第十四話『結構な決闘の結果』―1
翔の振った刃は、凌の首を両断する筈だった。
刃を阻んだのは、炎だ。
翔は、突然現れた人物に目を見張った。自分よりも鮮やかな赤い眼を持つその人物は、縁側の方から歩いてくる。
翔はその人物の瞳をとても綺麗だと思ったが、今は楽しいひと時に水を差された――実際には火だったが――事に対する苛立ちが勝っていた。
「誰?」
確か、凌と一緒に居た人物だ。
「挨拶が遅れたな。俺はお前の家庭教師を頼まれて来た、二条潤だ」
「……男なの?」
愕然として言われ、潤の眉がほんの一瞬、僅かに動いたが、翔は気付いていない。顎のすり傷は完治し、切り裂かれた胸元は、服以外塞がっている。頭の触角も、まだ短いが生えている。反抗的な眼差しを潤へ向けたまま、禁刀を深く握り直した。
「邪魔しないで」
「潤先ぱ――」
焦りを滲ませた渋面を作って腰を上げかけた凌を手で制すと、潤は翔に向かって静かに言った。
「遊び足りないなら、俺が相手をしてやる」
その様子は無感動とも無感情とも見え、翔は少しだけ親近感を抱いた。しかしそれも微々たるもので、瞬きを挟むと翔の興味は他へ移った。
翔は、ふぅん、と鼻で呟くと、禁刀の切っ先を潤の鼻先へ突き付ける。
「強いの?」
彼の今抱いている興味は、これだ。ただ、先程の炎を見て、何となくは感じている。強そうだ。家庭教師をしに来たというのだから、強くなくては話にならないのも道理だろう。だが、翔は自分よりも強い“人間”に会った事がない。
潤は凌へ向かって、下がっていろ、と手と眼で合図した。凌は渋面を更に歪め、小さく了解の旨を呟いて数歩下がった。それを確認し、潤は翔へと視線を戻す。質問に答えようと口を開いた潤だが、自分の中で答えが出なかったのかどうなのか、視線は翔に向けたまま首を斜めに捻った。
「……そこそこ……」
と潤が言うと、翔は潤の顔面に突き付けていた禁刀を、そのまま押し付けた。が、潤は体ごと右足を後ろへ引いて避ける。足元の小石も、音を立てなかった。
武器らしい武器を持っていない潤だが、ジャケットのポケットから、手のひらサイズの何かを取り出した。
「……カッターナイフ……?」
翔は自分の眉間に深い皺が寄るのを感じた。馬鹿にされているのだろうか。普段はさして気にならない事だが……まだ触覚が不完全だからか、今は異様に勘に触った。
「悪いな。今日は武器らしい武器を持っていない。ただ、今日はこれで充分だ」
充分? と、普段は無感情な翔の表情筋が痙攣する。
それと同時に潤は翔の右手の月状骨を左の手刀で叩き、握力が弱まった隙に禁刀を取り上げた。左手で禁刀を凌に向かって投げ、右肘で翔の後頭部を殴りつけた。翔が顔面から砂利にぶつかったところを、潤の左手が後頭部を押さえ付ける。片脚の膝で翔の右腕の動きを封じると、更にもう片足で腰を踏み付けた。右手に持ったカッターナイフの、ほんの数センチしか出ていない刃が、翔の首裏に突き刺さる。
一秒弱の間にここまでを済ませ、潤は再び口を開いた。
「俺は家庭教師をするに値するだろうか?」
潤の言葉に、翔が肩を震わせる。地面にぶつけた拍子に出たのか、鼻血が小石の隙間を流れて広がっている。
翔は押さえ付けられたまま、くぐもった笑い声を発した。
浅い呼吸と笑い声の合間に「すごい」と、ひと言うと、翔の周りの空気が熱を帯びる。
「一日の内に二人も、本気出せる人に会えるなんて……!」
歓喜の声だった。
噴き出した熱風に、潤は内心嘆息した。
(これは、家庭教師として認めて貰えていないという事だろうか)
翔の言葉から感じ取れる感情は喜びだが、これは完全に威嚇行為だ。ハリセンボンが、体を膨らませ、全身の針を立てるような。そんな印象を受けた。
どうしたものか、と潤は翔の体を押さえ付けたまま考える。先程言った通り、本当に遊んでやる他ないのだろうか。それはそれで、面倒そうだな。と思っていると、翔の放っている熱量が急激に膨れ上がった。
潤は、再度嘆息した。
刹那、二人を中心に凄まじい爆炎が上がった。それは、先刻翔が起こした爆発の三倍程の威力で――消し炭となっていた木々は勿論、周りの小石や砂利をも吹き飛ばした。しかし被害は二人の近辺だけに止まっている。
熱風と煙と土埃が風に流れる。すると抉れた地面の中心に、数秒前と変わらぬ姿の翔と潤が居た。
潤はカッターナイフの刃を翔の首から抜き、問う。
「で、どうなんだ?」
翔は首を捻り、顔を潤の方へ向けた。鼻血はもう止まっているが、乾いた血液がこびり付いている。ただ、その表情は喜びでも悲しみでもなく、鳩が豆鉄砲を喰らったようなものだった。
「す……」
翔から発せられた、不完全な言葉を取り敢えず聞き流し、潤は次の言葉を待つ。
「すごい……凄いね! どうやったの? 爆発を爆発で止めるなんて、そんな事出来るんだ……!」
翔の瞳は輝き、血塗れの顔は興奮で紅潮している。
ほんの微かな頭痛を感じつつ、潤は言葉を返す。
「後で教えてやるから、俺の質問に答えてくれ」
翔の表情が、一層明るくなった。
「潤が教えてくれたら、俺でもソレ、出来るようになるの?」
「それは、お前の努力次第だ」
「じゃあ、じゃあ……お願い……えっと、お願いし、ます!」
ぎこちない敬語で懇願する翔から体を放し立ち上がると、潤は服に着いた埃を払った。
ここで断られると、自分へ来た依頼が達成出来なかったのだ。潤は、そうか、と安堵の息を吐く。そして、後ろを振り向いた。
「凌」
声を掛けられ、縁側付近に居る凌が身体を強張らせた。その様子に潤は、溜め息にも似た、小さな息を吐き出した。
「髪と天后の召喚印だけで済んでよかったな」
「あ、あ……あの、すみません……! 負けた上に、先輩の手まで煩わせてしまって……。この失態は死んでも帳消しに出来ないとは思いますが、この場で自決し――」
「落ち着け。誰がそんな事をしろと言った」
脇差を抜き、青い顔でカタカタと震えている凌に、今度は大袈裟な溜め息を吐き出す。
「お前の処分は、俺に任せて貰っている。勝手に死のうとするな」
潤の口調を呆れからくるものだと思い込んだ凌の眼から、ボロボロと涙が流れ出てきた。地面に突いたスーツの両膝に、ポタポタと染みが広がる。
「せんっ、先輩を、失望させてしまって……本当に……、生き恥を晒すくらいなら……死んだ方がマシです」
凌が泣いている意味を何となく感じ取り、潤は凌の傍らにしゃがみ込んだ。
「えっと……すまない。そういう意味で言ったんじゃ……」
「あまつ、情けを掛けられるなんて、オレ、もう、生きてられませんんんっ!」
風圧で集まっている小石の山に突っ伏し、凌は盛大に嗚咽している。
潤は、凌の事を興味深そうに眺めている翔の事は一旦無視し、縁側へ視線を向けた。深叉冴と康成と拓人が、呆然とこちらを見ている。
米神を押さえつつ、ポケットからハンカチを取り出して凌へ差し出す。
「取り敢えず、凌の処分内容は後で教えるから。これで顔を拭いておけ」
「潤先輩のハンカチを汚すだなんて、もっと出来ませんんんんッッ!!」
涙と鼻水にまみれたイケメンが、叫んでいる。
「……俺は一体、どうすればいいんだ……」
行き場を失くしたハンカチを持ったまま、潤は重い息を吐き出した。




