第十七話『赤い女子大生と現役小学生』―3
「こんにちはー。こっちに来る用事があったから、久し振りにやすえさんのお顔を見に来ましたよー」
入ってきた人物たちを見たやすえの目が、パチクリと少しだけ大きくなる。
来店者は三名。ニコニコと笑っている黒尽くめの長身男と、グレーのスーツを着た茶髪の強面男と、白髪の、左目が髪で隠れている若い男。《自化会》での用事を済ませた、雅弥と謙冴と凌だ。
「おやおや、珍しいお客さんだ」
やすえは先刻と似たようなフレーズで客を迎える。ただし、表情は先刻よりはるかに柔らかく、友好的だ。
「謙ちゃん、一段と渋い男前になったよねぇ。おばちゃん、嬉しいよ」
と言いながら、謙冴の広い背中を叩いた。
「謙冴の事を『謙ちゃん』なんて呼べる人、そうそう居ないよー。やっぱりやすえさんは一味違うよね。あ、こっちの子が、ウチの秘蔵っ子だよ。どうどう? イケメンでしょー」
雅弥の手が凌の肩に置かれると、凌は軽く頭を下げ、挨拶を済ませた。
「彼ね、今日、深叉冴君の息子さんにギタンギタンに負けちゃったから、お肉食べさせてあげようと思ってね」
「もう、いい加減そのネタでいじるの止めてください……」
なにやらグッタリと疲れた様子の凌。心身ともに疲弊している様子だが、店内に居る千晶と寿途の存在に気付き、さりげなく姿勢を正した。
雅弥も、派手な赤い頭と、地味な黒い頭に気付いたらしい。笑顔で二人に近付いた。
「こんにちは。千晶さんに寿途君。デート中に失礼するよ」
肉の乗っている網から顔を上げ、千晶が不敵とも言える笑みを雅弥へ向ける。
「あら。《P・Co》の社長さん。相変わらず、全身真っ黒ね。謙冴さんも、ごきげんよう。で、さっき丁寧に挨拶してくれた……えーっと、芹沢くん……だっけ?」
確認の意味で声を掛けられたのだと思い、凌がビジネススマイルで、はい、と答える。
千晶はさほど興味無さそうに「どーも」と返した。寿途も小さな声で、こんにちは、と頭を下げたが、その直後には、焼けた肉を口へ運んでいた。
空いている席はたくさんあるのだが、雅弥は彼女たちのすぐ横の席に座った。生粋の大物なのか、はたまた本当に興味が無いのか……千晶は気にしていない。
「ところで雅ちゃん。臣ちゃんとは仲直りしたのかい?」
水とおしぼりをテーブルに置きながら、やすえが雅弥に問う。
「仲直り? 僕らは元々、喧嘩なんてしていないよ。向こうが勝手に突っかかってくるだけ」
雅弥はおどけて肩を竦めて見せたが、やすえのジットリとした視線が心地悪く、そのまま両手を上げた。
「ごめん。今回の件は、完全に《P・Co》に非があるよ」
「厳密には、服飾部門に……だがな」
謙冴のきっぱりとした訂正に、少しうんざりした様子で凌が頭を垂れる。
「言い返す言葉もありません」
「ところでぇー」
今まで肉――否、肉を頬張る寿途に熱烈な視線を送っていた千晶が、隣の席へ顔を向けた。
「《自化会》の《S級》を二人……殺ったのが十二歳のガキんちょって、ホントなの?」
千晶の目の前に居る“彼氏”が十一歳の“ガキんちょ”だという事には誰も触れずに、話は進む。
「本当だよ。可愛い可愛い、僕の社員さ」
雅弥の返答に「ふぅん」と千晶は、真っ赤に塗られた爪の指越しに雅弥を見た。その手に頬を乗せ、肘を突くと、真っ赤な唇の口角を上げた。
「寿君と、どっちが強いの?」
自分の名前が聞こえ、寿途が肉を咥えたまま顔を上げる。変わらぬ無表情で、「?」だけが頭上に浮いている。
「そうだね……寿途君じゃないかな?」
雅弥は“多分”とも“おそらく”とも言わずに、そう告げた。
千晶は得意げに鼻を鳴らす。
「ふふ。良い返事が聞けたわ。そう。寿君より弱い奴らに殺されたんなら、先は見えてるもの。むしろ、苦しまずに死ねたみたいで良かったわ」
今回の件で死んだ《S級》二人の事を言っているのだと気付くのに、凌は数秒を要した。今まで貼り付けていたビジネススマイルが、落っこちている。
「あの、千晶さん……。踏み込んだ事をお聞きしますが、彼らも貴女の家族のようなものではないんですか?」
他組織の内情に深く関わるべきではない事は、凌も承知している。だが、「しまった」と思った時には既に遅く、言葉を言い終えていた。
凌の言葉に驚いたのは、凌の他には千晶だけのようだ。余程意外だったのか、鷹のような目を数回瞬かせた。
「今、『家族』って言った? 組織の事を? 《P・Co》さんって、もっと冷酷な組織だと思ってたわ。ちょっと驚いたかも」
千晶は落胆の意味を込めて肩を落とし、頬杖を突いていない方の手を払った。
「他の誰がどう思ってるか知らないけど、あたしは組織内の全員を仲間だとは考えないようにしてるわ。確かに、付き合いが長いと家族みたいになるっちゃー、そうだけど……」
後半、言葉を濁した千晶に、寿途は網に肉を乗せながら言った。
「ぼくは、千晶の事も、翔兄さんの事も……《SS級》のみんなや、父さんや、滝沢さん……家族だと思ってる。……ダメかな……」
首を傾げる寿途に、千晶は抱き付く勢いで両手を広げた。テーブルに阻まれたので、その勢いで両手を組むに終わったが。
千晶は先程より幾分か高い声を発する。
「ダメじゃないわよぉー! どう考えるかは個人の自由だもの。寿君ってば、カワイー事言ってくれちゃって!」
うふふあははと笑う千晶に、凌は顔を顰めた。それを見た千晶は、目を細める。
「あー、芹沢君。わざとらしい笑顔より、そっちの顔の方が良いわ。《自化会》の、特に上層部って、嘘嫌いが多いからー。信用を得たいなら、自然体が良いわよ」
千晶が、あたしみたいにね、とにんまり笑う。
「みーんな、嫌いなのよ。裏切りだとか、嘘だとか、偽りだとか。貴方たちだって嫌でしょ?」
「そうですね。オレがどうかしていました。ありがとうございます。ところで、今の話ですが……」
凌は千晶の真似をして、少しばかり意地の悪い笑顔を向けた。
「裏切りだとか何とかってのは、それをした相手をぶっ殺せばいいだけの話……でしょう?」
「あら。案外気が合いそうね。良かったわ。その言葉を聞かなかったら、ついうっかり、あたしが貴方を撃ち殺しちゃってたかも」
「いえ。この業界の基本ですから」
今の凌は営業用の笑顔を向けているのだが、千晶は気にしていない様だ。何やらご機嫌である。
「ま、あたしが芹沢君の事を信用したって、他のみんながそうだとは限らないんだから。ウッカリ殺されないように精々気を付けなさいな」
千晶はそこまで言うと、もうこの話題を終わらせ、寿途へと向き直った。さっきまでの嫌味っぽい笑みではなく、幸せそうな笑顔で。
凌は、昼食である“焼肉定食”を持って来たやすえに会釈し、割り箸を割った。雅弥の前には、茶碗に入った白米ではなく、皿に乗った握り飯が置かれた。
雅弥は手を合わせ、食事前の挨拶を済ませてからやすえへ、柔らかな笑みを向けた。
「これを頂いたら、カウンターの奥へ行っても良いかな?」
「あぁ。何でも好きなの持って行きな」
親指でカウンター裏を差すと、やすえは「ごゆっくり」と言い残して、食器洗いへと戻って行った。




