第十九話『天神と虎』―2
プレイルームへ向かう途中でも、団員たちとすれ違う。
この夫婦の肩車移動は、組織内では名物のようなものだ。「マヒル団長、かわいー!」やら「イツキ様かっこいー!」やらと、黄色い声が飛び交う。
ある者は携帯電話などで写真を撮り、ある者はマヒルへ飴を献上した。
マヒルは棒付きの渦巻きキャンディーを舐めながら、団員たちに手を振って、声援に応えている。
さながら、凱旋パレードだ。
一見すると仲のよい父と娘のように見える二人。世界征服を目論んでいるようには、到底見えない。
イツキが腕時計で時間を確認し、マヒルの足首を優しく叩いた。
「マヒル。このままじゃ幹部会議に間に合わない。少し走るから、振り落とされないように気を付けて」
「分かった」
マヒルはイツキの背中まで降り、両腕と両脚でイツキの胴体を固定した。
そこからは、一瞬だった。あるいは三秒程掛かったかもしれないが、一瞬のようなものだ。
一階に居た彼らは、三階に移動していた。小学校だった時の名残で、“職員室”と書かれた部屋の前に、イツキが立っている。
背にはマヒルがくっついて……、
「あああああ!!!」
絶叫。
イツキの背中から飛び降りても尚続く叫び声。
「ど、どうしたんだい?」
狼狽えるイツキ。
「飴が吹っ飛んだぁぁあああ!!!」
マヒルの手の中には白い棒。先端に、飴の欠片が少しだけくっついている。それも、ポロリと落ちてしまった。
わんわんと泣き喚く声が廊下に響き渡り、イツキは「ごめんよぉ……」と、わたわたしている。
ガラッと、職員室の戸が開いた。
「あー! イツキ様がボスをイジメてるー!」
いーけないんだー、いけないんだー! と囃し立てる、ベージュベースで毛先がピンクの巻き髪女。マヒルと違い、ばっちり化粧をしている。
着ている服は、ピンクのオーバーオール。片方の肩紐を落としていて、胸元には缶バッジが数個くっついている。その横には、星の刺繍が五つ。
「ミコトー!」
わぁ! と巻き髪女に駆け寄るマヒル。
よしよし、とマヒルの頭を撫でる巻き髪女。
「はい。グミあげるから、泣き止んで」
オーバーオールの胸ポケットからグミの袋を取り出して、マヒルへ差し出す。
マヒルはまぁるい眼を輝かせ、グミをみっつ口へ放り込んだ。幸せそうに噛みしめている。
「ミコト、ありがとー!」
喜ぶマヒルの姿は中学生ですらなく、小学生のようだ。
ミコトと呼ばれている女は、毛先がピンクの巻き毛を揺らして笑った。そして、ぬいぐるみを抱くようにハグ。更に頬擦り。
「ボス、ギャンかわぁあああ!!」
「ぉお? どうしたんだミコト。ちょっと苦しいぞ」
ぎゅうぎゅうと締め付けられた拍子にグミが口から飛び出しそうになり、マヒルは慌ててグミを噛み締めた。
口の中いっぱいに甘味とほんの少しの酸味を広げ、ご機嫌のマヒルは、“職員室”もとい、“幹部室”へと跳び込んだ。
「よっしゃお待たせ! 幹部会議を始めるぞー!」
右腕を上げ、ブンブン振り回して会議開始の合図をする。そんなマヒルを、イツキは抱え上げて、幹部室前方にある机の上に下ろした。勿論、靴は脱がせてある。
「資金不足で、今日も夕飯はもやし炒めなんだ」
決起集会に出席していなかった幹部たちに、他の団員に伝えた事を明かす。ただ、マヒルに決起集会の時のような覇気はない。
しょぼんと頭を垂れ、マヒルは教卓の上にあぐらをかいた。両膝に手をつき、大きな溜め息を吐き出すと、顔を上げる。
ぽつりと、
「バイトでもすっかなぁー……」
その言葉に、イツキを始め、幹部たちは焦りを見せた。
座っていた面々が椅子を跳ね退けて立ち上がり、声を上げる。
「だめだよ! ボスがバイトなんて!」
「部下への示しがつかない!」
「誘拐でもされたら、いけんすっとさ!」
「つっても、世界を征服する前に餓死しちゃどうにもなんねーしなぁー……」
ううんと唸って思案するも、マヒルは腕を組んで左右に揺れ動くのみ。良案は浮かばない。
「だぁいじょうぶだっふぇ! 《自化会》を傘下に加える事が出来れば、資金不足の問題も解決するっふぇ!」
能天気に言い放ったのは、胸元に五ツ星の並ぶ黄色いオーバーオールを着た青年。短く切られた髪は黄金色で、肌は地黒なのか褐色に近い。
何故かカレーを口へ掻き込んでいる。食事中でも、両手には黒い手袋をしたままだ。
「って、オイィィ!! ゴロウ手前この野郎!! 何でオメーは一人でカレー食ってやがんだ!! 私にも寄越しやがれ!!」
マヒルがあぐらをかいたまま、ビシッと人差し指を向けたのと寸分違わず、『ゴロウ』と呼ばれた青年は皿の上を綺麗に平らげた。カランと軽い音をたて、プラスチックのスプーンが白い陶器皿の上に放られた。
「ゴチ!」
“ごちそうさまでした”の超短縮形を叫んで手を合わせるゴロウは、その場の視線を一身に集めている。
そんな事には気付かぬ振りをして、ゴロウは白い皿を手袋越しの指先に乗せて回し始めた。
「日雇いバイトで良い仕事があってさぁー」
「はぁ? アンタ、バイトなんてしてたの!?」
ミコトが目を丸くする。
「だってさぁー。そこら辺の組織を潰したところで、手に入れた金品は《天神と虎》の資金に回さなきゃならねーしさぁ。オレだって、自分の小遣い欲しーしさぁー」
と、“四天王”の一人が愚痴を溢している横で、「オイもー」と手を上げる、赤いオーバーオールの男。胸元には、やはり星が五つ並んでいる。オーバーオールの色は鮮やかな赤だが、髪色はワインレッドのように深い赤色をしている。
「オイは、路地裏でカツアゲしちょった高校生をシメくり上げて小遣い貰ったちね」
「てめぇもカツアゲしてんじゃねーか!」
マヒルのツッコミが突き刺さるも、赤いオーバーオールの男はきょとんとした。
そして、青いオーバーオールの男も口を開いた。中肉中背。それなりに整った顔をしている。口角をニヒルに上げて、吐息を漏らす。
長い前髪をパサリと掻き上げたが、手が離れた髪は、またパサリと顔に掛かっている。
「ボクは夜の街で稼ぎまくってい――」
「あー、私もバイトすっかなぁー」
青いオーバーオールの男の台詞を全て聞く事なく、マヒルは先刻と同じ言葉を呟いた。
ダルダルモードな会議の中、イツキだけは真面目に皆の話を聞いている。そんなイツキが、そういえば、とマヒルに話を持ち掛けた。
「さっきの集会なんだけど、ネズミが一匹、迷い混んでいたみたいだよ」
ネズミとは、言わずもがな侵入者の事だ。
「何で捕まえねーんだ!」
血相を変えたマヒルに、イツキは眉をハの字に下げた。
「あの人数だし、他の団員を巻き込みそうで――」
「捕まえれば、夕飯に出来たのに!」
…………ん? と、その場の空気が固まった。
マヒルはその空気に気付かない。
ネズミも大事なたんぱく質だぞ! などと拳を突き上げている。
「ボスぅー。イツキ様が言ってる“ネズミ”っていうのは、侵入者の事だよー」
たまらずミコトが、手をメガホン代わりにして告げる。
マヒルは、ハッとして顔面を熟れた林檎のように赤くした。
「わわわ分かってんよ! ジョーダンだよ! ボケただけだっつーの!」
教卓の上で地団駄を踏みながらぐるぐる回っているマヒル。そんなマヒルが落ちないように、両手を胸元で開いて構え、そわそわしているイツキ。
マヒルが少し落ち着いてから、イツキはにっこり笑って言った。
「大丈夫だよ。害があるようなら、誰であろうと、僕が何とかするから」
マヒルは、イツキかっけぇー! と、イツキの両腕の中に飛び降りる。
イツキ様ったら、相変わらず王子様だねぇー。とミコトはニヤニヤしながら頬杖を突いた。見た目はヤクザなのにねぇー。とも付け加えて。
「あと、資金不足に喘いでいるんだからさ……銃殺刑はやめないか? それも僕が――」
「駄目だ!」
マヒルは鋭い声で以て、イツキを制す。イツキは何故かと、首を捻った。
「銃殺刑は派手でかっけぇからな! 花火みてぇだろ?」
子どものように屈託のない笑顔。
場に居る全員がこの笑顔に絆され、反論する者は存在しない。
イツキは、花火……? と首を傾げたが、マヒルが笑っているので、すぐに微笑みを取り戻した。
《天神と虎》の幹部会議とは、往々にしてこんな感じで終わりを迎える。