第十五話『ヤバい奴ら』―3
凌が雅弥や謙冴に強制連行された後の天馬家では、天馬家前当主と天馬家現長男と、家庭教師がテーブルを挟んで顔を突き合わせていた。現当主である翔もその場に居るのだが、ぼんやりと三人の様子を眺めている状態だ。
因みに拓人と景は、上映中の映画がどうのなどと話しながら先刻退室して行った。
「正直、今まで俺が受けてきた依頼の中で、三本の指に入るくらいの難題です」
口を切ったのは潤だ。先の出ていないボールペンで、スケジュール帳を突いている。平日は、ほぼ予定の埋まっている十月のページを開いて。
潤の言葉に、唸り声を含んで応えたのは深叉冴だ。
「事実、儂など一瞬で殺されたわけだしな」
「深叉冴様。お言葉ですが、潤さんは違う意味で『困難だ』と言っているのだと思いますよ」
康成が指摘するも、深叉冴は今ひとつ反応が悪い。
「深叉冴様は翔様の事になると、超が付くほど前向きで、尚且つ近視眼的なんです」
と、康成は潤に向かって、苦笑混じりに説明した。
康成の言った通り、潤の言う“難題”とは、翔の暴力的能力の事ではない。以前、秀貴も言っていた『とんでもなく不器用』な点に対して、だ。深叉冴には『最低二か月』と言ったが、その期間にどれだけの制御力を身につけられるか……。全く予測が出来ない。
「当面の目標としては、能力の出力値を二十パーセント毎に刻んで放出出来るようにする事です。その為には、一度、百パーセントを見る必要があるのですが……」
潤が深叉冴へ伺いの眼を向ける。
「うむうむ。それなら《自化会》の格技場を使って貰って構わぬよ。山をひとつ吹き飛ばす程度の力なら、外へ漏らさず抑えられる」
「なら、遠慮なく使わせていただきます」
手帳にメモを取る潤に、少し戸惑った様子の康成が声を掛ける。
「潤さんは、《自化会》へ行くのに抵抗はないんですか?」
康成はおずおずと、潤さんは罰を受けるわけでもないのに、と小さく続けた。康成が危惧しているのは、《P×P》相手に殺気立った、会員の目に触れる事だ。対し、潤はスケジュール帳に視線を落としたまま、慣れているから、と短く返した。
潤は翔へ視線を向けた。
「直近で、俺は水曜日が休みだ。翔は学校だろうが……、火曜日の十九時半に《自化会》本部へ行く事は可能か?」
「うん」
「仕事の都合で少し遅れるかもしれないが、火曜十九時半に。《自化会》の格技場で待っていてくれ。凌に勉強を見てもらう件は、その後スケジュールを組む」
「うん。わかった。待ってる」
翔は頷くと、もう話は済んだと言わんばかりに立ち上がり、出て行った。
一同は無言でその姿を見送る。戸が閉まると、翔は相変わらずマイペースだな! と、深叉冴が景気よく笑った。康成は眉尻を下げて笑うと、潤に向かって謝罪した。
◆◇◆◇◆
応接室で《天神と虎》のコスチュームについて話が盛り上がっていた頃――自室へ戻った光はベッドに座り、古い書物のページを捲っていた。その古書は全体的に白茶色をしており、所々樺色や焦色のように濃くなっている。
光の部屋は、母屋と廊下で繋がった、離れの二階にある。
天馬家がまだ退魔業で栄えていた頃、弟子が使っていた部屋を借りている。深叉冴が当主となった時には、既に弟子をとるという環境ではなくなっていたので、約八百坪あった敷地を三百坪ほど潰し、現在はアパートなどにしている。
深叉冴は光の事を“一般人”と言ったが、“どこの組織や団体にも所属していない”という意味での“一般人”だ。父は日本人で、母はドイツ人。母方が、魔女だとか、魔術士だとか、召喚士だとか呼ばれる家系だ。母は召喚術よりも薬草を扱うのが得意なのだが、光は祖母に似て召喚術が得意だ。祖父と叔父の専門は“錬金術”だが、光はその分野にはノータッチだった。
光はドイツで生まれ、小学生の時に日本へ移り住んだ。故郷では、叔母から心構えや、書物の読み方、魔法陣、魔法円の役割といった基礎のみ教わっている。関連書を譲り受けてからは、ほぼ独学で召喚術を会得した。
光の家系では、十五歳になると専属の使い魔を召喚し、使役する習わしだ。彼女は渋る親を振り払い、反対する兄を黙らせ、十五歳の誕生日に深叉冴を喚び出した。
現世に喚び戻す前、深叉冴とは、交渉という形で何度も対話をしている。最初は、光が十四歳の頃だ。初めは難色を示した深叉冴だが、うんと頷いてからは早かった。死者を生き返らせることは、さすがの光にも無理だ。実体として存在出来るが、人間ではない。そんな器に、魂を定着させる。そうして生まれたのが、“悪魔”となった今の深叉冴だ。
更に光は、自分の使い魔となった深叉冴を交渉材料にして、天馬家へ話を通し、寝ている翔に婚約に関する書類――光の手作り――を突き付け、拇印を押させ、“婚約者”という、今の立ち位置に居るわけだ。
友人は、そんなに入れ込む意味が分かんない、と言うのだが、その点に関しては、他人に理解を求めようとは思わない。
だって、翔の取り合いになったら、困るじゃない。
光が大真面目に言うと友人は、絶対ないわ、と笑って返してきた。そんな事を思い出し、光はほくそ笑む。
(“絶対”なんて、絶対ないのよね)
古書の表紙を閉じると、今度は悩ましい息を吐き出した。
つい先日、思い描いていた状況とは全く違う形ではあったが……念願叶って、翔と本当の意味での“両思い”となったわけだ。が、正直、この状況が永遠に続くとは思い難い。何故なら、相手はあの、気紛れな神だからだ。
もし、万が一、恋敵が現れたとしよう。容姿に関してだけ言えば、負けない自信がある。ただ、翔が見た目で人を選ぶかと言うと、答えはきっと“否”だ。そして、彼はずっと同じ流れの中に居るように見えて、意外と新しいものに興味を示す傾向にある。これは、この一年半程彼の近くに居て学んだ事だ。
彼自身無意識だろうが、彼は常に、何らかの変化を求めている。
そう、よく言うだろう。“美人は三日で飽きる”と。
(光の顔に飽きたから、別の人と結婚する。なんて言われたら、立ち直れる自信がない……)
と、言われてもいない事を想像し、光は枕に突っ伏した。
コンコンというノック音と共に、少しくぐもった、高めの男性の声がドアの向こうから聞こえてきた。
「光さーん。おやつはどうします? 紅茶とクッキーが用意出来ますけど」
倫だ。
「さっき飲んだからいいわ。ありがとう」
枕から顔を上げて返事をすると、倫の気配は遠退いて行った。
光がこの天馬家で生活出来ている要因は、倫の存在が存分にある。倫は、主に光と拓人への伝言係りをしている。康成が翔の相手を主にしているので、その他の雑務は倫へ回るのだ。因みに、倫はアパートの管理も任されている。
倫は、普段からフレンドリーに接してきてくれる。対人赤面症なので普段はへんてこな面を着けているし、それを外しても、目を跨いで大きな傷がある所為で敬遠されがちだが、性格は穏やかで争い事はあまり好まない。美しい顔立ちではないが、愛嬌のある顔をしているし、近所の住人からの評判もいい。マスコット的な扱いを受けているように思える。
以前、翔が食卓で言っていたが、康成は少々他人行儀なところがある。何か、見えない壁が一枚阻んでいるというか。どこからどこまでが本心か、分からないというか。
(アタシなんかより、康成さんの方がきな臭い気がするのよね……)
仮にも義兄となるべき男だ。光自身、口に出しては言わない。だが彼は彼で、いつも家事の合間に何やら机に向かっている。あの様子は、家計簿をつけているようには見えない。
とはいえ、翔が警戒心を持っていないところを見ると、アレが素なのだろうが。
(きな臭いと言えば、あの人も……)
と、午後から会う予定の人物を思い浮かべた。
考えたところで答えは出ないので、光は召喚術に関する古書を本棚の奥へしまう。壁に掛かっている時計をチラリと見やり、今日、鈴音から借りた少女漫画を取り出した。まだ一巻しか発売されていないらしい。
明らかに校則違反であろう金髪――髪は金髪なのに、眉毛は黒い――のイケメン男子高校生が、亜麻色の髪の乙女を鼻フックして、肩を抱いている。そんな表紙を数秒眺め、光は本編を読み始めた。
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