第十四話『結構な決闘の結果』―2
数分掛かってやっと凌が落ち着き、この場は収拾されつつあった。
凌は縁側に座っている面々に頭を垂れる。
「とんだ醜態を晒してしまい、すみません……」
穴があったら入りたいどころか、そこに永住したい気持ちで心をいっぱいにした凌に、相変わらず血塗れの翔が歩み寄った。
「凌、強いから、俺と友達になってよ」
凌は心底嫌そうな――何を言っているんだこいつは、という顔を、翔へ向ける。
「お前、オレとの関係を理解した上で言ってんのか?」
「もちろん」
力強い返事に、凌の顔面が歪んだ。
思えば、仕事仲間は居るものの、ただの“友人”というものは居ない。それで充分だと思っていたし、必要もないと思っていた。
(――って、いや、いやいや。だからって、こいつと友達? っつーか、親の仇だし! しっかりしろ、オレ!)
頭をぶんぶんと振り払う。肩辺りまで短くなった髪が、バシバシと顔面に当たった。
「へぇ。翔が自分から友達要求してんの、初めて見た」
ひょっこり現れたのは、飴色の髪の青年――。嫌味のない笑顔を凌へ向けてきた。見た感じ、自分と同じくらいの年だろう。年相応の笑顔だ。
「あ、初めまして。オレは翔の相方の、成山拓人。年はこいつのひとつ上で……あぁ、《P・Co》っていえば、空中景とは今、同じクラスで……」
空中景。先日、体育の授業中に拓人とテニスをしていた人物だ。《P・Co》の社長秘書である、空中謙冴の養子。そして、天馬家長男である康成の実弟。
まともに話しの出来そうな人物だと思い、凌は拓人に対して肩の力を抜いた。
「景がいつも康成さんの為に服を調達しているのを見て、どんな人たちがあの服を作っているのかと思ってたけど……」
拓人は潤と凌を交互に見やると、康成の着ている服を凝視した。ピンク色の、耳と手足が異様に長い、とぼけた顔のウサギが踊っている絵が印刷されている。
「いやぁ。まさかこんな、真面目そうな人たちが作っていただなんて……」
「ピスミを描いてるのは、ウチの所長だ」
潤の言葉に、あのウサギはピスミっていうのか、と拓人は無駄な知識をひとつ増やした。
潤は、拓人の髪色と顔付きと揃いのピアスを見て、そういえば、と切り出した。
「君が秀貴さんの息子さんだろう? 秀貴さんから、ウチの所長の事を聞いていないのか?」
秀貴の名前が出た途端、拓人の顔が顰められた。その顔のまま、何も、と短く答えると、拓人はそっぽを向いた。
「あいつ、殆ど帰って来ないし。オレはここに居候してるし。あんまり話し、しないんで」
ぶっきらぼうに言われ、潤は「そうか」とだけ返事をした。どこも家庭事情が複雑なんだな、と思いつつ。
「親父については……《P・Co》の社長さんと、景の親父さんと同級生だ……って事くらいしか知らないです」
それも、本人から聞いたわけじゃないですけど。と小さく付け加えられた。
拓人の後ろから、康成が人の良い笑顔を出した。
「翔様、腕を拾っておいたので、こちらへ来て下さい」
「どうするの?」
「縫い付けます。裁縫糸しかないですが……」
「いいよ。縫い付けてたら、二日くらいで治るかな。学校にも行けるね」
綺麗に斬ってくれてありがとう、と翔は凌に向かって頭を下げた。
康成は縫い糸と針をセットすると、翔の腕と切断面の向きを見ながら固定し、素早く縫い付けた。アップリケのように細やかな縫い目だ。副木代わりに定規を当てると、その上から包帯を巻いて固定した。
康成は再び、一同へ笑顔を向ける。
「お待たせしました。立ち話もなんですから、母屋へどうぞ」
玄関から入り、すぐ脇にある応接室へと通された。大きなテーブルが中央にあり、それを挟んでソファーが向かい合わせに置かれている。
拓人は、宿題をするから、と自室へ戻った。
入ってきたのとは違う入り口から、ある人物が、湯気の上がっている湯呑みを盆に乗せて現れた。その人物は、ひょっとこと、おかめを足して割ったような顔のデザインを施された面を着けていた。髪は緑がかった黒色で、無造作に跳ねている。
「初めまして。ボクは天馬家の次男で、家事手伝いをしている倫と申します」
面を頭の後ろへ回すと、倫は一礼し、はにかんだ。瞑られた右目には、縦に大きな傷跡が掛かっている。
凌は康成に促され、ソファーへ腰を下ろした。その隣に、翔が座る。凌の眉間に皺が寄った。
「……何で、オレの隣に……」
「友情を深めようと思って」
翔は無表情で言うと、湯呑の茶をひと口、飲み下した。
翔の隣に立っている倫が、面を顔面に装着しながら首を傾げる。
「翔のお友達? でも今日って、決闘がどうとか言ってなかったっけ?」
翔は凌を指差しながら、凌が俺の決闘の相手だったんだよ。と説明した。倫の表情は見えないが、ふぅん、という呟きからは、この話題に興味を持っているようには感じられなかった。
「まぁ、翔が無事なら、光さんも機嫌が悪くはならないだろうし。ボクとしてはそれだけで充分かな」
と、肩を竦めている。
倫とは反対側になるソファー脇に立っている康成からは、抗議の声が上がった。
「無事なもんですか! 腕は飛んだし、心臓付近は斬られるし、触角は砕け散るし!」
「生きてるんだから、無事だよ?」
「翔様は黙っていてください!」
怒鳴られ、翔はむすりと口を噤む。ついでに、頬も少し膨らんでいる。
「はっはっは! 翔は相変わらず頑丈だな!」
紙で出来た札――結界の元――と紙パックのリンゴジュースを握りしめた深叉冴が、何もない空間から突然出現した。そして潤の隣に座ると、潤を上から下までひと通り見て、感嘆の声を漏らした。
「先程は気付かなんだが、えらいべっぴんさんだな」
「え、あ……」
「あぁ。男性に対して失礼だった。忘れてくれ。因みに、儂は『可愛い』と言われるのは大歓迎だ!」
潤は、はぁ……そうですか、と気の抜けた返事をした。対して深叉冴は、紙パックにストローを刺しながら、ところで、と切り出した。
「聞いた話では、潤君も騰蛇の……」
「ええ。騰蛇の血清を打たれて遺伝子結合した……、一応人間と言いますか、元人間といいますか……。それで、俺からも訊きたい事があるのですが……」
深叉冴はリンゴジュースを飲みながら、ん? と、数センチ高い位置にある潤の紅い瞳を見上げた。
「遺伝子結合の要部分を破壊した際、翔君の動きが機敏になりましたが、あれは、どういった作用で?」
「あぁ。要を切除すると、朱雀の能力が使えなくなる。それは、凌君の動きを見た限りそちらも知っておるのだろう?」
潤が頷くのを確認すると、深叉冴は言葉を続けた。
「身体を構成している遺伝子が抜ける事で、精神に大きな影響を及ぼすらしくてな。情緒が著しく不安定になるんだ。今日の翔の場合、恐ろしくハイテンションになったんだな。つまり、気分が高潮した相乗効果として、動きも鋭くなったわけだ」
潤は、そうでしたか、と呟くと、目の前の湯呑みを手に取った。
深叉冴もリンゴジュースをひと口飲むと、今度は首を竦めて見せる。
「基礎体力と技術の訓練をしようとして翔の要を切除したら、あやつ、とんでもない癇癪を起してな。山が半分消し飛んだんだ。その爆発に巻き込まれて、儂らは一瞬で蒸発してしまってな。恥ずかしながら、その時に初めて、精神影響についてのデータが採れたわけだよ」
「それは……、お気の毒様です……」
潤は他に掛ける言葉も思い付かず、茶を啜った。緑茶らしいが、すっきりとして苦みの少ないものだった。
深叉冴はリンゴジュースを飲み干し、そういえば、と潤へ視線を戻した。
「潤君の要は、どこにあるんだ?」
「機密事項です」
即答され、深叉冴は「まぁ、それもそうか」と肩を縮めた。
潤は緑茶をもうひと口飲むと、湯呑をテーブルへ置いた。
「家庭教師の件ですが、翔君は高校へ通っているので、俺は土日に来ようと思います。依頼の期間は二週間でしたが、今日の様子を見ると……最低でも一か月――取り敢えず、二か月お時間を頂ければ、最低限の事は何とかなるかと思います」
「あぁ。助かる。ついでに学校の勉強も見て貰えると助かるのだが……。翔の奴、成績があまり宜しくなくてな」
潤は、それは俺の管轄外です、と答えると小さく長い息を吐き出した。
鈴音と遊びに出掛けていた光が、帰って来て一番に上げた声は「聞いてないわよ!」だった。
金髪碧眼美少女は、翔の左腕を労わるように擦りながら、すごい剣幕で潤を睨んだ。
「家庭教師が女だなんて、聞いてないわ……!」
潤が絶句していると、翔が光の頭を撫でながら、
「光、大丈夫。潤は男だよ。ほら。おっぱいもぺったんこ」
と言いつつ、潤の胸筋をぺちぺちと叩いた。そしてふと手を止め、まじまじと顔を寄せる。今度は胸部を突き始めた。
「潤……体、硬いね……」
「お前、潤先輩にそんな事して、タダで済むと思うなよ!」
翔と潤の間に割り込んだのは、凌だ。脇差の柄に右手を添えて、今にも抜刀しそうな勢いだった。
「凌、血圧が上がるぞ。翔、蛇体質の俺の体脂肪率は、約三パーセントだ。そこは、鳥体質の翔と対照的だな」
潤は、光から放たれていたどす黒い殺気が静まった事に対して愁眉を開いた。
輝く金髪と、晴れた空のような碧い瞳を持つ少女は、顔を赤らめて頭を下げた。翔の腕を抱いたまま。
「やだわ。アタシったら……。すみません。えっと、潤さん。翔の事、宜しくお願いします。この人、すぐに自分から怪我とかして……。この前も、自分の刀で腕を穴だらけにしたばかりなんです」
「そんな、性癖的なものまでどうこうする予定はないんだが……」
「潤。俺は痛いの大好きだけど、痛がる人を見るのも結構好きだよ。真っ赤になってる光はもっと好きだよ」
と、今日初めて会ったばかりの人物から性癖を大暴露された挙句に、正面きって盛大なノロケを聞かされた。
もうやだぁー、とか、人前で何言ってんのよ、とか言う光の声をぼんやり聞きながら、潤は康成の元へ歩み寄った。翔のスケジュールに関しては、彼と打ち合わせをした方が確実だと判断したからだ。
「康成さん、すみません……」
テーブルを拭いていた康成が、手を止めて腰を伸ばした。いつもの笑顔で答える。
「あぁ、潤さん。呼び捨てで結構ですよ。敬語も止めてください。ところで潤さんはおいくつなんですか?」
敬語を止めろと言われたので、今度はそのつもりで口を開く。
「二十一だ」
「僕のひとつ上なんですね。若いのに大企業の副所長さんだなんて、凄いですねぇ。あ、限定Tシャツ、有り難うございました。大切に着させていただきます」
康成の着ているTシャツを見やり、潤は、本当に着ている人が居るんだ……。と胸中で感嘆した。
「はぁ……。いや、こちらこそ……。伝えたら、所長も喜ぶだろうし……」
一応こいつを持って行っとけ。と、カッターナイフをジャケットのポケットに放り込んできた人物の顔を思い浮かべながら、潤は康成のTシャツの上で踊っているピスミを眺めた。
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