第十五話『ヤバい奴ら』―4
翔に切られたままのざんばら状態の髪ではいけないだろうと、道中、十分ヘアカットショップへ寄った。現在、凌の髪は前髪の長さと後ろ髪の長さが同じくらいの位置にある。
サッパリした頭とは対照的に、凌は陰鬱に沈み込んだ顔で車の後部座席に座っていた。その様子は、刑務所へ輸送される犯罪者か、刑執行直前の死刑囚のようだ。そんな凌を乗せた車は、無情にも《自化会》の本部へ到着した。
敷地を取り囲む塀の門横には、ステンレス製のプレートに黒文字で、こう書かれている。
“一般財団法人 自然と化学の共存を促進する会”
遺伝子研究施設、居住施設、体育館的な建物が奥に見える。敷地内を、誘導線に沿って車を走らせると、来客用の駐車場が見えてきた。そこに、紺色のスーツを着た青年が立っている。お世辞にも、友好的とは言えない顔付きだ。濃い茶髪と同色の瞳をしたその青年の顎辺りには、切り傷らしい痕が見える。
謙冴の運転する車が停まると、青年は頭を下げた。
「あまりこうは言いたくないのですが、『ようこそ』。会長は、会長室でお待ちです」
「やぁ。滝沢君。久し振りだね。門を通っていきなり撃たれたらどうしようかと思ってたけど、ちゃんと招き入れてもらえて嬉しいよ。有り難う」
渋面の滝沢とは異なり、雅弥は朗らかに笑っている。
滝沢は表情を変える事なく、足を本部の会長室がある建物へ向けた。背中を向けたまま、雅弥へ言葉を返す。
「秀貴さんから、くれぐれも、と言われていますから」
「ふふっ僕ってば愛されてるなぁー」
呑気な雅弥の言葉を完全に無視し、滝沢は会長室へ向かった。
会長室。最近は深叉冴のくつろぎの場となっているこの部屋だが、本来は会長である臣弥の仕事場だ。簡易の応接室も兼ねている。
来客が到着したという報告を受けて数分。入り口の扉がノックされた。入ってきたのは四人。秘書の滝沢は、来客に向かってソファーへ座るよう促したが、黒尽くめの男はそれを拒否し、会長席の前まで歩いてきた。
自分とよく似た顔の男が、自分とよく似た顔で笑っている。昔から、一卵性の双子と間違われる程似ている顔だ。臣弥は複雑な心境を顔には出さず、微笑を浮かべたまま口を開いた。腰は椅子へ下ろしたままだ。
「こんにちは。お久し振りですねぇ。日本有数の複合企業の社長さんにお越しいただいて、恐縮です」
「相変わらず、他人行儀だなぁ。まぁいいや。他人だし。それで、秀貴には言ったんだけど、《天神と虎》については、もう聞いた?」
臣弥が、簡単に、と答えると、雅弥は謙冴から分厚い封筒を受け取った。中から、紙の束を取り出す。そのまま、臣弥へ渡した。
「ウチの優秀な情報屋が探ってくれたデータを簡潔にまとめた資料だよ。そうそう。この前、お宅の近くに《天神と虎》の探り屋が車停めて何かしてたから、エンジンに細工もしといたよ」
にこにこと恩着せがましく言ってくる雅弥に、臣弥はうんざりとした顔を向ける。
「貴方の事ですから、これでこの前の二人の件はチャラにしろって言うんでしょう?」
「物分りのいい取引相手で、助かるよ」
にこにこ顔を崩さない雅弥に臣弥は、いつもながら手回しが早い事で、と視線を逸らせた。そして、逸らせた視線をその流れのまま凌へ向ける。ところで、彼はどこの誰ですか? と。
雅弥はふふふと笑うと、凌の両肩に両手を添えた。
「罰ゲームなんだ。今日、翔君に負けちゃった、罰ゲームをさせに来たんだよ」
「あぁ。彼が例の決闘相手でしたか。翔君に負けて五体満足で立っているなんて、大したものですねぇ」
「犠牲になったのは、自尊心と髪の毛三十センチくらいかな」
交互に話す、ほぼ同じ顔の二人を目で追いながら……凌は再び、穴があったらそこに永住したい気持ちに苛まれた。負けた、負けたと連呼され、ざわつく胸中を抑え込み、しかし凌は、何も感じない振りをして表情を澄ましている。
「名前は、芹沢凌。覚えてる? 深叉冴君の仕事仲間だった、芹沢敏晴君の、息子さんだよ。君のトコの施設に数か月だけ居たみたいなんだけど」
臣弥は記憶を手繰り、その子どもを思い出した。だが、記憶にある顔と、今目の前にある顔が一致しない。正確には、髪の色が、だ。
「その子、私の記憶では、深い茶色の髪ですよ?」
「ストレス性白髪症、みたいな?」
「貴方、子どもに一体何をしたんですか」
「僕の所為じゃないし。っていうか、君にだけは言われたくないね」
「嵐山さん、ボクは、二条さんについて行って、後悔はしていませんよ」
言葉の撃ち合いで火花を散らせている二人の間に言葉で割って入ったのは、凌だった。完全に営業モードに入っている凌は、不気味な程の笑顔でもって、雅弥を援護射撃した。
「嵐山さん、今回ボクがこちらへお伺いしたのは“《天神と虎》の件に関して、《自化会》を援護する”という命が下ったからです。《自化会》の不利になるような働きはしませんので、どうか使ってやってください」
「お宅、戦力がガタガタでしょ? 凌は実戦面で言えば、ウチの特務員ナンバー3だよ。実力は申し分ないと思うんだよね」
どうかな? と問う雅弥に、臣弥は深い溜め息を吐いてから、答える。
「貴方、言い出したら聞かないんですから。受けるしかないでしょう。ただし、命の保証はしませんよ」
「うんうん。例えお宅の会員が“ウッカリ”凌を殺しちゃったとしても、僕は何も言わないよ」
雅弥は、有無を言わさぬ笑顔を凌へ向けた。凌も、少々わざとらしい営業スマイルを維持したまま首を縦に動かした。
臣弥は呆れたように笑うと、肩を竦めた。
「まぁ、貴方がそう言うんでしたら、私からは何も言いませんよ。で、平日は通常業務があるんでしょう? 凌君は、スケジュールは大丈夫なんですか?」
「ええ。呼ばれれば、いつでも来られるようにしておきます。あとは……そうですね、天馬……」
ひとつ息を置き、凌は言葉を続けた。
「翔君が連絡をしてきたら、いつでも来られるようにしておきます」
凌がそう言うので、臣弥は了解し、滝沢を呼び寄せた。
滝沢に、凌君に建物の中を案内してあげてください、と告げると、臣弥は卓上に置いてある紙袋へ手を伸ばした。
「とても美味しいあんぱんなんですけど、おひとついかがですか?」
「気持ちだけ貰っておくよ」
雅弥の返事を聞くと、臣弥は徐にあんぱんを取り出し、かぶり付いた。その様子を視界の端で見届け、凌は滝沢の後について“会長室”を後にした。