第十五話『ヤバい奴ら』―1
玄関先では、景が康成に紙袋を手渡していた。
「父さんが沖縄で買って来てくれた、雪塩だよ。あと、真空パックのチラガーも買って来てくれたから、皆さんでどうぞ」
紙袋の中を確認しながら康成が、立派な豚さんの顔ですねぇ、と笑った。
景は玄関にある靴をひと通り確認すると、自分も靴を脱ぎ始める。
「今日は、父さんと雅弥さんも一緒だよ。雅弥さん、サプライズ大好きな人だから、突然来ちゃったんだ」
景は平然と言って退けると、皆応接室かなぁ? と呟きながら、すぐ脇にある部屋へ入っていった。
その数秒後。真っ黒な服を身に着けた二名に挟まれた、グレーのスーツを着た謙冴が玄関戸を開けた。
康成は突然の来客に嫌な顔ひとつせず、いつもの笑顔で三人を迎えた。三つ指ついて夫の帰宅を迎える妻の姿を錯覚させる姿勢で。先程景が入って行った応接室からは、何やら騒音が聞こえてきた。しかし康成は気にせず、三人を応接室へと通した。
応接室の中では、半ベソ状態の凌が箪笥の陰に隠れ、翔は凌のジャケットを引っ張っていた。光は紅茶を飲みながらその様子を眺め、倫は空になった湯呑みを片付けている。景の姿はない。
潤はソファーから立ち上がり、入り口に向かって会釈した。
「お疲れ様です。お忙しいから、こちらには来られないかと思っていたのですが」
「潤もお疲れ様。本社に来てた景が、こっちまで送って欲しいって連絡してきてね。次の用事はお昼だから、来ちゃった」
悪戯っぽく肩を竦めると、雅弥は箪笥の向こうに隠れている凌へ歩み寄った。そして凌の姿を目で捕らえると、ひと言――
「あれ? 髪の毛、あるね……」
「何で残念がっているんですか!」
今まで、怒られるだろうとビクビクしていた人物とは思えない勢いで、凌は叫んでいた。そして我に返ると、雅弥に対して恐縮しきった様子で、謝罪の言葉と共に頭を数回上げ下げした。見事な土下座だ。
「どうして、凌の髪の事をご存じなんですか?」
と訊いてきたのは、潤だ。
目を泳がせる雅弥に、潤が僅かに表情を険しくして、続ける。
「……誰に、監視をさせていたんです?」
「泰騎だ」
潤の問いに答えたのは、謙冴だった。
「お前が気付かないのも当然だ。あいつは、ここから二キロ離れた場所に居たからな。あと、お前たちを疑っての事ではなく、あくまで研究材料の情報収集が目的だ」
研究材料とは、おそらく翔の事だろう。潤はそう判断すると、そうですか、と返した。呼吸をひとつ挟んで、再び口を開く。
「もうひとつ、訊きたい事があるのですが」
「何だ?」
「これからの予定というのは、どちらへ?」
潤の質問に、謙冴は視線を雅弥へ向けた。少々困り顔ではあるが、雅弥が笑っているので、謙冴は問いの答えを告げる。
「お前が察している通り、《自化会》の本部だ」
潤は再び、そうですか、と呟く。そして、凌の元へ行くと、凌を箪笥の陰から引きずり出した。
「凌も連れて行ってください」
それに対して困惑の色を強く見せたのは、凌本人と雅弥だ。二人が疑問の声を発するより先に、潤が続ける。
「凌には、火曜日の夕方から翔の勉強に関する手伝いに入って貰う。それに加えて、《天神と虎》に関する《自化会》への協力を義務付ける。これが、今回の厳罰内容だ」
凌の表情が固まり、ようやく血色を取り戻していた顔は、再び青くなった。
「あ、あの……潤先輩……。勉強はいいとして……その……、《自化会》への協力というのは、正直、オレにはキツいと言いますか……」
凌が拒否するのも無理はない。《P×P》のメンバーは、つい先日《自化会》の会員を二人も殺したばかりだ。《P×P》の人間である凌は、当然、歓迎などされる筈がない。目の仇にされる事は明白だ。
「厳罰だから、厳しくないと意味がない。それに、さっき自害しようとしていたくらいだ。死ぬ気になれば、何でも出来るだろ」
潤が言い終えると、凌はグゥの音も出せず項垂れた。それを是と捉え、潤は雅弥へ視線を送る。
「凌の処分内容は、以上です。社長、何か不都合がありましたら、おっしゃってください」
「えっと……潤、それはちょっと、精神的に厳しすぎるんじゃ――」
「《天神と虎》の動向は、《P・Co》としても不安要素のひとつだからな。それで問題ない」
決定を下したのは、秘書の謙冴だ。社長である雅弥は渋面とも笑顔ともとれる、複雑な表情で頷いた。
「凌、がんばれ」
と、なんの糧にもならない励ましの言葉を添えて。
翔は翔で、一見分かり辛いが、喜んでいるらしい顔で手をひとつ叩いた。
「じゃあ凌は、俺と同じEグループへおいでよ」
何を言われてもよく理解が出来ないので、取り敢えず、凌は頷いた。それが自分の運命を負の方へ向かわせると、薄々感じてはいたのだが――。残念ながら、潤から与えられた“罰”という名の命令を本気で拒む事など、凌には出来なかった。
凌が蒼白の顔に血の気を戻せずにいるところへ、二人分の足音が近付いてきた。開いた扉から入ってきたのは、拓人と景だ。拓人は浮かない顔をしていたのだが、雅弥と謙冴の姿を確認すると、二人に向かって頭を下げた。
「二条さんと空中さん、こんにちは。ご無沙汰してます」
「やぁ、拓人君。会うのは何年振りかな? 元気な姿が見られて嬉しいよ」
簡単な挨拶を済ませると、雅弥は深叉冴へ体を向けた。
「深叉冴君も、よかったら僕の話を聞いて欲しいんだけど、いいかな?」
「あぁ。主殿はどうする?」
深叉冴に問われ、光は空になったティーカップとソーサーを持ち、立ち上がる。
「アタシはいいわ。余計な話を聞いて、余計な心配をしたくないもの」
深叉冴は、それもそうだな、と首を竦めて、自室へ向かう光を見送った。茶を出し終えた倫も、自分は無関係だと言わんばかりに、退室して行った。倫は普段から、争い事には関わりたがらない。康成はというと、翔の脇に立って微笑んでいる。
雅弥は室内に居る面々に視線を向けると、切り出した。
「さっき言った通り、僕らはこの後《自化会》の本部へ行く予定なんだ。そこで会長には伝えるんだけど、ここには深叉冴君も居るし……ちょっと、聞いて欲しいんだ」
翔はもう飽きたのか、盛大に欠伸をしている。雅弥は、すぐに終わらせるからね、と子どもを宥めるように声を掛け、続ける。
「単刀直入に言うと、さっきから話題に出てる《天神と虎》っていう組織が、《自化会》を傘下に加えるか潰すかって事で動いてるんだよね。それが、その組織っていうのが、すんっっっごくヤバいんだよ!」
と、熱を感じさせる口調で訴える。だが、他の面子はそのテンションについていけず、呆然と雅弥の言葉を聞いていた。
その反応は、雅弥にとってもう慣れたもので、言葉を続ける。
「《天神と虎》は、西日本の暴力団や犯罪組織を次々と傘下に加えて大きくなっている、今の日本で五本の指に入る規模の組織なんだ。自称、自警団。それだけなら、全然ヤバくはないんだけどね。何がヤバいって……」
言葉を溜めて、言い放つ。
「世界征服を企んでるんだよ!!」




