第十六話『自然と化学の共存を促進する会』―2
自室に向かって歩いていると、馴染み深い声が聞こえてきた。その声は歌でも唄っているかのように軽やかで明るく、声を発している人物が上機嫌だという事が伺える。
「寿くぅーん。お昼ご飯は何を食べるー?」
「ぼくは……お肉な気分……」
華やかな声とは真逆の、小さな声も聞こえてきた。
夏風琴鳥のように真っ赤な髪と、同じ色の瞳の女性――《SS級》の紅一点である、荒井千晶。現役の女子大生だ。真っ赤な地に金色で英字の書かれたプリントTシャツと、ダメージジーンズ姿だ。因みに、もう十月も中旬だというのに、Tシャツはショート丈で、臍が出ている。
そんな派手な千晶の隣に居る、声も顔も無機質な黒髪黒目の少年――嵐山寿途。臣弥の養子である。天然ウェーブの髪にも、瞳にも、艶らしい艶は見えない。着ているロングTシャツも黒ければ、穿いている長ズボンも黒い。ただ、肌は陶器のように白い。
こちらも身長差二十センチなので、寿途が千晶を見上げる形で会話を交わしている。
並んだ赤と黒を視界に捉えたが、祝は無視をしようと、視線を壁へ向けた。ただ、それは千晶には無視されなかった。
「何よ祝! 無視する事ないでしょ!? 先輩は立てなさいよ!」
「うっさい! うっざいから早去ね!」
「相変わらず、憎たらしいチビね!」
「はぁあ!? 自分、チビが好きなんちゃうんか!」
「こっちが『はぁあ!?』よ! アンタ、自分が対象に入ってるとでも思ってんの!? マジ意味分かんないんですけど!」
「思とらんわ、ダボが! くっそ寒い事言うなや! 女なんぞ死にさらせ!」
罵声の応酬の中、寿途は黒い瞳だけを左右に動かし、二人の様子を伺っていた。
二人の怒鳴り声が二分ほど続いた頃、寿途は、小さな口を開いた。決して大きくない声で「ふたりとも」と発したのだが、残念ながら、二人には届かなかった。
更に一分経過。寿途は二人の間へ割って入ると、軽く跳んだ。そして祝と千晶の後頭部を同時に掴むと、顔面を廊下へ叩きつけた。十一歳――まだ小学生だとは思えぬ速さと力で。
かなり手加減をしていたらしく、廊下も二人の顔面も無事だ。そんな二人の様子を確認すると、寿途は再び、その小さな口を開いた。
「二人とも、喧嘩は……だめ」
静寂の中で落ちる朝露のような声で二人を諌めると、寿途は千晶の手首を掴んで立ち上がらせた。
「千晶、ごはん」
何となく鼻先が赤くなっている千晶が、寿途の手を握り直して満面の笑みを向けた。
「そうね! お肉食べに行きましょ!」
ルンルンと、ハンバーグにする? それともステーキ? それともとんかつ? しゃぶしゃぶも――などと伺いながら、千晶は寿途と共に階段を下りて行った。
祝は、何となく痛む気がする鼻先を押さえつつ、廊下を進んでいた。ろくに名前を覚えていない連中とすれ違った。挨拶をしてくる後輩に向かって、適当に「うぃー」などと返事をしながら階段を下っていく。
今まで特に目的もなく歩いていたわけだが、中央入り口から入ってきた拓人と鉢合わせて。
「あー、祝。散歩か?」
祝に気付いた拓人が声を掛けて来ると、祝は「んー、まぁ、そんなトコやな」と気怠げに答えた。祝のその反応も、いつもの事だ。拓人は気にする様子もなく、そっか、と返した。
拓人が階段を上がり、祝が下りる事ですれ違ったのだが、祝が振り向いて拓人を見上げた。
「あ、そや、拓」
拓人は次の段へ片脚を乗せたまま、「何だよ」という意味を込めて、首から上を祝へ向けた。
「《P・Co》さんから、白髪頭の奴が助っ人やて来よったんやけど――」
「あぁ。オレ、現場に居たんだけどさ。翔に負けた罰だって。悪い奴じゃねーよ。強いし、超真面目っぽいし。翔が自分のグループに勧誘してたけど……そこんトコは会長次第だな。そんで、翔も、やっと家庭教師が決まったから」
“家庭教師”というワードに、祝の眉間が狭まった。
「今まで何年も探して見つからんかった家庭教師……誰がやる事になったん?」
ほんまに大丈夫かいな、とぼやく祝に、拓人は視線を斜め上へ上げて、んー、と唸った。
「また近い内にこっちに来るって言ってたぞ。大丈夫か大丈夫じゃないかって言うと、そりゃ、オレにゃ分かんねーわ」
拓人は「んじゃ、オレは個別練習メニューに必要な備品の発注交渉行ってくっから」と別れを告げて、階段を上って行った。




