第一話『足音』―4
上級会員の研究室や自室の並ぶフロア。
少し開いたドアの隙間から、僅かな明かりと共にキーボードを叩く音が漏れている部屋があった。
廊下を歩く音は、その部屋の前で止まった。
三度のノックの後、返事を待たずにドアを開ける。
「鍵まで閉めろとは言わないけど、ドアくらい閉めたらどうなんだい?」
ドアを開けて室内へ足を踏み入れたのは、銀髪を後ろへ流したオールバックの青年。
白いワイシャツを着ている。
見た目は清潔そうな好青年なのだが、薬剤のにおいを纏っているので少し臭い。
青年は綺麗な翡翠色の瞳を持っており、身長が高い。
パソコンへ向かっていた部屋の主が、手を止めて気怠そうに振り返る。
黒髪黒目に黒いジャージ姿。
黒いピアスを、両耳や口元に多数付けている。まだ幼さの残る、上がり気味の目元には隈が出来上がっていた。
キャスター付きの椅子が、唸るような音を立てる。
「何や、洋介。仕事の打ち合わせなら後にしてくれや。俺、今忙しいんや」
洋介と呼ばれた銀髪の青年は、微笑を浮かべて肩を竦めて見せた。
「見れば分かるよ。お疲れ様。それから、仕事の話じゃないんだ」
黒尽くめの青年が、眉根を寄せる。
「したら、何の用や。くだらん用事やったら、このウイルス作成とハックの仕事、お前に押し付けたるからな」
「祝。お前が苦労しているのに、僕に出来るわけがないだろう?」
祝のパソコンを覗き込みながら、洋介が嘆息する。
そして、祝へ一枚の紙を差し出した。
数名の顔写真と、文字が記されている。
「今月の死亡者リストだってさ。何か月振りかな? 今回は四人だって。知り合いが居たら、供養に行ってやりなよ」
内容を確認せず、祝は紙を雑に丸めてゴミ箱へ捨てた。
「どうせ《A級》ばっかやろ?」
吐き捨てると、祝は洋介を睨んだ。
「はいはい」
洋介は、やれやれと両手を上げて首を竦めた。
「それより洋介。お前も最近、仕事中あんま調子良うないやん。ま、俺は別に構へんけど。死んだらどないしよもないやん?」
「それはつまり、僕を心配してくれているのかな? あの祝が?」
くすくすと肩を揺らす洋介を、祝が顰めた顔で見上げる。
「勘違いすな。パートナーが居らなったら、俺が仕事出来へんようになるやろ」
「そんな仕事が大好きな祝に、悪い知らせだ」
祝が「は?」と訊き返した。
依然、眉間に皺を寄せている祝を一瞥し、洋介が続ける。
「いや、まだ悪い知らせと決まったわけじゃないんだ。けど、僕は明後日から西日本へ異動になったんだよね」
祝が更に嫌そうな顔をした。
「ほぉ。そらえらい降格やな。俺はそんな無能と仕事しとったんか」
洋介は苦笑いながら「違う違う」と手を払う。
「言い方が悪かった。『出張』だよ。最近、向こうの動きが怪しいらしくてね。視察に行って来るんだ」
「……ふぅん。西日本で《特S》が駆り出されるっちゅー事は、《P・Co》か?」
洋介が頷いた。
《P・Co》。
《Peace Company》の略称だ。
平和を謳う複合企業である。表向きは製薬部門が主となっている、何の変哲もない会社。
裏では――《自化会》と似たような仕事を行っている。
活動内容だけ見れば似ているのだが、個人組織の《自化会》とは違い、《P・Co》は会社であり、政府とも繋がりがある。
規模も大きい。
活動内容も、派手だ。
少しばかり因縁があり、《自化会》とは今までも大なり小なりの追突があった。
但し、今は停戦状態にある。
「流石、西日本出身。よく分かったね」
洋介は感心を含んだ笑みを向けた。
対して祝は、嘆息する。
「別に。俺ら、やたら邪魔者扱いされとるし……あいつら、やっとる事極悪やのに」
「いや、それはこっちも似たようなものだと思うけど……。まぁ、そういう事だから」
苦笑を残して洋介は去って行った。
ドアの閉まる音を背中で聞き届けると、祝はパソコンのキーボードへ再び右手を伸ばした。
(《P・Co》か……。あいつら、数だけは多いからな……)
祝は左手の人差し指を曲げて口元へ当て、少し考えてから、先程ゴミ箱へ投げ入れた死亡者リストを拾い上げた。
皺だらけの紙を開き、息を呑む。
(《S級》が二人……やて?)
見知った顔が、そこに載っていた。
祝は、《A級》以下の人間の顔はろくに覚えていない。
覚えているのは《S級》以上だ。
茶褐色と灰色の髪のコンビ。
灰色の方は、頻繁に髪色が変わっていたのを覚えている。
名前は覚えていないが、書類によると『近江大輔』と『山城勇太』というらしい。
もうこの世には居ないが。
(もし、これが《P・Co》の仕業やったら……うかうかしとられんかもなぁ……)
祝は死亡者リストを再びゴミ箱へ投げ、パソコンの画面へと向き直った。
そして、作業をしていたファイルとは別の画面に切り替えた。