第十四話『結構な決闘の結果』―3
天馬家から二キロメートル程離れた場所に位置する病院の屋上。そこから見える雲は少しずつ流れ、隙間からは陽が射し、青い空が覗いている。
屋上の柵に両腕を乗せ、目元に装着したゴーグル越しに、眼下に広がる街を眺めている人物が一人。耳にはワイヤレスイヤホンと、ジャケットの襟元には小型マイクが着けられている。
「あー、うん。凌の髪がサッパリしたくらいかなぁ?」
ピスミの生みの親は、ゴーグルを灰色の頭に移動させながら体を反転させた。背を柵に預け、雲の多い空を見上げる。独り言のように、誰も居ない屋上で言葉を続けた。
「まぁ、週末だけらしいから……え? あぁー……ソレを口実に? うん、まぁ、一回は……。ははっ。そんなんしたら、あいつに叱られるわ。あ、そんで、師匠のケータイの番号教えてくれん? メールで送ってー。うん。来週な。分かった。んじゃ」
一拍の沈黙を挟み、泰騎は耳からイヤホンを取り去った。ミリタリージャケットの襟に着けていた小型マイクも取り外すと、ジャケットのポケットにしまう。
両手を組んで伸びをし、欠伸をしてから、二つ折りの携帯電話を取り出した。通話履歴の上部にある名前の発信ボタンを押す。
「あ、倖ちゃん。やっほー。送った動画見てくれた? うん、うん。…………。あー、あの人なら解剖したがるじゃろうなぁ。え? 嫌じゃわぁー。今度ソレ言うたら、三角ピアスごと耳を引き千切るで? はっはっはー。嘘、嘘。冗談じゃってー。んでな、ちょい調べて欲しい事があって……――」
◆◇◆◇◆
街中を走る黒い車の助手席では、おにぎりを食んでいる黒尽くめの人物が笑っていた。
「髪の毛が無くなっちゃったみたいだけど、取り敢えず、凌が無事で良かったよー」
能天気な黒尽くめとは正反対な表情をしている運転手は、無言でハンドルを回している。代わりに、後部座席から声がした。
「本気を出した翔さんに消されていないだなんて、流石は雅弥さんがスカウトした逸材ですね。彼が事務所に所属するとなった時、さぞかし工作側は渋ったんじゃないですか?」
などと言いながら、眼鏡の奥で目を細めている人物――空中景。現在運転をしている謙冴の養子であり、康成とは血の繋がった実弟。康成と同じ、青みがかった黒髪に、同色の瞳を持つ好青年だ。手には紙袋が握られている。
「そうだねぇ。でも凌が入社したのは、ひと悶着あった後だからね。それより、景も“破壊神”なんて言われてる子と同じ高校だと、大変なんじゃない?」
「いえいえ。一般の高等学校ですし、翔さんも、学校じゃ発火しませんから。平和なものです。それに……」
景は一旦言葉を止め、元々上がっている口角を更に上げた。にっこりと、康成によく似た笑顔だ。
「翔さんは、自身の友人に関しては、なかなかに誠実な人ですから。というか……」
また言葉を止めると、景は眉を下げて肩を竦めた。雅弥はおにぎりを口に咥えたまま、景へ顔を向ける。
「いや、なんて言うか……。常に陰から翔さんと、その他友人のフォローに回る、拓人の凄さといったら……」
口元に手を添えて渋面を作る景の言葉に、雅弥も感慨深げに頷く。
「あぁ……。あの秀貴の息子さんだもんね……。彼も彼で色々あったわけだし……。気苦労絶えなさそうだなぁ……」
乾いた微かな笑いを漏らす雅弥は、今にも合掌しそうな雰囲気を漂わせている。
「一年間で身近な人間が相次いで三人も死滅すれば、グレもする。それに、それこそ、あの秀貴の息子だからな。今現在、精神に異常を来たしていないのが不思議なくらいだ。よくここまで立ち直れたものだと言うか……。出来る事なら、《P・Co》で面倒を見たいくらいだな」
と、今まで無言だった謙冴まで同情と感心の念を口にする始末だ。
「……父さんにそこまで心配される、拓人って……――」
景の口角が不自然に痙攣している。
雅弥は噛み砕いたおにぎりを飲み込むと、ペットボトルの烏龍茶を口へ運んだ。
「まぁ、僕もその気苦労に一枚噛んでるから、申し訳ない気持ちもあるけど……。それもそうだけど、景も高校とインターンの両立、凄いよね。ホント、助かるよ」
「それこそ、僕の我儘ですから。色々と勉強させていただけて、有り難い限りです」
景は謙遜とも捉えられそうな本心でもって感謝を言い表すと、再び窓の外へ目を向けた。アパート、スーパー、コインパーキング、コンビニ……そして、通っている高校。見慣れた景色が流れていく。
着いた先は――、
「父さん、送ってくれてありがとう」
「景から『送って』って電話が無かったら、来られなかったからさ。ふふ……凌の驚く顔が見られるかと思うと、ワクワクするなぁ」
天馬家だ。
景も雅弥も、満面の笑みで車から降りた。雅弥が降り際に、謙冴もおいでよ、と言ったので、謙冴も運転席から出てくる。
渋々、といった表情の謙冴に、雅弥は肩を竦めて見せた。
「実家なんだから、堂々と入っていきなよ」
「実家と言うか、旧家、だな」
謙冴が正門の戸を開き、三人が庭へと足を踏み入れた、その時――元気のよい、明るい声が弾けた。
「謙兄ぃぃい!!」
癖のある黒髪、ワインレッドの瞳、決して高くはない身長。白装束ならぬ黒装束姿の少年が、謙冴に抱き付くように両手を広げた状態で、どこからともなく出現した。謙冴はそれを無言で回避。勢い余って、砂利と衝突した黒い塊を見下ろす。無言で。
黒い塊は、無傷の上体をガバっと起こし、謙冴のスラックス・パンツの裾を引っ張った。
「謙兄! 儂だ、儂! 深叉冴だ!」
「あぁ。知っている」
「知っておったか! 流石は謙兄! この姿で会うのは初めてだから、気付いておらぬのかと思ったぞ!」
確かに謙冴自身、深叉冴が今の姿になってから会うのは初めての事だが、景や秀貴から話には聞いていたので知っている。その景はというと、どさくさに紛れて一人で母屋へと向かったようだ。
「騒がしいのは、死んでも治らなかったみたいだな――とは、思ったぞ」
「似たような事を、誰かにも言われた気がするな!」
深叉冴は、はっはっはっ、と腰に手を当てて高笑い。
髪色と瞳の色に関してだけ言えば、自分と同じだった見た目が全く変わっているわけだが、中身は本当に深叉冴自身のようだ。謙冴はそう確信すると共に、ほんの少しだけ憂鬱な気分になった。
天馬家は数百年の昔から、退魔を生業としている家系だ。
初代から今まで、末子が家業を継ぐのが習わしとなっている。つまり、深叉冴が生まれた時点で謙冴が当主となる権利は消滅しているわけだ。だが、そんな事は謙冴にとって然したる問題ではなかった。事実、長男である自分は、退魔師としての才が欠けている自覚があった。それが努力でどうにか出来るとも思っていなかったし、家業に執着もなかった。寧ろ、妙な責任を負わされる事がないからと、気が楽だったくらいだ。
一般の小中学校へ通い、県下でも――色々な意味で――有名な私立高校へ進学が決まった時、いつも謙冴の後ろをついて歩いていた深叉冴が「俺も謙兄と同じ高校へ行くんだ!」と言った。その時の憂鬱さといったら、形容し難いものがあった。深叉冴では入る事が出来ないであろう高校をわざわざ選んだというのに、と。
嫌いではない。自分を慕ってくれる、いい弟だと思う。いつも明るく元気で――ただ、元気すぎるのだ。賑やかすぎて、疲れる。
謙冴は短く息を吐くと、右側に深叉冴、左側に雅弥という、黒尽くめを両脇に添えた状態で母屋へ向かった。




