずおずと言葉を濁す滝沢に、臣弥は苦笑する。
「うぅーん。拓人くんには大分嫌われていますからねぇ。でも、良いんですよ。彼はそれで。それに、この組織は絶対王政的なものでもなければ、宗教的なものでもないんですから」
もっと言えば、私が会長である必要もないんです。と、笑ってあんぱんを口へ入れる。
滝沢が脱力して肩を落とした時だった。
木を叩くような音が廊下から聞こえ、程なくして――大きな音を響かせて、入り口のドアが勢いよく開いた。
癖のある黒髪に赤眼の少年――髪色を除き、姿だけは翔と瓜二つだ――が、鼻息荒く臣弥を睨んでいる。
右襟を前にした黒い和装に、足元は黒い足袋と鼻緒の赤い、黒い下駄。半泣き状態で。
空気が摩擦音を起こす程の勢いで人差し指を臣弥へ向けると、唾を飛ばしながら大声で叫んだ。
「臣弥ぁぁぁあああ!! お主、儂が大切に取っておいた林檎チョコを食いおったな!?」
「あぁー。アレ、貴方のだったんですかぁー。名前、書いておいて下さいよぉ」
臣弥ののんびりとした声に、黒髪の少年は顔を真っ赤にして頭から湯気を出す。
「以前そう言いおったから、書いてあったであろうが! 『見えなかった』とは言わせぬぞ!」
怒りに震える人物を、臣弥は「元気ですねぇ」と笑って眺めている。
滝沢は二人に挟まれ、おろおろと目を左右に動かした。
「み、深叉冴さん、そんなに怒らなくても……また買えば良いじゃありませんか……」
深叉冴は涙の浮かんだ目で滝沢を睨み付けると、会長席に向かって大股で歩いた。
必然的に、会長席の正面に立っている滝沢と被るわけで――
「滝沢、お主、どちらの味方だ? 大体、お主が見張っておらぬから、こいつが好き勝手ほっつき歩いて、余計な事をするのであろうが!」
「うっ、いや、しかしですね……」
「口答えするな! お前が! 甘やかすから! こいつが調子に乗るんだ! そして、儂の林檎チョコが犠牲になったのだぞ!?」
大声でがなり立て、だっ――っと一気に会長席まで走ると、深叉冴は会長席に突っ伏した。
「最後の一個だったんだぁぁあああ!! ばか! 臣弥のばかぁぁああ!!」
号泣。
臣弥はあんぱんの最後のひと口を飲み下した。
眉を下げて深叉冴の頭を撫で始める。
「はいはい。すみませんでした。貴方のリアクションが面白くて、ついつい。ほら、口調が昔に戻っていますよ? 代わりに何か買ってきてあげますから。ね? 機嫌直して下さいよ」
鼻をすすりながら、深叉冴が臣弥を睨む。
「臣弥。今度はお前が死んでみるか?」
「いいえ。遠慮しておきます」
臣弥は両手を上げ、視線を逸らせた。
だがすぐに「あ」と声を漏らし、深叉冴へと向き直る。
「そうだ。ミサ、ヒデを探してきてくれません?」
「ヒデ? あぁ。あやつ、また放浪しておるのか。まぁ、見付けてやれぬ事もないが……」
言いながら、深叉冴は意地悪く口角を上げた。
「林檎チョコと林檎飴を、各十本ずつ用意して貰おうか」
「はい。了解しました。お昼までには用意するんで、宜しくお願いします」
深叉冴は満足そうに息を吐き頷くと、会長席となっている机に腰を下ろした。
臣弥に背を向ける形で。
卓上には、パン屋の袋と、ストローの刺さったコーヒーの紙パックしか乗っていない。
深叉冴は腕と脚を組み、首を捻って臣弥を振り向く。
「しっかし。最近は何かと物騒だからな。お主も気を付けるんだぞ?」
「ふふ。有り難うございます。大丈夫ですよ。秘書が優秀なので。ね? 滝沢」
話を振られ、滝沢が体を強張らせる。
先程『ろくに見張っていない』だの『甘い』だのと怒鳴られたばかりなので、胸が張れない。
取り敢えず、滝沢は苦笑いでその場を切り抜けた。