第二十話『家庭教師』―2
庭木にとまったり戯れたりする雀の鳴き声で目を覚ますと、翔はぼんやり天井を眺めた。
百舌鳥の寒太が額に降りてきて、翔は顔をしかめる。尾羽が――決して高くはない――翔の鼻頭をくすぐったからだ。
『翔、今日は体育があるぞ! 体操服忘れんなよ!』
寒太はチュンチュン鳴いて告げると、専用の出入口から出ていった。
翔も起き上がり、朝の支度を始める。何て事はない、いつもの朝の光景だ。
この日は火曜日だった。
午前は居眠りしつつも、全ての授業に出席。提出課題は忘れていたが、最終提出日までに凌に教えてもらえばいいや、と勝手に決めて乗りきった。
他にも忘れている者が多数いるので、担任も気にしていない。
午後イチの授業は体育。ふたクラス合同授業だ。準備体操の代わりに、校庭を一周走ってから授業開始となる。
因みに点呼は、終了五分前に集合して行う。なので、授業中サボる生徒も多い。
一応、道具の準備などの関係で授業内容は決まっているものの、体さえ動かしていれば、何をしても構わないのがここの体育の授業スタイルだ。
入学以来、翔の友人である幾世界は、八重歯を覗かせて笑った。五歳児のように屈託のない笑みだ。
「翔は何やるの? 先週は光ちゃんを保健室に連れていったりして、バタバタしたよねー」
いつものように、跳ねるような明るい声。
翔は、あれからまだ一週間か、と思い返した。
「あっ。そーいえばさ。あの日、商店街で拓人のおじちゃんを見掛けたよ!」
界が出会ったという直前まで秀貴と同じ空間に居た翔は、ふぅん、と喉を鳴らす。
翔の淡白な反応はいつもの事なので、界は気にしない。
「おじちゃん、ちょーっと目付き悪いけど、いっつもピカピカしててキレイだよね!」
「あー……界は秀貴の周りにある電磁波も視えるんだっけ……」
類は友を呼ぶ――のかどうかは分からないが、界は“色々視える”部類の人間だ。とはいえ、視えるだけ。
除霊が出来るだけの力は持っているものの、界は霊を祓うより、霊と仲良くなるタイプの人間だった。
だからか、人間社会に今一つ馴染めていない翔とも仲良くやれている。
「すっごくピカピカのキラキラだけど、いっつも寂しそうなんだよね。あ、でもそれは拓人もかぁー。親子って、そーいうトコまで似るのかな?」
界は太い眉を寄せて一回だけ、うぅぅん、と小難しく唸ったが、顔を上げたときにはいつもの笑顔だった。
翔より背の低いその少年は、大きな眼を瞬かせて言った。
「で、翔は何やるの? 今日はバスケか卓球だって!」
「……それなら、卓球かな……。ルール知らないけど」
界は、おれも知らないから大丈夫! と、よく分からない励ましの言葉を翔へ送った。
翔はとにかく瞬発力に欠ける。そんな翔に、至近距離から高速で飛んでくるピンポン玉が、打ち返せるわけもない。
体育館の二階で卓球をしている翔だったが、向かってくるピンポン玉を無視して、ふと下を見た。
女子が数人、ボールを持ち出してバレーボールをしている。その中に光の姿がある。
両腕を揃えてボールをカットしている姿を見て、翔は「何で腕が折れないんだろ……」と真顔で考えていた。あんな勢いのボールが当たったら、自分なら確実に骨折するのにな……、と。
「むふふー! 翔ってばホントに光ちゃんの事好きなんだねー!」
さっきからずっと見てるー! と、界は卓球のラケットで翔の背中を小突いた。
「でもさ、拓人と景がラリー続けてて暇だから、おれの相手してよねー!」
「だって界、全力で打ってくるんだもん……」
界の全力の球は、バウンドする事なく真っ直ぐに向かってくる。背後にあるネットのお陰で一階への落下の心配はないものの、打ち返すのは困難だった。
しかも、二人ともルールを知らないので卓球なのかどうかも怪しい。ただのピンポン玉の打ち合い、ともいう。
幼児にピンポン玉とラケットを渡したなら、こういう状態に陥るに違いない。
「界、相手してやるからこっち来い」
いつの間にか景とのラリーを終えていた拓人が、界を呼んだ。翔と界の様子を見かねたらしい。
「じゃあ翔さんは僕とやりましょうよ」
景が爽やかな笑顔で、翔の向かいに立った。
そんな景に、翔が頷く。
「ゆっくり打って。界の球速すぎて、見えても打てなかった」
少しむくれている翔に、景は苦笑混じりで了解した。
景は翔の要望通り、優しく球を打って速度を落とし、ラリーを続ける。バウンドしない球も、丁寧に打ち返している。
「今日は潤さんが来るんですか?」
火曜日の放課後には凌の家庭教師が入っているが、今日は《自化会》本部の格技場で潤と会う約束をしている。
翔はぎこちないフォームで球を打ちながら、小首を傾げた。
「今日って、二人とも来るのかな……? 凌は俺の勉強を見てくれるんだ」
「そういえば雅弥さんから教科書の事を訊かれたんで、全部リストアップして教えておきました」
今頃凌君、頑張って読破しているはずですよー。と景は笑う。
「……日曜に家庭教師が決まったのに、もう読み終えてるの? すごいね」
「その、すごい事をやっちゃうのが《P×P》ですよ。そんなすごい凌君に勝ったんですから、翔さんもすごいですね」
低速ラリーを行いながら、景は穏やかに微笑んでいる。
眼鏡の奥にある顔が康成にそっくりだな、と翔は思った。だが、翔にとってそれ以上に気になる事が……。
「何で凌は“君”なのに、俺は“さん”なの……?」
またしてもむくれている翔を相手に、景は愛想笑いで乗りきった。




