第十三話『結構な決闘の決行』―3
触角。翔はそう呼んでいる。周りの人間も、そう呼んでいる。凌は“遺伝子結合の要”と言った。
先刻、凌は『お前は死ぬんだろ?』と言ったが、少し誤りがある。正確には『死ねるかもしれない』だ。
翔の言った通り、翔の親は三人――否、人間二人と聖獣一体――居る。深叉冴とつぐみと朱雀だ。朱雀は元々、つぐみの使役する式神だった。生まれつき体の弱かったつぐみの為に、彼女の両親が用意した“生命維持装置”。それが、朱雀だったのだ。
深叉冴とつぐみは結婚を果たしたが、彼女は体の組織も、DNAも、子どもを授かる為には弊害だらけだった。だが、彼女はこう言った。
“そんなら、あたしの朱雀を使えよ。きっと、すっごく体の強い子が生まれるぜ!”
周りは勿論、反対した。しかし、つぐみは自分の意見を、断固として譲らなかった。結果、折れたのは周りの面々だ。そして、深叉冴とつぐみと朱雀の遺伝子から生まれたのが翔だった。
翔の体は、つぐみの言った通り頑丈だった。“不死鳥”の異名を持つ朱雀の遺伝子を受け継いでいるのだから、当然と言える。不死なのだ。負った傷は治る。病原体は体内で増殖せず、死滅する。心臓を撃たれた事もあるが、それでも死ななかった。
そんな翔の体にも、小さな傷跡はあるのだが――。
目の前で地面に膝を着いている人物が自分の父親を殺したのだ。などという事は、正直な話、凌にとってはもう、どうでもよかった。
左腕を斬った時に見せた笑顔には、不覚にも、ある種の恐怖を抱いた。未知の生物を目の当たりにした時に、あんな感情を抱くのかもしれない。いや――翔は、凌にとって未知の生物そのものだ。
名前の分からないざわめきが、胸元から全身に広がっている。凌は一刻も早くその感情から解放されたくて刀を振った。翔の首を目掛けて。一直線に。
だがこれも、翔の首を落とすには至らなかった。
「ははっ」
刃が首に到達する寸でのところで、別の刃がその行く手を阻んでいる。翔の持つ禁刀だ。翔の笑い声と共に、双方の刃が震えてカキカキと音を奏でた。
「はははッ……はぁーっ。すごいなぁ。楽しいなぁ。一対一の殺し合いなんて初めてだから……ふふっ嬉しくて、笑いが止まらないや」
肩を大きく痙攣させ、翔は笑っている。笑っているのだが、眼からは涙が流れ出ていた。
一見、嬉し泣きだ。が、この状態も、凌にとっては“未知”だった。あまりの不気味さに、一種の恐怖心がふつふつと湧きあがってくる。そして、凌の想定外がもうひとつ。
(嘘だろ。倖魅先輩の情報じゃ、要を切除したら朱雀の力が使えなくなるって……)
触角が健在だった時と比べて動きが鋭くなっている翔に、凌は混迷した。とにかく、自分の身を護る方へ意識をシフトさせる。
凌は翔の刀を押し返すと、距離を取った。
(確かに、今はまだ炎は出てない。出てないけど……確か情報じゃ、殺さない限り要になってる触角は再生する……)
凌は翔を見据えたまま、いつでも攻撃に対応出来るように刀を鞘に戻して身構えた。それに反し、翔は禁刀を構えるでもなく、一歩、凌へ近付く。対し凌は、一歩下がった。
「ふふふ。楽しいね。ありがとう。えっと、あ、名前聞いてないや。まぁ、誰でもいっか。俺、自分が殺した人の事、覚えてられないし」
顔面に笑みを湛え、独り言とも取れる言葉を発しながら、翔はゆっくりと歩を進めた。涙は止まっている。
ゆっくりと近付いてくる。凌は、近付かれたら下がり、一定の間合いを保つ。そこまで翔を注視していた凌だが、瞬きをしたら、左腕の無い同い年の少年は消えていた。そう理解した時、後ろ頭が引っ張られた。
(いや、髪の毛……ッ!?)
凌の長い髪を、翔が掴み上げている。
「この光ってるのが、天后を使役する為の召喚印の役目を果たしてるのかな……? 綺麗だね」
そう言った直後に、“光ってるの”が髪ごと真二つに斬られた。同時に、縁側に座っていた天后の姿も消える。天后の持っていた湯呑みは、落ちるより先に、深叉冴にキャッチされた。
翔は長い白髪の束を眺めながら「首まで斬れなかったなぁ」と呟いている。
「式神の能力が使えなくなったらさ、俺とおあいこだよね?」
翔は切り落とした毛束を地面へ落とすと、軽快にその場で跳んだ。先刻、小石に足を取られて滑って転んでいた人物とは思えない程、軽やかに動いている。
「さっきさ、俺の首を落とすって言ったよね? だから、俺も君の首を落とそうと思うんだ。そうすれば、おあいこだよね? ヒトはそれを、平等って言うんだよね?」
言いながら、翔が禁刀を振り下ろす。禁刀が軽い音を奏でて、空を斬る。
咄嗟に飛び退いて態勢を落とし、剣先を躱した凌だったが、思考がまとまらない。
(ヤバい。どうする? 要を切除して動きが機敏になるなんて、そんなデータどこにもなかった。普通逆だろ。どうすれば……)
冷えた汗が、シャツの背中を濡らす。
凌が地に手を突いて立ち上がろうとした時、翔は凌の背後へ跳んでいた。
「俺、ヒトよりちょっと、身体が軽いんだ」
駄菓子の包装紙に書かれた“あたり”を見せつけた子どものような顔で、翔は凌に向かって禁刀の刃を打ち付けた。