第十八話『拓人と……』―1
太陽がビル群の中へと消える頃――。
「いやぁー。光さんって、本当に可愛いよねー」
洋介は、試験管の中にあるアクアマリン色の液体を眺めながら、鼻の下を伸ばしていた。対して祝は、空のビーカーを指先で突いている。
「お前は千晶一筋やなかったんか?」
祝は、半眼で溜め息を吐き出した。
並んだ試験管には、赤、黄、緑の液体。その横に、白い粉が数種類。乾燥した植物が数種類。要するに、何を作っているのかは分からない。ただ、異臭はすごい。
よく分からない生き物の干物だとか、粉末だとか、薬剤だとかが棚に並び、理科でお馴染みの実験道具から、真空デシケーターや廃液回収容器、遠心分離機、排気ブースなども置かれている。
「『可愛い』って言っただけじゃないか。祝こそ、この部屋は嫌いだろ? なんで居るんだい?」
祝は、くっさいからなぁー、と顔を顰めるも、退室する気配はない。それどころか、空いている椅子へ腰を掛けた。背凭れに抱き着く形で収まると、椅子を数回転させた。
「何か気になる事でもあるのかい?」
洋介が訊ねるが、祝は、んー……、と生返事を返すのみ。更に椅子を回す。
「人形使いの女の事も気になるんやけど――」
予想外の人物が話題に上がり、洋介は手を止めた。後輩の名前を覚えようとしない祝が。しかも、女に興味を持たない――厳密には、男にも興味を示さない――祝が。と思ったが、金髪ピアスの人影が頭に浮かんで、合点がいった。
「ホラー女優みたいだったよねー。ってのはさておき、元相方が睨まれてたのが、そんなに気になるの?」
祝は、またも、んー……、と唸り声を上げ、天井を見上げた。
「拓の、前の相方って……誰やったっけ? って思てな……」
「誰って、君だろ?」
「しゃーから、おれの前や」
手に持っていた道具をひと通り置くと、洋介は作業台の縁に腰を預けた。少し考え、口を開く。
「覚えてないなぁー。秀貴さんの子どもだからって、それなりに目立ってたと思うけど……当時はまだ、あまり話した事もなかったし……」
「それは、拓の事やろ。おれが訊いとるんは、拓の相か――」
「だから、拓人ともろくに接点が無かったんだから、覚えてないってば。まぁ、拓人の相方やってたくらいだから、優秀な子だったんだろうけど……」
食い気味で否定され、祝はぶすっと頬を膨らませて頬杖を突いた。そして、まただんまり。
「今更、何が気になるの? あれからもう、三年近く経つんだよ? 祝はよくやったと思うよ。あんなに荒れてた拓人が、今じゃ良いお兄さんだもの」
洋介はフォローのつもりで言ったのだが、それが祝には気に入らなかった。仏頂面を歪めて、洋介を睨む。
「誰の真似か知らんけど。ありゃ、“良いお兄さん”ぶっとるだけや。それこそ、睨んだだけで人死なせそうな顔しよったくせに、ある日急に……」
はたと、祝が言葉を止めた。顰めた顔のまま頭を抱え、唸る様子を、洋介はさして興味もなさそうに横目で見やった。
洋介の手には、大学ノートが開いた状態で乗っている。
そんな事は――いつもの事なので――気にせず、祝は続けた。
「なんか似とると思うたら……。あいつ。敏晴さんの子どものあの胡散臭い笑顔……、なぁんか既視感が……」
「ふふ。いつも嘘をついている僕と違って、拓人が嘘をついたらすぐに分かると思うんだけどなぁー」
今の彼、自然体だよね? と、洋介はノートに実験結果を記しながらほくそ笑む。何とも胡散臭い笑顔だ。
「お前はそんなんやから、千晶に嫌われるんやで……」
呆れ顔で顔を上げ、祝は嘆息した。
「ふふふ。僕のこの顔は生まれつきだよ」
何故か得意げに鼻を鳴らす洋介に、祝は「顔やのうて、“嘘吐き”っちゅートコやで」とジト目で呟いた。
洋介は、現在の名前こそ“三浦洋介”という日本名だが、ロシア人の父と、日本人の母の間に生まれたハーフである。両親は《自化会》に所属しており、幼少期にはロシアで育った。十歳の時、両親の死を受けて《自化会》へ正式に入会している。その時、日本国籍も取得した。
成人した今では、大学へ通いつつ、科学の中でも化学に特化した設備が整っている《自化会》で存分に実験や研究を繰り返している生活だ。
祝に『仕事のキレが悪い』と言われても仕方がないくらいには、自分の実験室に入り浸っている。祝にとっては、それが面白くない。
洋介からは「祝だって、いつもパソコンと睨めっこしてるじゃないか」と言われるが、そもそも、そのパソコン作業自体が、祝の望むところではない。
祝自身、何故自分が洋介と組んで仕事をしているのか、そう考える事も少なくない。答えは至ってシンプルだ。
“消去法”。
寿途が入会した途端、千晶は寿途にべったり。洋介とのコンビを嬉々として解消し、寿途と組んだ。それと同時期に、翔が入会。癖が強すぎる翔の面倒を見る役を担わされたのが、昔から彼と交流のある、拓人。
そうなると、余り者の自分が、洋介と組むしかなくなる。色々といざこざもあったが、拓人とはそれなりに楽しく仕事をしていただけに、今の生活に納得していない。その苛々が、自分の尊敬する人を跡形もなく消し去り、拓人の手を煩わせまくっている、“気に食わない奴”である翔へ向くのも、仕方がない事なのかもしれない。




