第十九話『天神と虎』―1
《天神と虎》。福岡県を拠点とし、世界征服を目論む組織らしい。
散々「頭がヤバい」と馬鹿にされているわけだが、当然、当事者たちは「正常だ」と思っている。頭領の唱える思想に賛同し、頭領を慕い、崇拝している。それが《天神と虎》の実態であり、現状である。
雅弥の言っていた言葉を繰り返すなら「三百人の、頭のヤバい奴ら」の集まり。
本人たちにとっては、「崇高なる意思の元、それを遂行し、この世界を守る自警団」。
誰かの正義は誰かの悪であり、誰かにとっての善意は誰かにとっての悪意である。誰かにとっては全く理解の出来ない思想でも、誰かにとってはそれが生きる為の全てだという場合だってあるわけだ。
これは、なかなかに極端な例といえる。
ここは田舎の山中。山をひとつ越えれば大きな街があるが、その為に廃校になった小学校。校庭も体育館もそのまま残っている。そんな体育館の中では、決起集会が行われていた。時折聞こえる、地響きを伴うような叫び声が、中に居る人物たちの熱意を表していた。
叫び声に負けない、拡声器を通した声も響く。
「この腐った世の中を正す為、世界を支配し、理想郷を創り上げるぞー!」
体育館前方に在る壇上で、スカジャンを着た黒髪のおかっぱ少女が、右手を振り上げる。
この少女、壇上に立っているのではなく、浮いている。
おおおおおおおお!! と、館内が揺れる程の声。その声に気をよくした少女は、再度右手を振り上げた。浮いた体が少し、高度を増す。
「お前ら、今日の夕飯はもやし炒めでいいかぁぁああ!」
おおおお……おぉ? 徐々に弱まっていく声に、少女は半眼になる。口を尖らせ、「んだよ。ノリが悪ぃな……」と溢す少女だったが、咳払いをひとつ。
「あー……。大変残念な事に、今日の夕飯にする筈だったハンバーグをつまみ食いした奴がいる」
少女は右手で、壇上の裾を差した。
臙脂色の幕の間から現れたのは、肉の塊……もとい、脂肪の塊……いや、人のような肉……ではなく、肉の塊ような人間、だ。ムチムチという限度を超えて、ダルダルともいえる肉に覆われた巨体が、プルプルと震える二本の足で歩いている。
少女は言った。
「ひとつ訂正がある。つまみ食いなんて可愛いモンじゃねーぞ! 全員分の肉を食っちまったんだ!」
体育館の中が、激昂の声で満ちた。先程までとは比べものにならない、地震のような怒りの音量が体育館を揺らす。慢性的な資金不足という問題を抱えている組織にとって、食料の独占は裏切り行為に値する。
つまり――、
「死刑だ!」
激昂再び。さっきまでと違うのは、壇上の少女に対する賞賛の声やら、刑執行を促す声やら、歓喜の声やらで満ちている事だ。
群衆の中の誰かが「つか、何であんな肉の塊がここに居たんだ?」とポツリと呟いたが、叫び声やら銃声やらの妨害によって、誰の耳にも届く事はなかった。
そして肉男に向かって放たれた恨みの銃弾は、その肉の壁によって、男の内臓に届く事はなかった。
スカジャンの少女は、ふむ、と顎に手を当て、舞台袖に居る男を手招いた。男に向かって指示を出し、同じ事を、目の前に居る群衆へ告げた。
「死刑執行に失敗しちまったから、こいつは地下牢行きで餓死の刑だ!」
おおおおおおおお!! と、歓声が上がる。疲れたのか、叫びすぎて噎せる声も混じっている。
「しかも、今の銃弾が無駄になっちまった!」
資金不足の組織にとって、しかもこの日本で、銃弾一発がどれだけ貴重か……。詳しい金額を知らずとも、大半の者は「ヤバい」と感付いた。
「っつーわけで、今日の夕飯はもやし炒めだぁああああ! 解散!」
有無を言わせぬ少女の叫び声によって、集会はお開きとなった。
《天神と虎》とは、こんな組織である。
約三百人の組員を束ねているのは、背中に虎の刺繍が施されたスカジャンを着た、黒髪の少女。……のように見える、成人女性。年齢は二十四。顔付きが幼く、化粧も目立たない。髪型がおかっぱで身長が一四〇センチと低いので、中学生に間違われる。
彼女は自分の事をガトウ・マヒルと名乗っている。
その付き人をしているのが、先程壇上の脇で控えていた――現在、肉男を地下へ連行中の男。
ガトウ・イツキ。焦げ茶色の髪を無造作に後ろへ流しており、整った顔がよく見える。ワイルドな髪型とは裏腹に、少し垂れ気味の目尻が優しい雰囲気を醸し出している。
マヒルとイツキは夫婦で、イツキが婿養子。つい数ヶ月前に第一子が生まれたばかりだ。子どもは今、プレイルームで他のメンバーが面倒を見ている。
人も疎らになった体育館。地下から戻ってきたイツキは、心配そうにマヒルに駆け寄った。
「あまり大声を出して、お腹の傷が開いたらどうするんだい?」
「なぁに言ってんだよ。産前産後休んだんだ。今こそ、士気を上げる時だろ?」
イツキは、そうだけど……、と不満そうだが、これ以上食い下がらない。
マヒルは身長が低いため、子どもの安全の為に帝王切開で出産をしている。術後は、それはもう、痛い痛いと喚き散らして大変な有様だった。今はもう、叫ぼうが暴れようが、腹の傷が開くことはない。
イツキは心配性なんだ、とマヒルは口を尖らせた。アヒルのようだ。そのままの口で、イツキに問う。
「ところで、アサとユウはどうなんだ?」
「経過上々。ユウは朝イチで日本を発ったよ。アサも今朝、連絡があって――」
「アサも、ケサ……」
ぷくくと笑うマヒル。何かが彼女の笑いのツボを刺激したらしい。
イツキは、やれやれ、と肩を竦めると、その流れでマヒルを肩車し、体育館を後にした。




