第十六話『自然と化学の共存を促進する会』―3
そんなこんなで一階の廊下を、何も考えずに歩いていると――格技場の方向から、情けない男の鳴き声……否、泣き声が聞こえてきた。
「朱莉ちゃん、ちょっと待ってくれよぉぉ」
ゴールデンレトリバーのような顔付きをした、でかい図体の金髪少年。服装はTシャツにジーンズという、ラフな格好だ。今は飼い主に置き去りにされた、飼い犬のような表情をしている。
そんな彼の数歩分前を無言で歩いている少女は、口を一文字に噤んで足早に進んでいる。表情は無いに等しいが、強いて言うならば、怒りが伺える。肩まで伸びている黒髪が、身体の動きと連動して揺らいでいる。学校は休みだというのに、どこぞの校章が刺繍された体操服を身に着けていた。
後ろから迫る声を完全に聞こえないものとして、大股で歩いている少女とすれ違う。向こうは祝に視線を向ける事もなく、過ぎ去った。別に、挨拶や会釈が欲しかったわけではないが、無反応にすれ違う後輩も珍しい。あの“生ける陶磁器人形”と称される寿途でさえ――臣弥の躾の賜物か――礼儀は弁えている。
少女を追いかけている金髪の少年は、「あ、祝さん、こんにちは! 失礼します!」と頭を下げてきた。そしてまた「朱莉ちゃんんんー」と、まるでここが断崖絶壁の縁であるかのような声を発しながら、過ぎ去って行った。
祝は二人の後ろ姿を眺めながら、呟く。
「……あいつら、確か……」
翔のグループに振り分けられていた二人だ。と、記憶している。名前は知らない。だが、男の方が、今しがた東陽の言っていた『朱莉』という名を吠えていたという事は、きっとあの二人が『朱莉』と『威』なのだろう。
Eグループに居るのだという事は、何らかの特殊技能持ちだという事は確かだ。ただ、祝の認識では、その表現に少しズレが生じる。
“特殊技能しか、能が無い奴”。それが、祝がEグループに振り分けられた人材に対して把握している事だ。
つまり、言うならば只の“厄介者集団”なのだ。
「……ヒデさんが頭痛そうにしとるわけやわ……」
その秀貴自身も、相当な変わり者に分類されるわけだが。それは取り敢えず思考から外し、祝は太い息を吐き出した。それと同時だ。進行方向から、微かに地鳴りのような音が聞こえたのは。
それは、滝つぼに落ちる水の音にも聞こえるし、草食動物が群れで移動する足音にも聞こえる。どちらかというと、後者が近い。それが、だんだんと近付いてくる。近付くにつれて、廊下の揺れが強くなる。建物自体も揺れているように感じられた。
そして祝は、その現象を引き起こしている犯人を視界に捉えた。緑色をしている。
サボテンだ。
大量のサボテンが、群れを成して廊下を進軍している。先頭のサボテンの棘には、金髪縦ロールのフランス人形のようなものが刺さっている。元は可愛らしい容姿をしていたのだろうが、今は無残な姿となっていた。暗がりで見たなら、ホラー映画のワンシーンのように感じただろう。しかも、人形も一体ではなく数体突き刺さっている。
(サボテン? 確か、この前の会議ででっかいサボテンを見た気が……。でも、あん時のヤツよりかはちっこい気ぃがするな)
祝は眉間に皺を作って、緑の軍勢を見据えた。
推測するに、奴らを召喚したのは、あの金髪だろう。で、刺さっている人形は女のものだ。仮に逆だとしたら……と考えたところで、祝の背に悪寒が走った。
(そらぁ、キモイやろ……)
「っちゅーか、自分の使とる式神くらい、しっかり管理せんかい!」
使役者がどこかへ行ってしまったので、式神本人に怒りをぶつけながら、祝は耳の軟骨に刺している、黒いイヤーカフス風のピアスへ手を当てた。
すると、黒いピアスの表面が光り、金色で“六根清浄急急如律令”と米粒よりも小さな文字が浮かび上がった。そして出てきたのが、宙に浮いたナイフフィッシュ。別名、薙刀鯰、電気鰻とも言う。腹あたりから尾に掛けてある黒い模様が、現在は青白く発光している。
このナイフフィッシュ、名前は“光宮”という。祝の式神だ。深叉冴が「祝の苗字が“安宮”だから、“光宮”にしてはどうか」というノリで言った事で、この名前になったんだとか。
祝は光宮の事を、“コウ”と呼んでいる。
属性は“電気”。普段は専ら、外出時の電子機器の充電に使われている。
いつもは只の電源として使用されている光宮だが、今回は何やら張り切っているらしい。青く光る電気を体に纏わりつかせて、祝の前で浮遊している。
「へいへい。最近は出番あれへんで、すまんかったな。あのサボテン共、しばいたり」
祝が言い終わると同時に、光宮は電光石火の如き速さでサボテンの群れまで飛んで行き、稲妻のように、帯状に放電した。廊下の窓ガラスが振動し、サッシがガタガタと鳴っている。
感電したサボテンは徐々に動きを鈍らせ、蹲るように縮こまっていった。
大方、サボテンの動きが止まった頃――、
「何だか、凄い音が聞こえたんだけど!」
紫色の液体と、ドドメ色の液体が入った試験管を各々両手に持った洋介が、何かを期待しているような眼差しで、興奮気味に階段を駆け下りてきた。
「残念やったな。おれが片したわ」
祝は半眼で言い放つと、サボテンに視線を戻す。
「つっても、まだ消えてへんからな。洋介、何や実験に使いたいんやったら、使ってもええで。使役者はどっか行きよったし」
後半の言葉と被るようにして、洋介が「お言葉に甘えてー」と、動かなくなったサボテンに近付いた。
祝は光宮を消して、欠伸と共に伸びをした。
「っていうか祝、武器とか持ってなかったの? 祝なら、サボテンを切り刻んでステーキにでもしてそうなものだけど」
「んー、ダガーもブーツナイフも部屋やし」
「それ、危機感足りないんじゃない?」
ドドメ色の液体をトポトポとサボテンに掛けながら、洋介は嘆息した。
「いざとなれば光宮が居るからええやん。それより、使役者はどこ行きよったんや。一発かましたらんと気が済まん。あと、あの人形と目が合ったら呪われそうや」
「ふふ。呪禁師さんとコンビを組んでた人とは思えない発言だね」
「拓の使う“呪術”と“怨念”っちゅーのは別モンや」
と言ったところで、サボテンに異変が。
洋介はサボテンの様子を、瞳を輝かせて見ている。祝はそんな洋介に、ジト目を向けた。そんな祝の眼は「何をしよったんや」と言っている。対して洋介はしたり顔で、
「見てれば分かるよ」
と笑った。
深い緑色をしていたサボテンが、腐葉土のような色へと変化した。祝は、先程洋介が『肌の色を黒く変える薬』の話を持ち掛けてきたことを思い出す。
「おれが実験断ったからって、サボテンで試す奴があるか」
「いいだろ別に。それより、ほらほら。実験成功!」
「いや、相手サボテンやからな。人体に使ったら、副作用があるかもしれへんやろ。っちゅーか、お前さっきその薬、飲用やって言うとったやろ」
祝はノリが悪いなぁ、と呟きながら、洋介は紫色の液体をサボテンに掛けた。すると、サボテンは元の色へと戻っていった。
「さっきの音、何だったんだ?」
今度は階段から、クリップで挟まれたコピー用紙の束を持った、拓人が現れた。特に急いでいる様子もなく、紙以外には何も持っていない。
「拓は呑気なもんやな。敵襲とかやったら、どないしたんや」
「洋介の出て行く足音が聞こえたから。お陰で、個人用のレジュメ作り終わった」
言いながら、拓人は折り重なるようになって静止している、サボテンへ目をやった。人形らしきものも、変わらずサボテンの棘に刺さってぶら下がっている。
「これ、威のミドリじゃね? 何で朱莉の人形が串刺しになってんだ?」
「拓、お前、余所のメンバーの名前と所有物まで覚えとるんか?」
信じられないといった様子で眉を寄せる祝に、拓人はきょとんと小首を傾げた。
「名前と、主な武器くらいは……。年に一回、《S級》以上には全会員の名簿が回ってくるだろ?」
洋介は祝と同じ反応をしている。
「覚えたって、一日後にはこの世に居ないかもしれないのに。拓人もよく覚えるよね」
「え、いや、オレ《A級》以上しか覚えてねーけど」
「《A級》なんて三ヶ月に一人は死んでるじゃないか」
下級員を覚えない派の二人は、顔を見合わせて頷き合った。拓人の、そんなに死んでねーよ、という情報は聞こえていないらしい。




