第十九話『天神と虎』―3
◇◆◇
マヒルとイツキが会議室へ到着した頃――。
体育館裏。
男女間で告白が行われているわけでもなければ、いじめが行われているわけでもなければ、喧嘩が行われているわけでもない。
高く伸びた雑草が生い茂っている。その中で、溜め息がひとつ。
「決起集会っていうから、どんなものかと思って身構えたけど……何だったんだ、あれ」
黒髪で長身の青年は、神妙な顔で手のひらサイズのタブレット画面を、スワイプしている。タブレットに映っているのは、先程の決起集会の様子だ。
青年がタブレットを、白いオーバーオールの胸ポケットに仕舞い込んだ瞬間――、背後で草同士の擦れる音がした。
「誰か居るのか?」
男が、草を掻き分けて青年の様子を伺っている。
青年は慌てる様子もなく、申し訳なさそうに笑った。
「すんませーん。トイレまでもたなくって。この事、誰にも言わないでくださいね」
ガサガサと雑草の中から出てきた青年に向かって、男が首を傾げた。
「見ない顔だな」
青年は、えー? と、男と同じ方向へ首を傾げて見せた。
「ヤだなぁ。どこにでも居る、平凡な顔ですよ。ほら、早く行かないと。もやし炒め、食いっぱぐれちゃいますよ」
青年は男の背を押して食堂の方へ促すと、自分は反対方向へ向かって歩き出した。
◇◆◇
《天神と虎》は、世界平和を望む団体であり、その思想に賛同した者であれば、誰でも入団が可能。就寝時以外は、各々定められたオーバーオールの着用を義務付けられている。
団長である、ガトウ・マヒルの言う事は絶対であり、逆らう者は相応の罰を受ける。組織への裏切り行為は、証拠さえあれば銃殺刑だ。
何故そんな狂気じみた組織に入団者が居るのかといえば、皆、宙に浮くマヒルに神秘的な何かを感じ、神のようにでも思っているのかもしれない。
「――っていう、一種の宗教団体みたいな組織ですね。ある種の、狂酔者の集まりだと思います」
タブレットの画面に向かって、黒いロングTシャツ姿の尚巳は言った。
つっても、銃殺刑にはちょっと引きましたけど。と、苦笑いだ。
あの場合、頭を撃ちゃ殺せたのにな。とは、思いこそしたが、口には出さなかった。
脱いだ白いオーバーオールをボストンバッグに押し込むと、尚巳はレンタサイクル印のシティーサイクルに跨り、山から下りて行った。
タブレットの通信機能は、オンのままだ。バッグのファスナーの隙間に挟まれた状態で。
尚巳はワイヤレスイヤホン越しに音声を聞きながら、続けた。
「ところで社長。今、どこに居るんですか?」
『神奈川だよー。これから、東京に帰るんだ。あ、そうだ』
一度、画面からフェードアウトした雅弥が画面の中へと引っ張り出したのは、抵抗しまくっている、凌だ。腰辺りまであった白髪は、肩の上で切り揃えられている。
キッ、と止まる自転車。ブッ、と吹き出す尚巳。堪えきれず、そのまま笑い出す。
通行人が不思議そうに目を向けながら通過して行くが、今の尚巳の視界には入っていない。
ヒィヒィと、ひとしきり笑うと尚巳は、はぁ、と息を吐き出し、収まりきっていない笑いを噛み殺しながら、画面向こうの凌を指差した。
「盛大にイメチェンしたんだな。失恋か?」
『何とでも言え……』
むすりと顔を背ける凌に対し尚巳は、両手を上げた。
「あー、笑って悪かったって」
緩んでる口元で言われてもな、と凌は未だに不貞腐れている。
尚巳は再び、自転車のペダルに足を掛けた。自分の住んでいる街よりは開けた空を見上げる。少し肌寒くなってきた気もするが、今日のように天気が良ければ、薄手のロングTシャツだけで充分だ。
「っていう事は、仇討ちは成功したのか?」
『失敗だ。ばか』
「は?」
成功したにしては不機嫌だな。とは思っていたけど――と、尚巳は首を傾げた。
凌は『仇が取れるまで、髪を伸ばす』と言っていたのだ。それがバッサリ短くなっているのだから、勝った、と思うだろう。
『切られたんだよ』
凌は相変わらずの顰め面。
状況を察した尚巳は、そりゃお気の毒に、と複雑な笑顔をタブレットへ向ける。
「って事は、一緒に行ってた潤先輩は家庭教師の仕事が入るわけか。そういえば、潤先輩は一緒じゃないのか?」
『潤は泰騎が道中回収して、今頃事務所に帰ってるはずだよー』
画面の外から、雅弥の声が説明した。その様子から、深刻そうな様子は伺えない。
今のところ、事は悪い方向へは向かっていないようだ。尚巳はそう感じ取ったわけだが、自分の相方の表情は暗い。父親の仇に負けたのだから当然か。
それにしても、凌の表情には違和感がある。落ち込んでいるというより……、
「何をイラついてるんだ?」
『凌、火曜日の夕方から勉強の家庭教師をする事になったから』
答えたのは、またしても雅弥。
だが、尚巳は全く気にせず聞き入れた。《自化会》に居た尚巳は、凌の父親の仇――翔の事を、“見掛けた事がある”程度には知っている。翔は尚巳を認識すらしていないだろうが。
(あの坊っちゃん、物覚えが悪いって聞いた事あるなー)
声に出さず凌に同情すると、尚巳はひと言「がんばれー」と声を掛けた。「んじゃ、おれは今日中には帰――」と言い掛けたところで、赤信号。
博多駅が見えてきた。
「土産、何がいい?」
問うと、凌と雅弥が声を重ねて言った。
『辛子明太子』
尚巳は苦笑混じりに了解すると、レンタサイクル店へ向かった。
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